MEMORANDUM

  ズレている人

◆ 週刊誌の連載エッセーで、劇団ひとりが実家の飼い犬(コロ)の死のハナシを書いていた。

◇  コロの訃報を聞いて実家に帰り、手を合わせたその日の夜、出張専門のペット火葬業者がきた。トラックの荷台には火葬設備が整っており、神々しい光と音楽に包まれて皆で泣きながら別れを告げる。一時間ほどして、すっかり骨になってしまったコロを見つめる僕ら家族に向かって業者の人が言った。
「お年の割に骨はしっかりしています。きっと、いっぱい可愛がってもらえた証拠です」
 その一言を聞き、庭を元気に走り回っていたコロを思い出して皆で再び泣いた。そしてずべてを終え、去っていく火葬車を見て、母が涙を拭きながら言った。
「ほんと便利な世の中になったね」
 その瞬間、空気が止まる。
 確かにそうだ。家まで業者が来てくれて、見送るセレモニーも火葬も、その場で済んでしまうのだから便利である。ただ、それを言うタイミングではない。そして、さらに追い打ちの一言。
「人間にも、こういうのがあったら便利なのにね」
 本気なのか冗談なのかも分からない。皆で聞こえないふりをして家に帰った。

劇団ひとり「そのノブは心の扉」(『週刊文春』2010年8月5日号,p.70)

◆ ワタシ自身は、できることならあまり他人とズレないように、人並みにふつうに生きたいと思っているけれど、ズレているひとのハナシを聞くのは好きだ。このハナシもおもしろく読んだ。そう書いて、いや待てよ、このハナシを「おもしろく」読むこと自体がズレていたりはしないだろうか、とちょっと不安になった。どうなのだろう? ところで、このコロの葬儀の場で、ズレているのはいったい誰? 劇団ひとりのお母さん? 火葬業者の人? それとも、劇団ひとり自身? やっぱり、一番ズレているのは、こんな文章でさえ気軽に読み飛ばせないワタシかなあ。

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