MEMORANDUM

  火葬場

◆ ついでに、『異邦人』 からもうひとつ。

◇ 長いこと私は――なぜかはわからないが――ギロチンにかけられるには、階段をのぼって断頭台へあがらねばならぬ、と信じていた。〔中略〕 現実には、機械は、ごく単純に、地面にじかに置かれていて、思ったよりずっと幅が狭かった。〔中略〕 機械はそれに向かって歩いてゆく人間と同じ高さに置かれている。男は誰かに出会うとでもいった調子で歩いて行き、それにぶつかる。
カミュ 『異邦人』 (窪田啓作訳,新潮文庫, p.118)

◆ 先日、祖母が他界して、京都市の斎場で最後のお見送りをした。京都市の火葬場は東山の山中にあるので、そこへ行くことを 「お山へ行く」 と言う。京都人にとっては、死者を荼毘に付すことと山に登ることとは分かち難いイメージで結びついている。だから、

◇ 東京で、町のど真ん中の葬祭場に火葬場があるのを知った時には吃驚しましたが、考えたら山ないもんね。
d.hatena.ne.jp/morohiro_s/20060515

◆ というコメントにはまったく同意する。山がなければ仕方がない。山がない地域のひとたちは、京都とはまた別の葬送のイメージをもっているのだろう。でも、山があるなら火葬場は山にあったほうがいい(と思う)。つぎは小田原市のサイトから。

◇ 昭和8年に建設された従前の火葬場は市街地内にあり、周辺の宅地化、敷地の狭隘性、老朽化により、市街化の見通しの少ない山岳部に新たに計画決定しました。
www.city.odawara.kanagawa.jp/c-planning/urban-d/kadouba2.html

◆ もちろん、今の時代に新しい火葬場の候補地に山岳部が選ばれるのは、そこが死者を見送るにふさわしい静寂さや荘厳さを備えた聖なる空間であるからではまったくない。たんに市街地にあると迷惑だと思うひとが多いので、できるだけ人里はなれた場所を選択しただけのことである。

◇ 火葬場の改築・移転には当該地域の住民による反対運動がおこりやすい。そこでいくつかの自治体が集まって広域行政組合を設立し、広域斎場を設けることで、そのリスクを低減することを図る傾向がある。同様の事情から、住宅地から離れた場所に立地しようとするのが一般的だが、日本の住宅事情を考慮すると、必ずしもそのような場所に作れるとは限らない。そのため都市部のような場所においては、周辺を森で囲む・ぱっと見ただけでは火葬場とはわからない外観など、周辺地域に配慮した立地となっている。乗り入れる霊柩車も、派手な宮型・寺院型のものは自粛するようになっている。また、名称も 「~斎場」 「~聖苑」 などが多く、「~火葬場」 とする施設は激減している。
ja.wikipedia.org/wiki/火葬場

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