MEMORANDUM

  異常な速度で

◆ 「異常な速度で」と、内田樹は書いている。

◇ 私たちの社会では、「他者が何かを失うこと」をみずからの喜びとする人間が異常な速度で増殖している。
内田樹『邪悪なものの鎮め方』(バジリコ,p.82)

◆ 先の首相は「友愛」だの「win-win」だのと声高に叫んではいたが、そんなものは絵空事としてだれも耳を傾けようとはしなかった。ゼロサム社会の縮図としてのゼロサムゲームを「battle royal」よろしく演じているのは、現実主義者の子どもたちである。ゲームの規則は単純だ。「偏差値」のスコアをとにかく上げればいい。偏差値を上げる方法は二つ。たったの二つ。

◇ 自分の学力を上げるか、他人の学力を下げるか、である。
内田樹『邪悪なものの鎮め方』(バジリコ,p.83)

◆ 「そして」と、内田樹は書いている。

◇ そして、ほとんどの人は後者を選択する。
内田樹『邪悪なものの鎮め方』(バジリコ,p.83)

◆ ! これには、かなりびっくりした。偏差値を上げるのに、こんな魔法のような方法があっただなんて! そして、「ほとんどの人」がその方法を知っていてその方法を採用していただなんて! ワタシも子どものころから知っていれば、以下のような方法をどんどん取り入れていたことだろう。あのころ、どうしてこんな単純なことに気がつかなかったのだろう?

 ◇ だから、学習塾で学校より先に進んでしまった子どもたちは、授業妨害の仕事にたいへん熱心に取り組む。それは「教師の話を聴かないで、退屈そうにしている」という消極的なしかたで教室の緊張感を殺ぐことから始まり、私語する、歩き回る、騒ぎ立てる、というふうにエスカレートする。
 彼らがそれほど熱心なのは、それを「勉強している」ことにカウントしているからである。
 たしかに、彼らは級友たちの学習時間を削減し、学習意欲を損なうことには成功しているのである。だから、そのささやかな努力の成果は彼らの「偏差値」のわずかな上昇として現れることを期待してよいのである。

内田樹『邪悪なものの鎮め方』(バジリコ,p.83-84)

◆ じっさいの教育現場がどうなっているのかについては、知る機会がないのでよくわからない。もしかしたら、ここに書かれているような事態は、あるいは特殊な例かもしれないし、あるいは内田氏独自の特殊な見方であるかもしれない。とはいえ、教育の問題を別にしても、私たちの社会が「異常な速度で」変わりつつあるという感覚は、漠然とであれ多くのひとが共有しているのではあるまいか?

◆ 引用した内田樹の文章は、かれのブログ《内田樹の研究室:忙しい週末 once again》でも(ほぼ同様なものが)読める。

関連記事:

このページの URL : 
Trackback URL : 

POST A COMMENT




ログイン情報を記憶しますか?

(スタイル用のHTMLタグが使えます)