MEMORANDUM

  透き通ったもの、など

◇ 奈良朝では瑠璃とか玻璃とかという玉なみの呼称でよばれ、戦国末期にはビードロ(ポルトガル語)というふうに南蛮風でよばれ、江戸期はギヤマン(オランダ語の転訛)と、紅毛風でよばれた。
(司馬遼太郎 『街道をゆく16 叡山の諸道』,朝日学芸文庫,p.119)

◆ ・・・ものはなあに? こたえ、ガラス。って、べつになぞなぞじゃないんだけど、いろんな呼び方をこんな風に並べてみせられると、なるほどこれも「歴史」だなあという気がする。

◆ というわけで、ガラスについてなにか書いてみようと思った。・・・のだが、よく考えてみると・・・、ガラスという素材があんまり好きではないことに、今さらながら気がついた。器ということでいえば、(日本の)やきものの方が数段好きである。切子なども観賞用としてはキレイだとは思うけれど、欲しいとは思わない。触りたいとは思わない。触ると指紋のあとがつくような感じがイヤだ。概してツルツル系は好みではないような気がする。植物でいえば、照葉樹のあのテカテカした葉っぱがキライだ。透き通った色というのも、あまり好みではないような気がする。どちらかといえば、くすんだ色合いに惹かれる。宝石なんてものにはそもそもエンもユカリもないけれど、強いて好きな宝石を挙げよといわれれば。翡翠(ひすい)かなあ。ヒスイといえば、富山にヒスイ海岸(宮崎海岸)というところがあって、海水浴に行ったついでにヒスイ拾いをしたことがあったなあ・・・。というわけで、ガラスのはなしはどこへやら、あいかわらずなんのまとまりもない文章になっちまった!

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