MEMORANDUM

  遷化

せんげ【遷化】 《この世の教化を終え、他の世に教化を移すの意》 高僧や隠者などが死ぬこと。入滅。
小学館 『大辞泉』

◆ 直接の顔見知りではない著名人の場合、訃報のニュースを見逃すと、その死後もワタシのアタマのなかではずっと生き続けたままだ。たとえば、

◇ 西村が修復を手がけた仏像は千三百余体。三十三間堂の千手観音をはじめ、拝観者が不用意に指を折った広隆寺の弥勒菩薩像や、平等院の阿弥陀如来像、東大寺の金剛力士像、三月堂の不空羂索(けんじゃく)観音像も彼の手でよみがえった。それだけでない。知られずにいる多くの末寺諸寺の仏像修復も手がけている。その人に会えなくなったのは残念だ。
倉部きよたか 『京都人は日本一薄情か』 (文春新書, p.168)

◆ ・・・会えなくなったのは残念だ。あれ、公朝さんはいつのまに亡くなられていたのだったか。愛宕(おたぎ)念仏寺の住職であり、仏像修復の第一人者として名高い仏師、西村公朝。ワタシは、数年前の正月、京都に帰省したおり、たまたま彼の著作を実家で読んでいて、そのなかの榧(かや)の生木に不動明王を彫ったというハナシに興味をそそられた。昭和30年ごろ、仏像修復のために通っていた寺の住職から、境内にある直径2メートルほどのカヤの神木にぜひ不動明王を彫ってほしいと頼まれ、一日で彫り上げたという。

◇ その立木不動は今もそのままの場所にあります。ところが、彫り上がったときはそれこそみずみずしい黄色のきれいな不動さんだったのですが、時がたつにつれて、木皮をはいだ部分がだんだん茶色に変色して皮肌になろうとしているのです。そして木皮をはいだ、ちょうど額縁の縁にあたるところが次第に肉盛りして盛り上がってきました。生きている木ですから、目立ちはしませんけれど年々確実に太くなってきているのです。そして傷口をふさごうとする木の勢いで盛り上げてくる。そうすると、その不動さんは周囲がだんだん縮められて奥へ奥へ入っていくような感じになるのです。ですから、ひょっとしたら今から百年ぐらいたつと、その不動さんはすっかり木皮に覆われてしまうのではないでしょうか。そうなると、仮に全木皮に包み込まれたとして、その榧の木がいつか枯れて倒れたとします。そして何かの機会にそのふくれた部分がポコンととれて中から不動さんが出てきたとすればどうでしょう。何百年か後の人たちはおそらく吃驚(びっくり)仰天するのではないでしょうか。
西村公朝 『仏像は語る』 (新潮文庫, p.40)

◆ 場所は伏見区醍醐の善願寺。実家からそれほど遠くないのでさっそく見に行った。目立たない場所にあったが、御神木であるカヤの木の周りの空気はいくぶん張りつめていて、不動明王は凛として緊張がみなぎっていた。そこだけ少し輝いているようにも見えた。そんなことがあった。2003年の正月のことだ。

◆ 彼が住職をしていた愛宕念仏寺のサイトの 「西村公朝プロフィール」 の末行には、

◇ 平成15年12月2日 遷化 享年89歳
www.otagiji.org/page012.html

◆ とあった。平成15年、ワタシが善願寺の榧の木不動を見に行ったその年の暮れに、公朝さんは遷化されていたのだった。遅ればせながら、合掌。

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