MEMORANDUM

  いたずらものはいないかな

◆ つづけて、ネズミのハナシ。オヨメサンを死に至らしめたダンゴにはいっていたのは、砒素。最近では、カレーにいれたオバハンもいるけれど、いまではネズミ捕りには使われない。砒素を使った殺鼠剤に、そのむかし、「石見銀山」 の名で知られていたものがあった。

◇ 「石見銀山」 とくれば、後に続く言葉は 「ネズミとり」。時代劇ファンなら、そう答えるはず。殺鼠剤(ヒ素)を食べ物やら酒にこっそり混ぜて、憎き相手を葬ろうとする陰謀の場面に登場する。
www.chunichi.co.jp/00/trip/20051014/ftu_____trip____000.shtml

◆ この石見銀山、江戸ではもっぱら行商人が市中を売り歩いた。「石見銀山」 売りに扮したキティーちゃんが少しは参考になるか? 「江戸風物詩 大道芸人シリーズ 鼠とり」というのがそれで、鈴付きだそう。
www.kyoto-wel.com/item/IS81094N00156.html

◆ もっと参考になるのが、築地双六館の 《双六ねっと》 で見つけた 「楊先生の鳥盡初音寿語六(とりつくしはつねすごろく)読み下し講座」 の1ページ。
www.sugoroku.net/tori/tori_nezumi.html

◆ この石見銀山売りには 「いたずらものはいないかな」 という独特の売り声があって、それが子どもを怖がらせた。

◇ 歌舞伎の 『東海道四谷怪談』 の序幕は 「いたづらものはゐないかな、いたづらものは」 という奇妙なセリフで始まりますが、これは初演当時(一八二五、文政八年)の江戸の町中でお馴染みであった石見銀山売りの売り声なのです。
山崎昶 『家庭の化学』(平凡社新書, p.44)

◇ 大音にいたづら者は居ないか居ないかな/\いたづら物は居ないかなど呼はるる聲にそこらに遊び居たる五六歳なる小兒は偖(さて)は己れが惡戯(いたづら)を知られて捕らわれんかと膽(きも)を消して逃げ隠れる樣は恰も猫に出遭し鼠の如くなりし
菊池貴一郎 『絵本江戸風俗往来』(青蛙房, p.358)

◆ この石見銀山売り、明治になっても、しばらくはいたらしい。

◇ それから 「いたずらものはいないかな」 と云って、旗を担いで往来を歩いて来たのもありました。子供の時分ですからその声を聞くと、ホラ来たと云って逃げたものである。よくよく聞いて見ると鼠取りの薬を売りに来たのだそうです。鼠のいたずらもので人間のいたずらものではないというのでやっと安心したくらいのものである。そんな妙な商売は近頃とんと無くなりましたが、
夏目漱石 『道楽と職業』(青空文庫

◇ 鼠とり薬を売る 「石見銀山」 は日中か夕方に通った。蝙蝠が飛び出して、あっちこっちで長い竹棹(ものほしざお)を持ちだして騒ぐ黄昏どきに、とぼとぼと、汚れた白木綿に鼠の描いてある長い旗を担ついで、白い脚絆、菅笠(すげがさ)をかぶってゆく老人の姿は妙に陰気くさくいやだった。日中(ひなか)でも、
 ――いたずらものはいないかな……
という声をきくと、鼠でなくても、子供でも首をひっこめた。

長谷川時雨 『西洋の唐茄子』(青空文庫

◆ 一度でいいから、こどものころに生で聞いてみたかった。

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