MEMORANDUM

  赤いコウモリ

◇ シュルレアリスム的なイメージの形成原理の説明の場面で,解剖台の上でのミシンと蝙蝠傘との出会いというロートレアモンの一節が例証として引き合いに出されることはよくあることだが,はたしてこの三つの要素の出会いはそれほど奇妙なことなのだろうか。
www.suiseisha.net/tsushin/vol03/matsuura01.html

◆ と、松浦寿夫は書いている。(いつものように、それとは)まったく関係はないが、赤川次郎に 『赤いこうもり傘』 という作品がある。読んだことはない。先日図書館に行ったら、児童書のコーナーに表紙が見えるように置かれていたので、目についた。で、「赤いコウモリ傘」 なんてものがありうるのだろうかと、ふと気になった。ワタシにとってのコウモリ傘とは、黒くなくてはならず、「赤い」 コウモリ傘なんてものは、「白い黒板」 とか 「黄色い白線」 とかいった一種のコトバの奇形であり、言語学者ならそれをオクシモロン(撞着語法)の一例であるというかもしれないし、あるいはむしろ、シニカルに、鳥だか獣だかはっきりしないコウモリにはお似合いの表現なのさ、と突き放すべきなのかもしれないが、あいにくそれほどの余裕も能力もないので、ただ思ったことを書いている。

◆ そもそも、コウモリ傘はコウモリのどこに似ているのか? オンライン辞書で、蝙蝠傘を引くと、

◇ 《広げた形がコウモリの翼の形に似ているところから》金属製の骨に布などを張った傘。洋傘。こうもり。
『大辞泉』(小学館)

◇ 〔開くとコウモリが翼を広げた形に似るところからいう〕細い鉄の骨に絹・ナイロンなどを張った洋傘。こうもり。
『大辞林』(三省堂)

◆ とあり、どちらの辞書も似ているのは翼の形だとしている。色にかんする記述はない。してみると、コウモリ傘は黒くなければならないなどというのは、ワタシの思い込みにすぎなかったのか? 以下は、夏目漱石 『それから』 の結末。

◇ 忽ち赤い郵便筒が眼に付いた。すると其赤い色が忽ち代助の頭の中に飛び込んで、くる/\と回転し始めた。傘屋の看板に、赤い蝙蝠傘を四つ重ねて高く釣るしてあつた。傘の色が、又代助の頭に飛び込んで、くる/\と渦を捲いた。四つ角に、大きい真赤な風船玉を売つてるものがあつた。電車が急に角を曲るとき、風船玉は追懸(おつかけ)て来て、代助の頭に飛び付いた。小包郵便を載せた赤い車がはつと電車と摺れ違ふとき、又代助の頭の中に吸ひ込まれた。烟草屋の暖簾が赤かつた。売出しの旗も赤かつた。電柱が赤かつた。赤ペンキの看板がそれから、それへと続いた。仕舞には世の中が真赤になつた。さうして、代助の頭を中心としてくるり/\と焔の息を吹いて回転した。代助は自分の頭が焼け尽きる迄電車に乗つて行かうと決心した。
夏目漱石 『それから』(青空文庫

◆ こんな赤い世界にいると、赤いコウモリだろうが、赤いカラスだろうが、赤い白鳥だろうが、もうどうでもいい。

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