MEMORANDUM
2006年09月


◆ 党員でもないので、今日20日開票が行われる自民党総裁選に、それほど関心があるわけでもないけれど、どうして揃いも揃って(二世だか三世だか四世だかの)世襲議員ばかりが世にはばかるのだろうか? 江戸時代じゃあるまいし、職業選択の自由が制限されているわけでもないのに、いささか気味が悪い。

◇ 3氏ともいわゆる世襲議員で、安倍氏の父は安倍晋太郎元外相、母方の祖父は岸信介元首相、谷垣氏の父は谷垣専一元文相、麻生氏の父は麻生太賀吉元衆院議員、母方の祖父は吉田茂元首相、夫人は鈴木善幸元首相の3女。
www.fpcj.jp/j/mres/japanbrief/jb_669.html

◆ 政治の世界では、「世襲」 の反対語は 「叩き上げ」 になるのだろう。

◇ 「馬喰の息子」 田中角栄に始まる系譜(田中-竹下-金丸-小沢-梶山-野中)は、小沢ら二世議員を除き、みな地方出身の叩き上げ、平等志向を内包した非エスタブリッシュメント出身者だった。その系譜が倒されてみれば何のことはない、権力は二世議員ら苦労も生活実感もない、生まれながらの 「勝ち組」 を約束されたエスタブリッシュメントたちの手中に戻ったというわけだ。
homepage2.nifty.com/mi-show/zakkichou/mi-show_zakkichou/zakkichou6.html

◆ 魚住昭著 『野中広務 差別と権力』 によると、典型的な 「叩き上げ」 政治家であった野中広務は、引退間際の2003年9月、自民党総務会に出席し、最後に総務会長の堀内光雄に発言を求めた。

◇  「総務会長、この発言は、私の最後の発言と肝に銘じて申し上げます」
 と断って、山崎拓の女性スキャンダルに触れた後で、政調会長の麻生のほうに顔を向けた。
 「総務大臣に予定されておる麻生政調会長。あなたは大勇会の会合で 『野中のような部落出身者を日本の総理にはできないわなあ』 とおっしゃった。そのことを、私は大勇会の三人のメンバーに確認しました。君のような人間がわが党の政策をやり、これから大臣ポストについていく。こんなことで人権啓発なんてできようはずがないんだ。私は絶対に許さん!」
 野中の激しい言葉に総務会の空気は凍りついた。麻生は何も答えず、顔を真っ赤にしてうつむいたままだった。

魚住昭 『野中広務 差別と権力』 (講談社文庫, p.392)

◆ 私は絶対に許さん! 叩き上げ議員の悲鳴にも似た最後の怒りが世襲議員の胸にどこまで響いたか。

◇ その四月に広務は府立園部中学に入学した。園部中は丘の上の園部市城本丸跡にあった。かつての城門がそのまま校門として使われ、亀岡町(当時)、綾部町(当時)など各地から選りすぐられた生徒たちがその門をくぐった。
魚住昭 『野中広務 差別と権力』 (講談社文庫, p.37-38)

◆ 小学生のころから城跡めぐりが好きだったワタシだが、園部城は訪れたことがない。だから写真がなくて、文章でたどることしかできないのが残念だが、

◇ 現在、園部城跡の本丸跡には園部高校が建っている。高校の正門が園部城本丸の城門(櫓門)で、実に堂々としている。これだけ立派な門を持つ高校は全国でも珍しい。
shiro39.hp.infoseek.co.jp/kinki/sonobe/sonobe.htm

◆ とにかく、城跡に建てられた学校という風景には、なにかそそられるものがある。たとえば、金沢城跡には、かつて金沢大学があり、観光名所の石川門がその正門だった。

◇ 十数年前、私、金沢大学の学生でした。そのころは城跡に大学があって、毎日、石川門をくぐって通っていたんですよ。
plaza.rakuten.co.jp/airshow/diary/200604110000/

◇ 赴任当時、 教養部は城内キャンパスにありました。 金沢市の中心地、しかも緑豊かな金沢城内のキャンパスは、 大都会の殺伐とした風景を見慣れた私には、 空気も水も緑も、 すべてが新鮮に輝いていて、 とても贅沢な空間でした。 そうした環境にふさわしく、 学生ものびのびと学生生活を楽しんでいるように見えました。
www.geocities.jp/eckiku/11nen.html

◆ また、仙台城の二の丸跡には東北大学の文系キャンパスが置かれている。

◇ みなさん、東北大学法学部へようこそ。東北大学法学部のキャンパスは、仙台市街から程近い青葉山の麓、青葉城とも呼ばれた仙台城のかつての二の丸跡の緑豊かな地にあります。南には仙台城本丸の城壁や深い緑に包まれた青葉山、そしてよく晴れた日には、遥か彼方に太平洋の青い海原から牡鹿半島までを望むことができます。
www.law.tohoku.ac.jp/welcome/

◆ また、琉球大学はかつて首里城跡にあった。

◇ 皆さんを迎え入れるに当たり、他の国立大学とは異なる本学の設立の経緯と歴史を紹介します。本学は1950年5月22日、戦禍によって灰燼に帰した首里城の跡地に、米国の施政権下にあって、創設されました。
www.ryudai.jp/general/gakuhou/old/393/1-1.htm

◆ また、大学以外でも、近江の彦根城内に彦根東高校がある。

◇ 彦根東高校は、彦根城内の中濠と内濠の間にあり、まわりには緑も多く、落ち着いた雰囲気の中に立地しています。(全国的に見ても城内に学校があるのは珍しい)
www.hikonehg-h.shiga-ec.ed.jp/files/map1.pdf

◇ なぁ~に長男が受けた高校は亭主の母校でもある。亭主が通っていた当時の校舎が今もそのままで残っている、お城の中の学校である。
www.biwako.ne.jp/~jibu/diary/0503_02.html

◆ また、茨城の水戸城は、

◇ 現在の城跡は文教地区となっており、水戸一高の他、水戸三高、水戸第二中学校、三の丸小学校、茨城大附小、茨城大附幼が建っている。
ja.wikipedia.org/wiki/水戸城

◆ あと、丹波篠山城には篠山小学校、鳥取城には鳥取西高校、唐津城には唐津東高校など。探せばほかにも見つかると思うが、とりあえず知っているのはこれくらい。