|
《東北文庫 web 物語伝承館》に、こんな文章。 ◇ 恐山の地名は元来はアイヌ語のウシヨロ(内湾の意といふ、然らば大湊を指すのであらう。恐山は実に大湊の背後にある)からウソリに転訛し、再転訛してオソリ、オソレとなつたのが、やがて地の印象と結びついてその音を恐の字に当てたのであらう。従つて旧くはこれを宇曽利(うそり)山と記したものもある。 ◆ あっ、と思った。「忍路(おしょろ)」と同じだったんだ。 ![]() ![]() ◇ 下北半島の不気味な火山、恐山は恐ろしさのための恐れ山と考えられがちですが、麓の大湊あたりに宇曾利という地名があり、宇曾利の後ろの山で宇曾利山であったわけです。北海道では函館の古名がウソリで、アイヌ語で入江の奥の波静かな所を意味しています。 ◇ 〔むつ市観光協会〕 恐山は、藩政時代には宇曽利山(うそりやま)と書かれていました。また、その昔、下北地方を宇曽利郷と呼んでいたこともあったようです。このウソリは、アイヌ語のウショロ(入江とか、湾という意味)に由来していて、これがさらに転化してオソレ(恐)になったものとみられています。 ◇ 〔小樽學:地名探索〕 忍路はアイヌ語のウシヨロ=湾からきているといわれ、江戸時代にはヲショロ・ヲシヨロなどと書かれていました。1869(明治2)年忍路郡が設置されています。忍路村は1906(明治39)年4月桃内村・蘭島村・塩谷村と合併して二級町村塩谷村となり、忍路郡唯一の村でしたが、1958(昭和33)年4月に塩谷村が小樽市に併合されて消滅、忍路郡も廃止されました。 ◆ 最後の埼玉県行田市の旧町名は忍(おし)町と読む。これらの説が正しいかどうかを判断する能力はワタシにはないのが残念。忍路と恐山。「忍」と「恐」の字が似ているのも、おもしろい。恐山の画像はおともだちの rororo さんのブログからこっそり拝借。 |
|
◆ 森鴎外『妄想』から、二度目の引用。 ◇ 自分は錫蘭(セイロン)で、赤い格子縞の布を、頭と腰とに巻き附けた男に、美しい、青い翼の鳥を買はせられた。籠を提(さ)げて舟に帰ると、フランス舟の乗組貝が妙な手附きをして、「Il ne vivra pas !」と云つた。美しい、青い鳥は、果して舟の横浜に着くまでに死んでしまつた。それも果敢(はか)ない土産であつた。 ◆ これを読んで、乗組員が乗組「貝」になっていることに気がつくひとはどれくらいいるものだろうか? もともとの底本の誤植なのか入力ミスなのかは調べないとわからないが、手入力ではなく、本をスキャンしてOCRソフトで読み取ると、どうしても校正がおろそかになってこうした間違いが多くなる。「乗組貝」で検索すると、国会の議事録など46件がヒットした。そのひとつが、《東北文庫 web 物語伝承館》に収録された夏堀正元「下北半島紀行」。
◆ この文章を読むと、ちょっと不思議な気分になる。「員」が「貝」に間違って読み取られたというだけのことなのに、それが鉄道員や国会議員ではなく、たまたま(船の)乗組員であったことで、貝との親和性が生まれてしまう。ここからあとはワタシの「妄想」だが、難破した船の乗組員の死体が、漂いながらしだいに白骨化していき、ついには貝になって海底の岩にへばりつく。ひとり、またひとり、貝になる乗組員が増えていき、仏ガ浦の断崖はますます白さを増していく。 ◇ どうしても生まれかわらねばならないのなら、私は貝になりたいと思います。貝ならば海の深い岩にへばりついて何の心配もありませんから。
◇ 〔Wikipedia〕 なお、丸刈りにすればBouz割引が適用され、1000円で鑑賞可能。これは、出征を前に丸刈りにする場面があることから来ている。 ◆ こんな企画を思いつくのはどんなひとだろう。 |
|
◆ たわむれに「灊」で検索してみると、森鴎外が出てきた。 ◇ 河は上総(かづさ)の夷灊川(いしみがは)である。海は太平洋である。 ◇ 〔Wikipedia〕 清澄山系の東方の勝浦市上植野に源を発し、数多くの渓流をあわせ複雑に蛇行しながら北流した後、大多喜町付近でその流れを東折し、いすみ市岬町和泉で太平洋に注ぐ。 ◆ たまたま見つけた森鴎外の文章、せっかくだから、全部読んだ。自伝的回想を軸にした短編。鴎外とおぼしき「白髪の主人」が別荘近くの海辺を散歩している。じっさい鴎外は夷隅川が外房の海に注ぐ河口近く、夷隅郡東海村字日在(ひあり)(現在のいすみ市日在)に鴎荘という名の別荘を持っていたそうで、散歩から戻った「主人」は、別荘の居間で、 ◇ 自分がまだ二十代で、全く処女のやうな官能を以て、外界のあらゆる出来事に反応して、内には嘗(かつ)て挫折したことのない力を蓄へてゐた時の事であつた。自分は伯林(ベルリン)にゐた。 ◆ と、留学時代の回想にふけり始める。回想といっても、こむずかしい哲学的なハナシが続くので、ワタシにはあまりおもしろくはない。だいぶとばして、留学から帰朝する場面。 ◇ シベリア鉄道はまだ全通してゐなかつたので、印度(インド)洋を経て帰るのであつた。一日行程の道を往復しても、往きは長く、復(かへ)りは短く思はれるものであるが、四五十日の旅行をしても、さういふ感じがある。未知の世界へ希望を懐(いだ)いて旅立つた昔に比べて寂しく又早く思はれた航海中、籐の寝椅子に身を横へながら、自分は行李にどんなお土産を持つて帰るかといふことを考へた。 ◆ 航海の途中、寄港したスリランカ(セイロン)でつい買ってしまった「青い鳥」。船に戻ると、そのカゴの鳥を見た船員からフランス語で声をかけられる。「Il ne vivra pas !」(その鳥はじきに死ぬよ)。すでにだいぶ弱っているのを売りつけられたのだろうか。
|
|
◆ 「いすみ市」が「夷灊市」だったらということを夢想しているうちに、ヤヤコシイ漢字を使った市名に「塩竈市」があるのを思い出した。《Yahoo!知恵袋》にこんな質問。 ◇ 宮城県「しおがま市」の漢字表記は、旧字体を用いて「塩竈市」とするのが正式なのですか? 郵便局配布の郵便番号簿には、そのように記載されています。難しい漢字ですね。 ◆ たしかに難しい漢字だが、「竈」はふつうには「カマド」と読まれる字で、「釜」の旧字体であるわけではない。まったく別の漢字である。その点では、「塩釜」と書くのは、たとえば「塩鎌」と書くのと同じくらいにおかしいはずだが、カマドは「釜戸」とも書かれることがあるので、強弁すれば、「塩釜」の「釜」は「釜戸」の「戸」を省略したもの、という説明も成り立つだろうか。塩竈市は、 ◇ 〔Wikipedia〕 「塩釜市」と表記されることも多く、塩竈市内にある市以外の機関の名称の多くは「塩釜」になっており(郵便事業の支店も塩釜支店である。なお、杜の都信用金庫は塩竈営業部である)、JRの駅名でも「塩釜」(塩釜駅,本塩釜駅など)であるが、釜は所謂「ナベ・カマ」の「かま」であり、竈は釜をのせる「かまど」のことなので、字義が異なる。
◇ 〔塩竈市:「竈」の字の書き方〕 塩竈市役所で作成する公文書においては、「塩竈」を使用することになっています。ただし、市民の方、あるいは他の官公庁が「塩釜」と表記した文書については、「塩竈」と解釈して受理することとしています。 ◆ とりあえず「しおがま市」に変更される気配はなさそうだ。 |