MEMORANDUM

  アイゴー

◆ 「日刊ゲンダイ」(おやじしか読まない夕刊タブロイド紙)に、韓国五輪代表フィジカルコーチという肩書きを持つ人がしばらくエッセーを書いている。そのなかに、

◇ 「選手から《セイゴーさん》と呼ばれていたのですが、いつからか《アイゴーさん》に変わりました。アイゴーの意味が分からなかったので通訳に聞いてみたら、『嘆くときに感嘆詞として使う』と教えてくれました。相当に練習がキツかったようですね。意味が分かった瞬間、つい笑ってしまいました」
池田誠剛「日韓サッカーの狭間に揺れて 5」(「日刊ゲンダイ」2013年1月12日付)

◆ 「日刊ゲンダイ」と言えば、五木寛之が1975年の創刊時から「流されゆく日々」というコラムを書き続けていて、もう9000回を越えている。以下の文章は「日刊ゲンダイ」とは関係がないが、「アイゴー」とは関係がある。

◇  平壌の競馬場は、それほど大きなものではなかった。それだけに、観客の数も少なく、空気はきれいで平和ないい遊び場だった。向う正面のアカシアの花の下を、原色の騎手の帽子がチラチラ見え隠れに走る風情は、抒情的な風景でさえあった。
 なにぶん子供の頃のこととて、具体的な数字も何も記憶に残ってはいない。ただ、ゴール寸前で、それまで悠々とトップを走っていた馬が不意に崩れるように転んだ時、そばの朝鮮人の老人が、「哀号!」という絶えいるような叫びをあげた、その声だけを良く憶えている。
 この「哀号」という叫びを、その後、私は何度きいただろうか。
 一度は、関釜連絡船(下関-釜山間)の長いブリッジの上で、私服の官憲に連れの男を引き立てられて行く白衣の美しい娘の号泣として聞いた。
 また、ある時は、一尺ちかい魚を、手もと寸前ですくいそこねた少年の叫び声としても聞いた。話はそれるが、ポーカーや、麻雀や、花札などのゲームで。千慮の一失というべき失策をやらかした時など、思わず「哀号(アイゴー)!」と呟いて相手に変な顔をされることがある。そんな場合に、実にぴったりな感じなのだ。

五木寛之『風に吹かれて』(1968; 新潮文庫, p.145)

◆ この「アイゴー」という感嘆詞を枕に、もう少しハナシをふくらませてみようと思って、《Wikipedia》を見てみたら、

〔Wikipedia:アイゴー〕 アイゴー (아이고) は朝鮮語の感嘆詞。元々は朝鮮語固有の語であるため、本来漢字表記は存在しない。古い書籍などでは漢字で「哀号」と書かれているものもあるが、日本で作られた当て字である。哀号を朝鮮語読みにすると애호(エホ)になる。
ja.wikipedia.org/wiki/アイゴー

◆ なんだ、「哀号」というのは当て字だったのか。これでふくらむはずのハナシがなくなってしまった。アイゴー!

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