MEMORANDUM

  俘虜記

◇ 俘虜とは一般に捕えられた兵士であり、ただ祖国へ帰る日を待って暮していると考えられている。しかし私の見たところによれば、俘虜は 「兵士」 でもなければ 「待っている」 わけでもない。彼等は既に戦闘力がないという意味で兵士ではなく、俘虜収容所の生活の必要は彼等に 「待つ」 ことを許さない。彼等は生きなければならぬ。
大岡昇平 『俘虜記』(新潮文庫, p.146)

◆ FURYO と聞いて思い浮かぶのは、ワタシの場合、大岡昇平の 『俘虜記』 を措いてほかにはない。そもそも 「俘虜」 というコトバを知ったのがこの本からであり、それ以降にしても、このコトバにどこかで出会ったという記憶がほとんどない。書評は苦手なので一切を省略するが、一読をお薦めする。

◇ 飛魚が航海の友であった。彼等は群をなして、舷側から飛び立ち、我々の期待より少し長く飛んで着水した。多分鮪(まぐろ)であろう、長さ一間以上の巨大な紡錘形の魚が、驚いたように、左舷百米ばかり先の海面から、半身を垂直に突き出し、また没し、また突き出して、片眼で我々を窺うようにしながら、どこまでも随いて来た。
Ibid., p.441

◆ 昭和二十年十二月、大岡昇平は、レイテ島での約十ヵ月におよぶ収容所生活を終え、復員船信濃丸にて約二千の俘虜ともども日本に帰還した。

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