MEMORANDUM

  新聞少年

◆ ホリエモンは、中学時代に 「父の勧めで早朝の新聞配達のアルバイトをし」 ていたそうだ。当時を知る新聞販売店の関係者によれば、

◇ 「一般紙・スポーツ紙合わせて六、七種類あったんですが、七十軒分、すべての組み合わせを一日で覚え、二年間誤配がなかった。」
『週刊文春』(2月2日号, p.32)

◆ と、こんな記事を引用したくなったのは、ワタシも中学生で新聞配達をしていたからで、高校生なら新聞少年も少なくないだろうが、中学生というのは珍しいのではと思ったのだった。ワタシの場合は、中学1年のクラスメイトに販売店経営者の息子がおり、そのツテで始めることにしたのだが、中学校では基本的にアルバイトが許されておらず、なにか特別な許可が必要だった記憶がある。担任の理解もあったのだろう。始めてからは、雨の日にはユウウツになりもし、寝坊もよくしたけれども、それが日常の一部になってしなえば、とくに止める理由も見あたらずに、高校を卒業して地元を離れるまで続けた。

◆ さきに三上(さんじょう)のことを書いたが、新聞配達のときの 「自転車上」 というのも、なかなかのお気に入りだった。早朝の一時間、まだ眠っている街を自転車で走るというのは気持ちのいいものだった。澄んだ空気と静けさのなか、じゃまするもののないもない場所で、自転車を漕いでいると、自然とあれこれ考えが浮かんだ。中学生の考えることだから、たいしたことではなかったろうが、ちょっとは 「哲学的」 なものだったかもしれない。憶えているのは、その内容ではなくて、そのときの気持ちのよさだ。五感で考えているような、そんな気持ちのよさだ。

◆ 人ごみは嫌いだけれど、街は好き。そんなタイプの人間に、新聞配達の仕事はぴったりだった。ひとりぼっちであることには変わりないにしても、部屋のなかにひとりでいるよりは、街のなかでひとりでいるほうがいい。心身ともども、そのほうがいい。

◆ (まったく関係がないが、犬の散歩は朝したほうがいい。人犬ともども、そのほうがいい。ちかごろは夜中に犬の散歩をしているひとを見かけることが多いものだから。)

◆ 新聞配達の仕事というのは、ポストに(あるいはドアの隙間に、あるいはシャッターの下に)新聞を入れるだけだから、その家のひとと顔を合わせることはめったにない。だから、その家にどんなひとが住んでいるのかもほとんど知らない。でも、ポストに入れた直後に、玄関を開ける気配が背後ですることはままあって、そんな時には、ああ待ってたんだな、と思う。だから、寝坊したときには、ちょっと心苦しい。待ちきれずに、玄関の前に顔を出してたりもするのだから。おそくなってごめんなさい。新聞配達でひとに会うというのは、たいていはそんな具合だから、できればだれとも会いたくない。でも、6年間にほんの数回、例外があった。一度は、玄関で待っていた 「おばさん」 にリンゴをもらった。一度は、「おじさん」 にご祝儀袋にはいった千円をもらった。こどもだから、そんなものをもらっていいものやら、悩みもしたが、そのときのうれしかったことといったら!

◆ などなど、思い出すことあれこれ。そしたら、なんという偶然だろう、今朝5時50分、おともだちの 《みたにさん》 が書いていた。

◇ 新聞屋さんにチョコを新聞受けに用意しておいたけど、今朝は新聞がまだきません。遅いぞ。あ、もしかしてチョコ持ちきれないで一回置きに行ってるとか?
01.members.goo.ne.jp/home/ckmtn/diary/200601.html

◆ それにしても早起きだね。全国の新聞少年に代わりまして、遅れたお詫びとチョコのお礼を。ありがとうとごめんなさい!

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