MEMORANDUM

  かくも雅な京ことば

◆ 東京は今年「江戸開府400年」とかで、盛り上がっているのかいないのかよく知らないけれども、京都では十年ほど前に「平安建都1200年」を祝った。日本の文化の中止は今も昔も京都であることは、つとに周知の事実であって、あらためて再確認する必要はないだろう。そんな京文化の一端をご披露することにしよう。

◆ 「だるまさんがころんだ」なる子どもの遊びがある。あるけれども京都ではそんな野暮ったいコトバは使わない。すなわち、

◇ 坊さんが屁をこいた

◆ と云うのである。坊さんは「ぼンさん」と発音すべし。京都では石を投げればお坊さんに当たるので、別段「坊さん」が出てきたところで驚くには当たらない。たたし、ひとつ注意しておくべきなのは、この「さん」づけである。

◇ 他府県の方の目には奇妙に映るかもしれませんが、京都ではものに対しても「さん付け」をします。 / この「さん付け」の対象となるのは主に「飴さん、あげさん(油揚げ)、ふーさん(麩)」など食べ物や、「八坂さん(八坂神社)」や「お稲荷さん(稲荷大社)」など寺社仏閣に関するものが多いようです。まあ中には「うんこさん」などという変わり種もありますが……。 / この「さん付け」に類似する丁寧表現としては、「おこた、おだい(大根)、お寺」のような、語頭に「お」をつける言い方や、その「お」と「さん付け」を併用した「おかい(粥)さん、おまめさん」という言い方があります。 /  ただし「お」にしても「さん」にしても、どの言葉にでもつくのではなくて、それぞれつく言葉とつかない言葉が暗黙の了解のうちに決まっています。
www.aurora.dti.ne.jp/~zom/Kyo-to/bumpo-T.html

◆ どうだ、参ったか! なんと「うんこさん」であるぞ。なんと雅な表現であろう。これを低俗なアニミズムと混同しては、それこそ罰(バチ)が当たる。ただ「屁さん」とは云わない。ウンコは固体であるが、屁は気体であって目に見えないからである。見えないものまで敬う必要はない。

◆ ところで、なぜ「坊さんが屁をこく」必要があるのか、と訝しがる方もなかにはおられるかもしれないが、仕方がないではないか、坊さんも人の子である。生理現象まで修行で克服するわけにはいかない。仏教の五戒(不殺生・不偸盗・不妄語・不邪婬・不飲酒)にも「屁をこくな」の文字は見当たらない。お釈迦さまも時には菩提樹の陰でご放屁しあそばれたことであろう。

◆ さて京の文化はまだ続く。なにしろ奥が深いのである。もし京の人が「坊さんが屁をこいた」ではなく、「だるまさんがころんだ」という鄙びた掛け声をどこかの田舎で耳にする機会があったとすれば、必ずやこう尋ねるはずである。「で、続きは?」。京都と姉妹都市のパリジャンならば、「エ・アロール(Et alors)」と云うところである。「だるまさんがころんで、それからどうなったのか?」と。そして答えを聞いて、愕然とするのである。「続きはありません」。これを京都とこれまた姉妹都市のアメリカはボストンから来た交響楽団の一員がたまたま聞いたなら、「アンビリバボー」と肩をそびやかしたに相違ない。だから間違ってもその答えをこれまた姉妹都市の西安市民に告げてはならない。暴動が起きる。

◆ 紙面が尽きた。つづきは次回。

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