◆ 大地震に見舞われればひとたまりもないような木造アパートに住んでいる身にとっては、まったくの他人事であることのひとつに、「結露」 というコトバがあって、ときおり冬場のマンションに出かけて結露という現象を見かけると、「ああ、家が汗をかいている」 などと思ってしまい、そのすぐあとに、古代人のようなアニミズム的発想にわれながら恥入りもするのだが、当の住人にとっては、たんに対策を講じるべき物理的問題であるかもしれない。 ◇ 結露問題は、いつも不動産屋さんを悩ます原因の一つです。入居者側から言わせると、建物の構造が悪いから結露が出ると言う事になるし、大家側に言わせると、他の部屋からは結露は出ていないので、入居者の使用の仕方が悪いと言う事になる。 ◆ 結露の責任の所在をめぐる攻防については、ワタシは不動産屋さんではないので、なんの関心もないけれども、結露にたいする人間の感情については、多少の関心がないでもない。たとえば、 ◇ 窓ガラスがまるで汗をかいたように水滴でじっとり・・・ なんとも不快な結露の代表例ですね。 ◆ といった文章に見られるような、結露にたいする不快感というもの。その起源はいったいどこにあるのだろう? 「窓ガラスがまるで汗をかいたように水滴でじっとり」 しているから不快であるというのなら(これはワタシの発想とたいして変わりがない)、人間のかく汗がそもそも不快なものであるということが前提になっているわけだろうけど、「・・・ですね」 と同意を求められても、ワタシは困る。ワタシは、少なくとも自分の汗を不快だとは思っておらず、そのことから、自分の汗も他人の汗も同じではないかと思ってしまうので、さらに拡げて、部屋の汗を不快だと単純に思う思考回路ができてはいない。たんに、この部屋は 「どうしたんだろう?」 と思うだけである。 ◆ いや、実をいえば、結露の問題にとどまらず、マンションに住みたいというひとびとの思考のすべては、あれやこれやのことごとを考えるにつけ、ワタシの想像力の限界をはるかに超えている、ということをいまさらながらにいちいち思い知らされるので、やはりワタシは古代人なのであるなあ、と自嘲気味につぶやいてみたり。 |
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