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◆ たまたま引越の仕事で行ったのが狭山市の祇園という地名をもつところだった、ということに過ぎないのに、それ以降「祇園」のことが気になって、あれこれと図書館に行ったりネットで検索したりして、いつまでもだらだらとけりをつけないでいるのが性にあっているようで、ことのほか愉しい。「旅」はいつだって終わってからが始まりだから。祇園のという地名の由来であるだろう祇園信仰については、調べ始めるとずいぶんと難しくもあり、また適当なことを書くのも気がすすまないので、そのことと少し関係があるような(つまりはほとんど関係がないような)別のことをとりあえず先に書くことにする。 ◆ 前の記事を書いていたときに、祇園といえば「チントンシャン」、それだけで十分なのだなあ、と妙な感心の仕方をした。もう一度、引用すると、 ◇ 「チントンシャンっていう雰囲気で、もう最高だったぜ」 ◆ と、これだけでも祇園の雰囲気が十二分に伝わっていると思えるけれど、念のため、 ◇ 京都の祇園というと、華麗なお座敷にお偉いさんと芸妓さんがチントンシャンという場面を思い浮かべる方が多いと思います。 ◆ と、さらに説明的に言えば、京の花街・祇園の情景を表すのに、もはやなにも付け加える必要がないだろう。祇園といえば「チントンシャン」。それだけで、お座敷からは三味線の音が、それから華やかな芸妓の嬌声が聞こえてくる、ような気がする(もちろん、気がするだけで、そんなところには一度も行ったことがないので、じっさいどうなのかはよくわからないのだが)。チントンシャン、なんと不思議なコトバだろう。ついでに、今日のニュース記事から、もうひとつ不思議なコトバを付け加えると、 ◇ 京に響く「コンチキチン」 祇園祭、宵々山 ◆ 祇園祭といえば、コンチキチン。 ◇ 祇園祭と言えば、「コンチキチン」っていうあのお囃子。私鉄や市営地下鉄の駅でも流れてます。 ◆ まあ、あの祇園囃子が「コンチキチン」と聞こえないひともいるにはいるが、 ◇ 〔道浦俊彦/とっておきの話:ことばの話1289「コンチキチン」(2003/7/17)〕 7月16日、久々に、祇園祭宵山に行ってまいりました。東京生まれで東京育ちの新人・小林杏奈アナウンサーの「研修」の先生として。放送はしませんが、「月鉾」の前で、1分とか1分半の「仮想リポート」の訓練を小林アナウンサーにさせるのです。その際に小林アナから出た質問です。「『コンチキチン』って何ですか?」 アーホーかー、と言うのをグッと押さえて、「ほら、さっきから聞こえてる、祇園囃子(ぎおんばやし)の音色だよ。鉦の音が『コンチキチン』って聞こえるだろう?」「えー!コンチキチンとは聞こえませんよぉ。」「じゃあ、一体なんて聞こえるんだよ?」 これに答えて小林アナいわく、「『チャンチャカチャン』って、聞こえますーぅ!」 ◆ それでも、祇園祭はコンチキチン。コンコンチキチン、コンチキチン♪ ◇ あと二、三日で祗園さんがある。そう思うだけでコンコンチキチン、コンチキチンというお囃子の鉦(かね)の音が聞こえてくるようだった。 ◆ 京を遠く離れても、聞こえてくるコンチキチン。 ◇ 少女が急に泣きやみ、覚左衛門夫婦を見てにっこり笑った。 ◆ キツネの声やあらしまへんて。これは祇園さんえ。 |
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◆ 木更津にも(行ったことはないが)祇園がある。その名前にダイレクトに反応して、行ってみたいと思うひともいるだろう。 ◇ 「木更津には、『祇園』っていう格調高い飲み屋街があるんだよ」とSさんがぼくに言ったのは、もう何年も前のことだ。木更津から内陸へ向かう久留里線の最初の駅が「祇園」という名前で、二〇年ほど前にSさんはそこで楽しい酒を飲んだとのこと。「チントンシャンっていう雰囲気で、もう最高だったぜ」と言う彼の言葉に「そのうち一度行ってみたいね」と話していた旅に、やはり酒飲みのUさんを引き込み、飲んべえ三人の泊まりがけの旅になったのである。
◇ 「チントンシャン」どころか、赤ちょうちんもどこにあるのかわからない。 ◆ これは題名のとおり、「駅前旅館に泊まるローカル線の旅」という紀行文からの引用だが、祇園というコトバにたいするステレオタイプのイメージをそのまま投影した、おそらくは作者の創作だろう。《2ch》の「【びっくり】イメージと実際が違う駅【がっかり】」というスレッドにも、 ◇ 祇園(久留里線) ◆ と、書かれている。 ◇ 家庭教師を終え、産寧坂を下りて、月を眺めながら祇園へ向かう道すがらも、お茶屋の二階からはチントンシャンと三味線の音が聞こえ、舞っている芸妓さんらしき影がすだれに映り、遊び興じている笑い声も聞こえてきていた。 ◇ 京都の祇園というと、華麗なお座敷にお偉いさんと芸妓さんがチントンシャンという場面を思い浮かべる方が多いと思います。 ◆ そういえば、大雨で鴨川が |
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◆ 「2010FIFAワールドカップ南アフリカ大会で、日本代表の個性的な面々をゲームキャプテンとしてまとめた長谷部 誠選手(26)」がテレビのインタビューで、キノコの話をしたそうだ。 ◇ 〔FNNニュース〕 大会直前の強化試合で、結果を出せなかった日本代表。浴びせられた多くの批判について、長谷部選手は、「そういう批判は当たり前だと思ってましたけど、ちょうど合宿中に読んだ本で、『キノコは風通りの悪いところに生える』って。僕の好きな、フリードリヒ・ニーチェというドイツの哲学者がいるんですけど、その人が批判とか意見っていうのはね、そういうのがなければ、人間は成長しないって。その言葉を僕は大好きで」と語った。 ◆ ニーチェを読んでいるとは、さすがにドイツのブンデスリーガの選手だけのことはある、と感心した。読んだのがドイツ語の原書じゃなくても(そりゃそうだろう)、さらには日本語の「超訳」であっても、(まあ)同じこと。長谷部選手が読んだらしい『超訳 ニーチェの言葉』(白取春彦訳,ディスカヴァー・トゥエンティワン)は「40万部を超えるベストセラー」になっているそうだが、まったく知らなかった。キノコの話は、この「超訳」では、 ◇ キノコは、風通しの悪いじめじめした場所に生え、繁殖する。同じことが、人間の組織やグループでも起きる。批判と言う風が吹き込まない閉鎖的なところには、必ず腐敗や堕落が生まれ、大きくなっていく。批判は、疑い深くて、意地悪な意見ではない。批判は風だ。頬には冷たいが、乾燥させ、悪い菌の繁殖を防ぐ役割がある。だから、批判は、どんどん聞いた方がいい。 ◆ これをワタシがさらに超訳すると、 ◇ キノコは、人間社会における腐敗や堕落と同義語であるような、悪い菌であるので、徹底的に排除しなければならない。 ◆ これがキノコではなくてカビと訳してあったなら、とくになにも思わないのだが、どうしてだか、キノコがこのように悪者として描写されているときにはいつも軽い反発を覚える。あんなにおいしいのに。ワタシが好んで食べているのが、「腐敗や堕落」だとは。とほほ。 ◆ ちなみに、ニーチェのドイツ語原文は『人間的な、あまりにも人間的な』(Menschliches, Allzumenschliches)中のこれ。 ◇ 468. Unschuldige Corruption. - In allen Instituten, in welche nicht die scharfe Luft der öffentlichen Kritik hineinweht, wächst eine unschuldige Corruption auf, wie ein Pilz (also zum Beispiel in gelehrten Körperschaften und Senaten). ◆ 風はルフトハンザ航空の「Luft」で、キノコは「Pilz」か。あとはしらない。「足のキノコ」(Fusspilz)は水虫。ドイツ生活者による「お口にキノコ」というブログ記事がおもしろい。 |
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◇ 〔朝日新聞:天声人語(2010年6月29日)〕 東京の声欄に、少年(12)の投書「バスに乗ったらトンデモ乗客」があった。都下町田市。バスが5分遅れで停留所に着く。少年が母親と乗り込むと、男の客が女性運転士を怒鳴り上げたそうだ。 ◆ この文章の「大抵の大人は、険悪への感度を鈍らせる知恵を備えている」というところで、電車やバスの車内でのイヤホンやヘッドホンは偽装された耳栓だったのか、と妙に感心してしまった。耳栓では露骨すぎるからと、音楽を聞きているふりをして耳を塞ぐということか。音楽も聞けてこれは一石二鳥。たいした知恵だ。ワタシも「大抵の大人」を見習ってそうしたいところだが、ワタシは耳栓の類が苦手で ―― いや、苦手なのは耳栓にかぎらない。衣服はしかたがないが、それ以外のものは、「腕時計」も含めて、なにも身につけたくない。――、ガマンがきかずにすぐに外してしまうことになるだろう。同じガマンをするなら、「とんがる空気に丸裸でさらされて」いるほうがまだマシだ。 ◆ 携帯電話はどうかというと、これは使っている(ニュースを読んだり、メールをしたり)。しかし、耳と目では事情がだいぶ異なって、携帯電話が険悪への有効な防御になるとはとても思えない。では、アイマスクでもするか? |
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◆ ある小説の一節。 ◇ 清宮は、いつも肩にかけているバッグを大事そうに抱え、誰もいない舞台の両袖に置かれた、ビアズレーのサロメに目を注いでいる。 ◆ 舞台の両袖に置かれたものを二つ同時に見るのははなかなか難しいだろうと思うけれど、それはさておき、ビアズレーのサロメ。誰もいない舞台の両袖に置かれた、ビアズレーのサロメ。「私にヨカナーンの首をくださいまし」と繰り返すサロメの声が、聞こえそうな気がする。舞台の両袖に置かれているのは、ひょっとしてヨカナーンの首ではないのか? 左右に均衡を保って配置されたヨカナーンの首ふたつ。もちろん、そんなことはありえない。じつのところ、いったい舞台の両袖にはなにが置かれているのか? ◇ (そろそろ、ストーブの季節がはじまるか……) ◆ 舞台の両袖にあるのは行燈で、どうやらその行燈の笠に、ワイルドの戯曲『サロメ』のためにビアズレーが描いた挿絵が刷り込まれているようだ。 ◇ 海猫屋の店内は、元々のレンガの質感を残した上に、新しく内装がほどこされている。店の入口近くにカウンターがあり、その内側は狭く細ながい調理場、外側には数個の椅子が並らべてある。常連はそこへ腰かけるが、ふつうの客はそこから一段下ったテーブル席へ着く。
◇ 1986年には、作家の村松友視氏が海猫屋を題材に小説を書いています。「海猫屋の客」というタイトルで朝日新聞社から出版されました。のちに文庫本にも、なっています。しかし、小説に描かれたような雰囲気やイメージは、今の海猫屋には、ありません。かって、この場所で演じられていた暗黒舞踏の「北方舞踏派」や「鈴蘭党」は、小樽を去り、海猫屋の舞踏の舞台としての価値は薄れていきました。そして、1990年には、店内を大幅に改装し、ワインと無国籍な創作料理の店として生まれ変わることになりました。1階は、バーカウンター、2階は、照明を抑えた空間に自然木の広いテーブル。とても落ち着けるスペースです。 ◆ どうやら、舞台はもうないようだ。舞台がないとなると、その両袖にあった行燈はどこに? ◇ 急な階段を上り2階に行くと、分厚い木製のテーブルが2つあり、ハロゲンランプが手元だけを照らす暗闇。部屋の隅には行灯が置かれ、よく見るとビアズレのサロメがぼんやりと浮かんでいる。 ◇ 小説の舞台にもなったらしい「海猫屋」。その2階の角々にあるランプ。近づいて造りをみてみたら…。ビアズリーの画集かなんかを拡大コピーして、ガラスの行灯に内側からコーティング…でした。
![]() ![]() ◆ ああ、ビアズレーのサロメはどこに? |
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◆ と水上勉が書いた江若鉄道の終着駅、近江今津。画像は、《大津市歴史博物館》のサイトから。「昭和44年 福田誠二氏撮影」とある。江若鉄道は1969(昭和44)年11月1日、廃止。5年後の1974(昭和49)年7月20日、国鉄湖西線が開業。 ◇ いま、湖西線が、敦賀から京都へ向かう、特急は今津を無視して走ることもある。人びとは、この本線沿いに、むかし三輛か二輛編成の電車が走り、今津駅という平べったい、小さな駅舎が、木材置場と隣りあってあったけしきを思いだすだろうか。 ◆ 初出の雑誌連載が1978(昭和53)年1月から1979(昭和54)年12月ということなので、「さいきん、といっても去年の冬」というのは、1977年か78年の冬。廃線から10年近く経って、水上勉が再訪したとき、思い出の駅舎はまだ健在だった。 ◇ 湖岸は、若狭の海とちがって、あの汐くささがない。よく北へ帰りそびれて冬ごしをはじめた鴨や雁を、よしの間に見たことがあった。淋しい岸を背中に負うた近江今津の、暗いけしきを私は愛着しているのだが、駅舎がまったく姿を消す日のことを思うと感慨無量となる。 ◆ 「駅舎がまったく姿を消す日のことを思うと感慨無量となる」と書いた水上勉は、2004(平成16)年9月8日、死去。 ◇ 人間の宿命とあわれさを見つめ続けた作家、日本芸術院会員の水上勉(みずかみ・つとむ)さんが8日午前7時16分、肺炎のため長野県東御(とうみ)市の仕事場で死去した。85歳だった。通夜、葬儀、喪主は未定。自宅は公表していない。
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