MEMORANDUM

◆ 電車のなかで本を読むと、こんなこともある。

◇ やっと交番から逃れて切符を買ってる時、お前はどこへ行くのだ、僕はとよ四季と云う所にかじ屋があるので、其処へ働きに行くんですと云ったらば、駅の人が、柏で降りて、野田線に乗りかえるんだと云って、野田線からとよ四季へ行かれると云われました。「夕飯はまだ食べてないのか。よし腹がへってるだろう」袋そっくりせんべいを貰って僕は記者の中で食べました。とよ四季でかじ屋へ行く道がわからないので、やっと教えて貰って行って見れば違うかじやで、方々聞いてもわからないので、仕方がないからこの辺で使って貰おうと思っても、誰も使う人は居ないのでした。「とよ四季じゃ人を使う家は無いから、柏へ行って使って貰えよ」と云われて駅へ行ったら、駅の人に、「お前はどこへ行くのだ」と聞かれたので、僕はその通り話をして、金は持って居ないので、ただ切符を貰って有りがたく思いました。(昭和十六年・十九歳)
池内紀編 『山下清の放浪日記』(五月書房,p.30)

◆ 野田線。この文章を読んだのが、たまたま東武野田線の電車のなかだった。

◆ オーエス劇場というと、ストリップ劇場のことかと思われる方も多そうだが(多くないか)、こんなオーエス劇場もある。

沖浦 そうそう。大阪ならディープ・サウスと呼ばれる「新世界」。やはりかつて差別されていた地区ですが、特に飛田遊廓のすぐそばの小屋、オーエス劇場がいいですね。昔ながらの木戸で、世間ではあまり名も知られていないドサ回りの一座の幟(のぼり)が、戦前そのままの狭い長屋通りに何本もはためいています。
三國 いやあ、話に聞くだけで、昔ながらの雰囲気が分かりますよ。それで、どんな出し物をやっているんですか?
沖浦 故あってアウト・ローの世界に入り、この浮世には戻れぬ哀れなやくざの人情話みたいなのが多いんですが、客は紅涙(こうるい)をしぼりながら観てますよ。ちょっと名の売れた一座なら、たいてい満員ですね。

三國連太郎・沖浦和光『「芸術と差別」の深層』(ちくま文庫,p.160)

◆ 今年の1月5日、通天閣を初めて見た。京都に住んでいたのに、おとなりの大阪にはあまり行くことがなかった。というわけで、大阪の地理にかなり疎い。いま大阪の地図を見ている。市内に24の区。東京の23区より多いんだな。大阪にはキタとミナミがあることは知ってたけど、その先に「ディープ・サウス」があることを、地理的によく理解していなかった。通天閣のある新世界、日雇い労働者の街・釜ヶ崎(あいりん地区)、特殊な料亭が立ち並ぶ飛田新地などの地名を聞きかじったことはあるけれど、それらがどのような位置関係にあるのかはまったく知らなかった。天王寺動物園で「カバのナツコ」を見た帰り、あたりをぶらぶら散歩しているときに目についたのが「ドサ回りの一座の幟」がはためくオーエス劇場だった。

◆ オーエス劇場というと、梅田にあった映画館(現在TOHOシネマズ)のことかと思われる方もおられるかもしれない。

〔Wikipedia〕 創業者の小林一三によると、社名の由来は綱引きのかけ声の「オーエス」から採ったようである。
ja.wikipedia.org/wiki/オーエス

◆ 豊四季駅前四軒横丁。三年半前は二軒横丁。いまは一軒横丁。ちょっと悲しい。

◆ こんなニュース記事を読んだ。《asahi.com(朝日新聞社):空きビルが和モダンな宿に変身 壊さず使う道探る 大阪 - 社会》

◇ 取り壊されるはずだった大阪市西区のビルが、外国人観光客らをターゲットにした宿泊施設に変身した。ビジネスホテルでもなく、民宿とも違うが、部屋は和風かつモダン。改装を手がけた建築設計事務所は、欧米に比べ寿命が短いとされる国内の建築物のあり方にも一石を投じたいという。「ホステル64(ロクヨン)オオサカ」。ビルの建築年(1964年)にちなんで名付けられ、3月中旬にオープンした。初の外国人客となったドイツ人のマイケル・ヒルベルグさん(34)とソニア・シュバッパさん(34)のカップルは特別室(1室1万4700円)に泊まった。〔後略〕
www.asahi.com/national/update/0501/OSK201005010071.html

◆ この記事からドイツ人の旅行好きというテーマに導かれるひともいるかもしれないが、ワタシがこの記事に惹かれたのは1964という数字で、1964年、昭和39年に、このビルと同じ年にワタシは生まれた。さいわいワタシはまだ取り壊されてはいないが、長年住んでいたボロアパートが取り壊されることになったので、引越をした。引越した先もボロアパートで、建物はワタシより年上の1962年生まれ。

引越後のかたづけもすまないうちに、パソコンが壊れてしまい、あたふたしています。

◆ 昨日の「天声人語」に、

◇ ホンダ、ソニーと紛らわしい「HONGDA」のオートバイや「SQNY」の乾電池が出回った国である。中国のコピー癖に今さら驚きはしないが、国の威信をかけたイベントまでとはニセモノ天国も半端じゃない。
 上海万博のPRソングが岡本真夜(まよ)さんのヒット曲にそっくりな件で、万博実行委が岡本さん側に「あの曲を使わせてほしい」と申し出た。

www.asahi.com/paper/column20100421.html

◆ 「HONGDA」のオートバイに「SQNY」の乾電池、思わず笑ってしまうこの種のネーミング。「パチもん」というコトバがすぐに浮かんだが、これは関西方言だったか? 標準的なコトバでは「コピー商品」?

〔日本語俗語辞書〕 パチモノは関西で盗むという意味の「ぱちる」と「品物」の合成語で、デザインや機能を盗んだ品物ということから、こう呼ぶようになったという説、また「うそっぱち」のパチからきたという説もある。「パチモン」と崩した言い回しのほうが広く浸透している。
zokugo-dict.com/26ha/pachimono.htm

◆ さらには、「コンパチブル(compatible)」のパチからという説もあるらしいが、これはどうだろう。関西出身のワタシとしては、「ぱちったモノ」を語源とするのがしっくりする。この「モノ」はたいていは「物」だろうが、「者」の場合もないとはいえない。「パチ者(もん)」の例を、先日9日に亡くなった井上ひさしの小説から。

◇ 「旦那さん方もずいぶん耄碌しているんだね。ビラの字がよく見えなかったんだろ。ビラには“ちあき おみ”“五ひろし”と書いてあったはずだよ」
 六人はあまり莫迦々々しくて笑う気にもなれず、黙々とコップを口に運んだ。
「うちにはね、ちあき おみや五ひろしのほかにも、美空ばりとか、三波春とか、施明とか、北三郎とか、前寺清子とか、由紀おりとか、朝丘路とか、んからトリオとか、凄いのがいるんだよ」
 金歯が、得意なのか自棄(やけ)なのか、どっちかわからないような口調で説明した。老ホステスが手酌でビールをぐい飲みしながら、
「司会者にも凄いのがいるんだよ。まず、置宏だろ、宮尾か志だろ、そいから高橋三だろう。こないだなんか田輝もやってたもの」

井上ひさし『浅草鳥越あずま床』(新潮文庫,p.65)

◆ いや、「パチ者」の入力は面倒だものだな。

  引越

◇ 昔の東京人には引越好(ずき)の人が多かった。斜(ななめ)に貼った貸家札は町をあるけばいくらでも眼についた時分、家賃三月分の敷金さえ納めればいつでも越せる御時世だったからでもあったが、やはり時々固まった生活のしこりを解きほごして新しい空気を通わすのに格好な手段だった。
 それには貸家に限ることで、自分で建てた家となると動くにもそう手軽くは行かない。葛飾北斎の引越好は有名な話だけれど、北斎ほどでないまでも、東京人で庶民暮らしをして来たものは多少とも引越の経験を持たないことはないであろう。
 私にしてからも幼い時から今日までの長い間ではあるけれど、居を移すこと三十回に手が届く。
 十代までは勿論自分の意思ではないけれど、私の母が相当な引越好で他人の家を我が家のように手をかけて、人すぐれた綺麗好きだから拭き掃除も念入(ねんいり)にして、はいった時と見違えるようになった自分には、もうそろそろ家に厭きてくる、典型的な江戸庶民型だった。それほどではないまでも、私にも知らず識らずそうなる傾向があるらしい。

鏑木清方 「引越ばなし」(『明治の東京』所収,岩波文庫,p.20-21)

◆ 久しぶりに引越をした。他人のではなく自分の引越。とうのむかしに「家に厭きて」いたのに気がつかないふりをして過ごしてきたら、十四年がたっていた。がちがちに「固まった生活のしこり」も、すこしは解きほごれて、すこしは新しい空気が通うようになっただろうか? とりあえず日当たりはよくなった。