MEMORANDUM

  ほんとの家

◆ おともだちの皐月さんが 「マンションには住めない」 と題して、こんなことを書いている。

◇ 一人暮らしを始めてから、一度も、 「マンション」 (もちろん賃貸) に住んだことがない。エレベーターが苦手なので。だから、今まで、高くて三階建て程度の 「アパート」、という前提でしか、物件を探さなかった。 // 自分の住む場所に辿り着くのに、密室経由絶対、なんて、なんだかぞっとしてしまうのは、どうしてだか、昔からずっとあって。今住んでいるところも、全部で10世帯以下の、小さな建物。 / あの背の高い、オートロックなどのついた、奇妙な匂いのする建物は、どうも、自分の住処としては、馴染まない。「密室経由」、これが。多分ずっと苦手なままだと思う。怪我をしても、なんとかなるかもしれない、2階。みたいな場所に住み続けると思います。
www.doblog.com/weblog/myblog/22297/1637140

◆ マンション、エレベーター、階段、オートロック。これらのことがらいついては、引越屋として書きたいことが無数にあるけれども、それはまたの機会に書くことにして、ごく一般的に、思いついたことを少々。

◆ 智恵子は 「東京には空がない」 といったが、バシュラールは 「パリには家がない」 という。

◇ A Paris il n'y a pas de maisons. Dans des boîtes superposées vivent les habitants de la grand'ville:
(パリには家がない。この大都会の住人たちは、積み重ねられた箱のなかに住んでいる。)

Gaston Bachelard, La poétique de l'espace (PUF, p.42)

◆ バシュラールに言わせれば、「ほんとの家」 には、地下室や屋根裏部屋といった垂直性の要素が不可欠なので、それらをもたない家を「家」 と呼ぶことはできなくて、それは箱である。その箱のなかにさらにいくつか水平の仕切りを設けるとマンションの家ができあがる。

◇ Les édifices n'ont à la ville qu'une hauteur extérieure. Les ascenseurs détruisent les héroïsmes de l'escalier. On n'a plus guère de mérite d'habiter près du ciel. Et le chez soi n'est plus qu'une simple horizontalité.
(都会のビルにはうわべの高さがあるばかり。エレベーターは階段のもつ英雄的な性格の数々を台無しにしてしまう。空の近くに住もうがもうなんの利点もない。もはや 「我が家」 といっても、たんなる水平のひろがり以上のものではない。)

Ibid.

◆ 田舎者の戯言であるかもしれない。「そんなこと言ったって、都心に一軒家なんて買えないじゃないの!」 という抗議の声が聞こえてきそうなので、この辺にしておこう。

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一人暮らしを始めてから、一度も、「マンション」 (もちろん賃貸)に住んだことがない。 エレベーターが苦手なので。 だから、今まで、高くて三階建て程度の「アパート...

COMMENTS (1)

皐月 - 2005/07/23 17:18

ほんとうの家。
日本家屋、農業をしておられる方々の住まいは、
(例えば、わたしの父の実家などがそうですが。)、
屋根裏や、蔵などがあって、正に「ほんとうの家」の風格がありました。
街になってしまった多くの場所では、「箱」で代用するしかない事情が多すぎるのかもしれません。

TBありがとうございました。
こちらからも、ping送信しておきました。

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