MEMORANDUM

  大学の名前など

◆ 京都市左京区の一乗寺竹ノ内町というところに、曼殊院という門跡寺院がある。といっても行ったことはない。門跡とは、「goo 辞書」によれば、

◇ (2)平安末以降、皇族・公家の子弟などの住する特定の寺院を指すようになり、しだいに寺格を表す語となった。江戸時代には幕府が宮門跡(法親王の居住する寺院)・摂家門跡(摂関家の子弟が居住する寺院)・准門跡(門跡に准ずる寺院)と区別し制度化したが、1871年(明治4)この制度は廃止され、以後私称として用いられる。

◆ とある。寺というよりも皇族の邸宅と考えた方がわかりやすい。だから、この曼殊院も、そのみどころとしては、

◇ 緑豊かな庭園の見事さに加えて寄棟造りの書院随所に見られる/瓢箪の引き手/富士の釘隠/縁の梟手水/など洗練された小物が素晴らしい寺院です。
homepage2.nifty.com/cub/niwa/manshuin.htm

◆ ということになる。しかし見たことはない。ともかく、この曼殊院は竹ノ内というところにあり、かつ親王の住居であったので、「竹内御殿」とも呼ばれた。さて書きたかったのはここからで・・・・・・

◇ 小さな地名を冠してよぶこのようなよび方は、よぶたびに山川草木がそこに顕れ出るような感じがしてじつにいい。桂離宮とか大和の帯解の山村御殿といったふうのよび方で、明治以後では早稲田大学、戦後なら一橋大学、お茶の水女子大、虎の門病院というようなものがある。こういう命名法は日本における施設の命名法のおろし問屋だった中国にはなかったかと思われる。中国の寺院や宮殿などは観念的な言葉を冠したものが多く、近代になって、北京大学、燕京大学、黄埔軍官学校といったものが出てくるが、それも広域地名で、所在地のほんの小さな小字(こあざ)の名を冠する重要施設というものはなさそうである。
(司馬遼太郎 『街道をゆく16 叡山の諸道』,朝日学芸文庫,p.87)

◆ その直後に「むろん、日本にもすくない」とあるのを無視すれば、こういったことに思いをめぐらせるのは楽しい。たとえば、目白御殿。

◇ 相続に絡む物納は東京都文京区の通称「目白御殿」でも行われた。目白御殿の敷地8600平方メートル(一族と長鉄工業で所有)は、相続に絡む申告漏れ発覚後、97年と98年に3区画、約3100平方メートルが物納された。2区画分の約1160平方メートルは00年3月、日本女子大に約7億8500万円で売却された。
www.mainichi.co.jp/eye/feature/article/kimitsu/200105/30-7.html

◆ 日本女子大で、別なハナシを思い出した。だれだか忘れたが、ある知識人(?)が講演会でつぎのようなことをしゃべったらしい。大学の名前というのは、その地名が大きければ大きいほど偏差値が下がる傾向にある。たとえば東京大学から日本大学、亜細亜大学の順にアタマが悪い、云々。で、ここで笑いをとるはずが、聴衆からはなぜだかブーイングの嵐。というのも、講演会場が関西大学だったから、というのがこのハナシの落ちだった。このハナシは、だから、日本女子大でもできないわけで・・・。

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