MEMORANDUM

  ラスプーチンのコーヒー

◆ 「外務省のラスプーチン」と呼ばれた元外交官の佐藤優はコーヒー好きのようだ。

◆ 2003年、東京拘置所のライオネス・コーヒーキャンディー。

◇  三十一房の隣人がゴミを出した後、私がゴミを出す。隣人のゴミの中にライオネス・コーヒーキャンディーの赤色の包み紙がいつも大量に捨てられていた。未決勾留者が自費で購入できるのはカンロ飴だけだが、確定死刑囚は購入可能商品のリストが異なりコーヒーキャンディーを買うことができるようだった。
 拘置所ではインスタントコーヒーを平日は二回(午前十時と午後三時)、休日は一回(午前九時)しか飲めないので、コーヒー党にとって、このキャンディーはほんとうに重宝する。私が大森一志弁護人に相談して調べてもらったら、拘置所指定の売店経由でコーヒーキャンディーの差し入れができることがわかったので、早速入れてもらうことにした。今も街でこのキャンディーを見ると確定死刑囚の姿を思い出す。

佐藤優 『国家の罠』(新潮文庫,p.469)

◆ 1987年、モスクワの代用コーヒー。

◇ 当時、モスクワでは物不足が深刻化し、コーヒーが街から消えていた。その代わり、藁(わら)と麦を煎(せん)じ、それに牛乳を入れて煮込んだ代用コーヒーが大学の食堂やカフェでは出されていた。厚手のグラスに入れるが、澱(おり)が三分の一くらい下の方に沈む。うわずみだけを飲むのである。日本のコーヒー牛乳のような風味で私は好きだったが、ロシア人のインテリたちはこの代用コーヒーを嫌っていた。
佐藤優 『自壊する帝国』(新潮文庫,p.72)

◆ 1989年、ラトビアのリガのコーヒーカクテル。

◇ チェックインを終えると、私たち四人はホテルのカフェでコーヒーを飲んだ。モスクワではお目にかかったことがないようなおいしさだった。ちょっと酒の香りがするので尋ねてみると、「バルザン」というリガの薬草酒が少し入っているということだった。その上にホイップクリームがのっている。私は以前、ダブリンで飲んだアイリッシュ・コーヒーを思い出した。
Ibid., p.180

◆ 1989年、リガ近郊の友人宅のトルココーヒー。

◇ サーシャがいれた濃いトルコ・コーヒーを飲みながら話をした。
Ibid., p.181

関連記事:

このページの URL : 
Trackback URL : 

POST A COMMENT




ログイン情報を記憶しますか?

(スタイル用のHTMLタグが使えます)