MEMORANDUM

  三上(さんじょう)

◆ 風呂屋の帰り道にはアタマがさえる、ということを書いているときに、寺田寅彦の文章を思い出したけれど、朋ちゃんのヒューヒューのあとにつなげるのもむずかしくて、あたらに書く。

◇ 「三上(さんじょう)」という言葉がある。枕上(ちんじょう)鞍上(あんじょう)厠上(しじょう)合わせて三上の意だという。「いい考えを発酵させるに適した三つの環境」 を対立させたものとも解釈される。なかなかうまい事を言ったものだと思う。しかしこれは昔のシナ人かよほど暇人でないと、現代では言葉どおりには適用し難い。 // 三上の三上たるゆえんを考えてみる。まずこの三つの境地はいずれも肉体的には不自由な拘束された余儀ない境地である事に気がつく。この三上に在(あ)る間はわれわれは他の仕事をしたくてもできない。しかしまた一方から見ると非常に自由な解放されたありがたい境地である。なんとならばこれらの場合にわれわれは外からいろいろの用事を持ちかけられる心配から免れている。肉体が束縛されているかわりに精神が解放されている。頭脳の働きが外方へ向くのを止められているので自然に内側へ向かって行くせいだと言われる。
寺田寅彦 『路傍の草』(青空文庫

◆ この三上、ワタシにとってはどうかというと、まず枕上は除外。すぐ寝てしまうからだ。厠上は多少、当てはまる。以前はトイレで本を読むということはしなかったけれど、最近はけっこう利用している。とはいえ、枕上にしても厠上にしても、それが意味をなすのは家族で広い家に住んでいる場合のように思われるから、六畳一間に一人暮らしをしている人間にとっては、さしたる効果はないだろう。もともと狭い空間である。どこにいてもたいした違いはないし、だれがじゃまするわけでもない。

◆ だから、残るのは鞍上だけだが、競馬は好きでも乗馬の趣味があるわけではないから、これはワタシの場合、「バス上」 に置き換える必要がある。「電車上」 でも 「トラック上」 でもいいかもしれないが、「バス上」 が一番しっくりくる。それも夜のバス。お気に入りは左の最前列の一人がけの座席。だれにも視界をさえぎられないところ。始発から乗るのでかならず座れる。仕事で適度に疲れたからだを、そこに落ち着けて三十分ほどのんびりと過ごす。あまりに道路が空いていると、すっとばすバスの運ちゃんもいるから、適当に渋滞していたほうがいい。早く着きすぎてもつまらない。乗車して発車までのあいだは本を読んだりもするけれど、動き出してからは適度な振動ですぐにうつらうつらして、あとは夢心地。といって、完全に寝てしまうわけでもない。窓のそとは夜だから、刺激も少ない。そんな状態が一番心地よい。あれこれ勝手にアタマが働き出すのは、そんなとき。アナタはいかが?

関連記事:

このページの URL : 
Trackback URL : 

POST A COMMENT




ログイン情報を記憶しますか?

(スタイル用のHTMLタグが使えます)