MEMORANDUM
2005年01月


◆ イヤなことはなるべくしない。しなければいけないときには、自分以外のせいにはしない。そんな風に生きられればいいと思う。

◆ このサイトも一応は Café と称しているのだから、もうすこし愛想よくしようと思う。

◆ 厄年だからというわけでもないだろうが、また久しぶりに自転車に乗ったからというわけでもないだろうが、新年早々、二十世紀から使ってきたPHSをどこかに落としてしまった。しようがないので、新しいPHSに機種変更をした (最初に漢字変換したら「騎手変更」と出たのはワタシのパソコンだからだろうか?)。DDIポケット (これも2月から WILLCOM に社名変更だそうだ) の 「国内で初めてケータイ向けサイトだけでなく、パソコン用サイトも閲覧可能」 という機種だが、まあ見ることもあまりないだろう。

◆ 一応交番に出向いて、紛失届も出してきたが、連絡先を書くときに少し困った。ウチには固定電話を引いていないので、連絡先にはいつもPHSの番号を書いてきたのだけれど、今回ばかりはその番号を書くわけにはいかなかった (とそのときは思ったが、今はもうその番号で新しく買ったPHSにつながるわけで、なにも気にすることはなかった)。

◆ 問題は登録してあった電話番号をいちからまた登録しなおさなければならないことで、部屋をあちこちひっくり返せばすべて再登録することも可能なように思うけれども、なんだか億劫な気がしてやる気がしない。それに近ごろ「ものごとはできるだけシンプルな方がいい」と思うようにもなってきていたりするので、とりあえず必要最小限の番号だけ登録しておくことにして、あとはふとかっかってきたときにでも登録すればいいかとも思う。

◆ それにしてもワタシのPHSはいまどこにあるのだろう。落とした次の朝、雨が降った。びしょ濡れだろうか? それともどこかで雨宿りしていただろうか? それからもうひとつ気がかりなのは、PHS本体に録音された(そして消去できずに残された)留守番電話の声。あの声は、あのアナタの声は、二十世紀の記憶とともに永遠に消え去り、もう戻ってはこないだろう。それだけが少しカナシイ。

◆ そんなこんなで、ひとつの事件に対処するのにもあれこれ考えてしまって、なかなか飽きない人生を今日も送っているワタシなのでありました。

◆ 1月27日、駒沢通り恵比寿南交差点。なぜだかここにシャルル・ド・ゴール空港行きの切符(RER)が落ちていて、つい拾ってしまった。そしたら、中原中也の詩「月夜の浜辺」を思い出してしまった。

  それを拾つて、役立てようと
  僕は思ったわけでもないが
  なぜだかそれを捨てるに忍びず
  僕はそれを、袂に入れた。

  中原中也 「月夜の浜辺」(『在りし日の歌』所収,青空文庫

◆ 中学か高校の国語の教科書に載っていただろうか。だからよく憶えている。月夜の浜辺で詩人が拾ったものは、ひとつのボタン。ワタシが拾ったものは、真昼間の東京でパリの切符。つながるものはなにもない。

◆ 拾うためにはその前に、だれかがそれを落とさねばならず、あるいはそれを捨てなければならない。どこのだれかもしらないひとの記憶の断片がいまここにあって、それは何も語りはしないのだが……。