◇ 昨日(10月31日)、田中真紀子元外相が佐渡において行った応援演説で、「(被害者に)耳触りのいいことを言うべきではない」「(帰国した5人の拉致被害者の)家族の国籍は国際法上は北朝鮮籍。外務省も知っているはず。(日本帰国は)難しいとはっきり言うべき」という暴言を吐いたことが報道された。 ◆ まったくこの元外相は話題に事欠かない人で、今朝の新聞(といっても『日刊スポーツ』)にも、「真紀子さん夕食食って40分遅刻」なる記事が載っていたが、それはともかく、上記の引用の「耳触りのいい」というコトバが気になったので調べてみた。《NHK放送文化研究所》の「放送と言葉ことばQ&Q」の解説によれば、 ◇ 「耳ざわり」は「耳障り」と書くように、本来は聞いて不愉快に感じたり、うるさく思ったりする場合に使われることばです。「目障り」も同じです。しかし、最近では「歯触り」「舌触り」などの連想からか、「耳ざわりのいい音楽」「耳ざわりのいいことば」などと使われる例も増えています。[・・・・・・]ちなみに、「耳ざわりがいい」という言い方について、「おかしい」と答えた人が、1980年の有識者アンケートで89%、また世論調査では1989年が59%、1992年が47%となっており、「おかしい」と思う人がしだいに減ってきています。 ◆ また 《道浦俊彦の平成ことば事情》によれば、 ◇ また国語辞典では、「大辞林」「新明解国語辞典」には、「俗用」として「耳触り」は載っていますが、「広辞苑」や「日本語大辞典」は採用していません。(つまり載っていない。) ◆ ワタシが「耳ざわりのいい」というコトバをはじめて聞いたのは、谷山浩子の『夢半球』というレコードのなかだった。このアルバムは曲と曲の合間に本人のモノローグをはさむ構成になっているのだけれど、そのモノローグのひとつに、本人がふと「耳ざわりのいいことば」というコトバを使ってしまったあとに、 ◇ 「耳ざわりのいいことば」だなんて、ホントに「耳ざわりのいいことば」。こんなことば、どこで憶えたのだろう。 ◆ といった内容だったと思うのだが、現物は実家にあるので、不正確かもしれない。ところで、この「耳ざわりのいい」ということば、ワタシはあまり抵抗がない、つまりさほど「耳障り」ではないのでありますが、 ◇ どうも、「耳ざわりのいい」という“耳障り”なことばは、 「聞き心地がいい」系のことばにはない、 「偽善的な」というニュアンスをもたせるために使われている、 ということが見えてきたように思います。 / そういう点からすると、 「耳障り」的な要素を含んでいるために、 「聞き心地」でも「耳心地」でも「聞き触り」でもなく 「耳ざわり」ということばが用いられるのじゃないか、 というようにも思われるのです。 ◆ といった意見もみられるように、実際の「耳ざわりのいい」の用法としては、ウサンクサイもの(政治家の発言など)を対象にして用いられることが多いようで、「耳ざわりはいいが、しかし」となる例がもっぱらかもしれない。けれども、純粋に「耳触りのいい」ものもあるはずだろうから、どうせ使うのなら、もっと積極的な意味でこの「耳ざわりのいい」を使いたいと思う。いつも「キレイな薔薇にはトゲがある」式の発想をしていると、つまらない人間になっちまうよ。 |
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