◇ He is known for his famous one-legged "flamingo" batting stance. ◆ 彼とは誰か? もちろん、Sadaharu Oh、王貞治のことである。 ◇ 1962年にすくい上げる打法を矯正するため、荒川博コーチの指導の下で 『一本足打法』 を習得。この打法はアメリカでは 「フラミンゴ打法」 と呼ばれる。この時の特訓で使った部屋の畳が磨り減ったと言われる程の過酷さは伝説として語り継がれている。この打法改造がきっかけとなって驚異的な勢いで本塁打を量産し始め、1964年にはシーズン本塁打55本の日本新記録、同年5月3日に開かれた阪神戦(後楽園球場)では1試合4打席連続ホームランを記録。 ◆ じつは、ワタシと王貞治とのあいだには少なからぬ因縁がある。なんと、誕生日が同じ5月20日。ワタシが生まれたのは1964年だが、この年、王選手は日本記録となる55本のホームランを打って、ワタシの誕生を祝ってくれたのだった。いやはや申し訳ない、あまりに一方的すぎる因縁だった(因縁をつけるとはこういうことか)。 ◆ ついでにもうひとつ。草野球に熱中していた小学生のころ、ある日、ワタシには荒川コーチはいなかったにもかかわらず、独力で、一本足打法を手本にして新たな打撃フォームの開発に成功したのだった。名づけて 「イッポンダシアホウ」。王選手の一本足打法はピッチャーに近い方の右足を宙に浮かせるものだったが、ワタシのイッポンダシアホウは、それとは逆にキャッチャーに近い方の足を上げるのである。ひじょうにバランスが取りにくく、この打法の習得にはかなりの鍛錬を必要としたが、この打法の効果は絶大だった。相手ピッチャーはワタシが反対の足を上げると一様に驚き笑い、そして暴投をした。しかし、その効果も長くは続かなかった。ピッチャーがこの打撃フォームに慣れてしまい、暴投をしなくなると、残念ながらワタシにはなすすべがなかった。バットを振るたびにワタシのからだは見るも無残によじれ、ボールを打つどころではなくて、その場に倒れこむのだった。ほどなく、ワタシはこの打法を封印することにした。しかし、その名はしばらく残ることになる。というのも、みながワタシを 「一本出し阿呆」 と呼ぶようになったからである。 |
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