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    <title>SaturnianCafe - Memorandum</title>
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    <updated>2010-09-02T09:16:57Z</updated>
    
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    <title>もろこし</title>
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    <published>2010-09-02T09:16:40Z</published>
    <updated>2010-09-02T09:16:57Z</updated>
    
    <summary>◆ 富士スバルラインの終点の富士山５合目の「もろこし」。この「もろこし」というのがトウがなくてもトウモロコシのことであることは（そこで現物を焼いているので）すぐにわかったけれど、この「もろこし」という...</summary>
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        <![CDATA[<a href="http://photo.saturniancafe.com/archives/2010/08/25/index.php#140229"><img src="http://photo.saturniancafe.com/1008/100825_140229a.jpg" width="160" height="120" class="left" alt="2010/08/25"></a>◆ 富士スバルラインの終点の富士山５合目の「もろこし」。この「もろこし」というのがトウがなくてもトウモロコシのことであることは（そこで現物を焼いているので）すぐにわかったけれど、この「もろこし」という言い方は一般的なのだろうかということが気になって調べてみると、長野・山梨あたりの方言であるらしい。

<span class="text">◇ <small>〔まちBBS：☆長野県の方言～四言目～☆〕</small> この間、関東の方にもろこし（とうもろこし）と、うり（きゅうり）と言ったら、何で略してるのぉ～ｗ　って笑われたんです。もろこしとうりは方言なんですかね？</span>
<span class="url">www2.machi.to/bbs/read.cgi/kousinetu/1116398031/</span>

<span class="text">◇ えっ、「もろこし」って方言だったんですか？ 知らなかった。両親の実家が山梨なこともあって、普通に「もろこし」って言ってました。</span>
<span class="url">logpi.jp/higuchama/permalink/1707250</span>

◆ 方言といっても、かたちの上ではトウモロコシの語頭のトウを省略しただけに思えるので（語源的な経緯はしらない）、その場合はくだけた俗語として長野・山梨にかぎらず全国的に用いられもするだろう（スナック菓子の「もろこし村」とか「焼きもろこし」とか）。

<span class="text">◇ <small>〔ほぼ日刊イトイ新聞-みうらじゅんに訊け！ ──この島国 篇：山梨県〕</small> <strong>みうら</strong>　ぼくは、とうもろこしが好きなことで家では有名です。じゅんはとうもろこしが好きだ、とうもろこしが入っていれば苦手なものも食う、と、評判でした。例えば、ぼくはサラダは好きじゃないですけど、とうもろこしをプラスしてもらえればとうもろこしだと思ってサラダも食べるぐらいとうもろこしが好きです。ですから、とうもろこしを焼いて売っているところでは、当然、買います。前回、富士山の５合目に車で近づいたときもそこで<font color="#008040">もろこし</font>を焼いてることは、すぐに発見しておりました。</span>
<span class="url">www.1101.com/shimaguni/jun/2008-07-06.html</span>

<a href="http://photo.saturniancafe.com/archives/2010/08/29/index.php#220517"><img src="http://photo.saturniancafe.com/1008/100829_220517a.jpg" width="120" height="160" class="right" alt="2010/08/29"></a>◆ みうらじゅんは京都出身だから、ここはぜひともナンバと言ってほしかったが、ここでの「もろこし」を方言だとは呼べないだろう。あと、トウモロコシの方言として有名なのが、北海道のトウキビ。

<span class="text">◇ 札幌の大通公園は、トウキビの立ち食い風景の名所のひとつで、紳士淑女でも、だれはばからず、黄金のかぶりつきが見られる。</span>
<span class="url">達本 外喜治『北の国の食物誌』（朝日文庫，p.142）</span>

◆ さっき引用したみうらじゅんのモロコシ談義がおもしろいので、もう少し。

<span class="text">◇ <strong>みうら</strong>　ところでぼくは、「１もろこし、ひとり」という考えで、これまでやってきました。１本のもろこしをふたつに割って人に与えるほどの余裕はないです。もろこしは、１本まるまる自分が食う、という考えです。でも、必ず「ちょっと食べさせて」という人がいるでしょ？　ぼくは「ちょっと食べさせて」がいちばん嫌いです。だったら１本買えばいいじゃないか、と思うんです。しかしどうやら、特に東京の人は、「ちょっと味見」が好きなようで、ちょっと食べる人、多いです。</span>
<span class="url">www.1101.com/shimaguni/jun/2008-07-06.html</span>

<a href="http://photo.saturniancafe.com/archives/2010/09/01/index.php#213812"><img src="http://photo.saturniancafe.com/1009/100901_213812a.jpg" width="160" height="120" class="right" alt="2010/09/01"></a>◆ 全文は<a href="http://www.1101.com/shimaguni/jun/2007-07-22.html" target="_blank">コチラ</a>。この文章を読んだあと、スーパーで１もろこしを買ってひとりで食べた。とくに好きだというわけでもないので、ふたつに割って人に与えてもよかったんだけど、あいにく「ちょっと食べさせて」と言うひとがそばにいないもので、ひとりで食べた。９月になったが、まだまだ暑い。もうすこし涼しくなったら、また１もろこしを買って食べよう。

<span class="text">　　しんとして幅広き街<small>（まち）</small>の
　　秋の夜の
　　玉蜀黍<small>（たうもろこし）</small>の焼くるにほひよ</span>
　　<span class="url">石川啄木『一握の砂』</span>]]>
        
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    <title>仁丹の町名看板</title>
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    <published>2010-08-23T20:26:15Z</published>
    <updated>2010-08-23T20:36:18Z</updated>
    
    <summary>◆ こんなニュース。 ◇ 〔京都新聞（2010年08月11日）〕 京都市内のまちかどに残る仁丹の町名表示板を、医薬品製造販売の森下仁丹（大阪市）が戦後初となる増設に乗り出す。明治時代のレトロな味わいが...</summary>
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        <![CDATA[◆ こんなニュース。

<span class="text">◇ <small>〔京都新聞（2010年08月11日）〕</small> 京都市内のまちかどに残る仁丹の町名表示板を、医薬品製造販売の森下仁丹（大阪市）が戦後初となる増設に乗り出す。明治時代のレトロな味わいがある縦長のほうろうに外交官の商標のデザインは踏襲し、京都市内の設置希望者の家に来年２月に２５枚前後を設置する。黒字明朝体の町名表示の書き手も募集する。数年かけて増やす計画だ。</span>
<span class="url">www.kyoto-np.co.jp/sightseeing/article/20100811000066</span>

<span class="text">◇ <small>〔朝日新聞（2010年8月20日）〕</small> 町名の下に、ひげの紳士と「仁丹」の２文字。森下仁丹（大阪市）のほうろう製広告看板が約８００枚残る京都市内で、同社が新たに２５枚を設置する。</span>
<span class="url">www.asahi.com/national/update/0819/OSK201008190104.html</span>

◆ この仁丹の町名看板には、どうでもいいが、ひげの紳士が「町名の下に」いるタイプのものと「町名の上に」いるタイプのものの２種類がある。下の画像、左は下京区のもの、右は上京区のもの。下京区だから町名の下、上京区だから町名の上、なんてことはないとは思うけど。

<center><a href="http://photo.saturniancafe.com/archives/2010/08/19/index.php#175709"><img src="http://photo.saturniancafe.com/1008/100819_175709a.jpg" width="120" height="160" class="center" alt="2010/08/19"></a><a href="http://photo.saturniancafe.com/archives/2009/10/03/index.php#zzb"><img src="http://photo.saturniancafe.com/0910/091003zzba.jpg" width="120" height="160" class="center" alt="2009/10/03"></a></center>

<span class="text">◇ <small>〔京都新聞：取材ノートから（社会部・樺山聡）（2010年５月26日掲載）〕</small> 仁丹の町名表示板は美しい。京都の道ばたで長い歳月の波にもまれながら生き残り、今も路地での右往左往を見守る。縦長ほうろう板に明朝の字体。外交官を模した紳士の絵。確実に減ったが、時代に逆らうかのような孤独な立ち姿は老いを迎えた街にも重なる。</span>
<span class="url">www.kyoto-np.co.jp/kp/rensai/syuzainote/2010/100526.html</span>

◆ たしかに「仁丹の町名表示板は美しい」。ただ、これまたどうでもいいが、この字体を「明朝」とは言わないだろう。明朝体は活字の字体。仁丹の看板の町名はどうみても楷書の手書き。]]>
        
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    <title>浴衣の袂</title>
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    <published>2010-08-23T07:16:10Z</published>
    <updated>2010-08-23T13:28:25Z</updated>
    
    <summary>◇ 〔朝日新聞〕 大阪市西区で幼い姉弟が自宅に置き去りにされ死亡し、母親の＊＊＊＊容疑者（２３）が死体遺棄容疑で逮捕された事件は６日未明に遺体発見から１週間となる。現場マンション前には連日１００人以上...</summary>
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        <![CDATA[<span class="text">◇ <small>〔朝日新聞〕</small> 大阪市西区で幼い姉弟が自宅に置き去りにされ死亡し、母親の＊＊＊＊容疑者（２３）が死体遺棄容疑で逮捕された事件は６日未明に遺体発見から１週間となる。現場マンション前には連日１００人以上が訪れ、手を合わせている。<small>〔中略〕</small> ジュース、お菓子、おにぎり、おもちゃ、絵本、子ども服、「気付かずにごめんなさい」と書いた手紙……。飲み物の多くはストローが挿され、食べ物の箱やふたは開けられている。「幼い子でも飲みやすいように」との思いからだ。マンション前を訪れた人は３日に約１５０人、４日はさらに増え、５日も正午までに３０人以上を数えた。</span>
<span class="url">www.asahi.com/kansai/news/OSK201008050059.html</span>

<a href="http://photo.saturniancafe.com/archives/2005/07/22/index.php#145046"><img src="http://photo.saturniancafe.com/0507/050722_145046a.jpg" width="160" height="120" class="right" alt="2005/07/22"></a>◆ このニュース記事が気になっていた。「ジュース、お菓子、おにぎり、おもちゃ、絵本、子ども服」、なにもこんな陰惨な事件の現場に行かなくても、近くの寺の片隅のある水子地蔵の前に、似たような風景はあるだろう。多くの寺で、おもちゃ、ぬいぐるみの類に埋め尽くされた水子地蔵は何度も見た。けれど、そこに、ストローが挿された飲み物や箱やふたが開けられた食べ物があったのかどうか。あったのだとして、ストローが挿された飲み物を見て、「幼い子でも飲みやすいように」そうしてあるんだな、と即座に気がついたかどうか。「『幼い子でも飲みやすいように』との思いからだ」という一文は、母親ではないひとに向けた、母親の気持ちがわからないひとのための説明で、母親であるひとにとっては、ごくあたりまえの余計な注釈にすぎないのだろうか。

◆ このニュース記事が気になっていたので、とりあえず記事にしておこうと思って、さいしょに考えたのが、小林秀雄の<a href="http://hi.baidu.com/qieliunian/blog/item/e11b50b4945d02c836d3cabb.html" target="_blank">「人形」</a>というエッセーと並べてみるということだった。作者が急行列車の食堂車のテーブルで相席することになった老夫婦。妻は大きな人形を抱えている。人形は、「背広を着、ネクタイをしめ、外套を羽織って、外套と同じ縞柄の鳥打帽子を被っていた」。

<span class="text">◇ 妻は、はこばれたスープを一匙すくっては、まず人形の口元に持って行き、自分の口に入れる。それを繰返している。</span>
<span class="url">小林秀雄「人形」</span>

◆ 飲み物にストローを挿すという行為は、スプーンで人形の口元にスープを運ぶ老婦人の行為と関連がないわけではないだろう。見えない人形。でも、すっきりしないし、とんでもなくあさはかな理解の仕方であるような気がして、記事にするのをやめにした。

<a href="http://photo.saturniancafe.com/archives/2010/08/22/index.php#a"><img src="http://photo.saturniancafe.com/1008/100822a.jpg" width="160" height="120" class="left" alt="2010/08/22"></a>◆ 昨日、京都ではあちこちで地蔵盆が行われた。なつかしい「四宮の夜店」をすこしぶらついた。金魚すくいをする少女。よく見ると、背後から母親が浴衣を引っ張っている。さいしょは「もう終わりにしなさい」という意味かと思ったが、そうではなくて、金魚すくいに夢中になっている娘の浴衣の袂が濡れないようにと、浴衣の背中を引っ張っているのだった。

◆ この光景を見て、気になっていたニュース記事のストローが挿された飲み物のハナシをまた思い出した。それで、どうせまとまりのない記事を書くのなら、人形のハナシなんかよりは、こちらの金魚すくいをする少女の浴衣の袂のハナシのほうが、たんじゅんでふさわしいような気になった。母親であるというのは偉大なことだ、とあいかわらずほとんど理解できないながらも、そうつぶやきなくなった。]]>
        
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    <title>狐にビール</title>
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    <published>2010-08-18T20:28:13Z</published>
    <updated>2010-08-19T02:51:00Z</updated>
    
    <summary>◆ 小さな祠のお稲荷さんの狐の前に、コロナ・エキストラ。メキシコのビール。狐はビールを飲むのかな？　狐の親戚の猫だってビールを飲むそうだから、やっぱり狐も飲むんだろうな。でも、あの猫がビールを飲んだの...</summary>
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        <![CDATA[<a href="http://photo.saturniancafe.com/archives/2010/08/17/index.php#a"><img src="http://photo.saturniancafe.com/1008/100817a.jpg" width="120" height="160" class="left" alt="2010/08/17"></a>◆ 小さな祠のお稲荷さんの狐の前に、コロナ・エキストラ。メキシコのビール。狐はビールを飲むのかな？　狐の親戚の猫だってビールを飲むそうだから、やっぱり狐も飲むんだろうな。でも、あの猫がビールを飲んだのはたったの一回きりだったな。

<span class="text">◇ 吾輩は我慢に我慢を重ねて、ようやく一杯のビールを飲み干した時、妙な現象が起った。始めは舌がぴりぴりして、口中が外部から圧迫されるように苦しかったのが、飲むに従ってようやく楽になって、一杯目を片付ける時分には別段骨も折れなくなった。もう大丈夫と二杯目は難なくやっつけた。ついでに盆の上にこぼれたのも拭うがごとく腹内に収めた。
　それからしばらくの間は自分で自分の動静を伺うため、じっとすくんでいた。次第にからだが暖かになる。眼のふちがぽうっとする。耳がほてる。歌がうたいたくなる。猫じゃ猫じゃが踊りたくなる。主人も迷亭も独仙も糞を食えと云う気になる。金田のじいさんを引掻いてやりたくなる。妻君の鼻を食い欠きたくなる。いろいろになる。最後にふらふらと立ちたくなる。起ったらよたよたあるきたくなる。こいつは面白いとそとへ出たくなる。出ると御月様今晩はと挨拶したくなる。どうも愉快だ。</span>
<span class="url">夏目漱石『吾輩は猫である』（<a href="http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/789_14547.html" target="_blank">青空文庫</a>）</span>

<a href="http://photo.saturniancafe.com/archives/2010/08/09/index.php#163606"><img src="http://photo.saturniancafe.com/1008/100809_163606a.jpg" width="120" height="160" class="left" alt="2010/08/09"></a><a href="http://photo.saturniancafe.com/archives/2010/08/09/index.php#163446"><img src="http://photo.saturniancafe.com/1008/100809_163446a.jpg" width="120" height="160" class="right" alt="2010/08/09"></a>◆ でも、一回でも飲めたから幸せだったか。そういえば、ちょっと前に見た狐たちは、未来永劫ビールを飲む機会はないだろうな。酔っ払って暴れたから檻に入れられてるのかもしれないけど。左のはまだ隙間だらけだから差し入れもできそうだが、右のは上からビールをぶっかけるしかないな。コイツ、よっぽど悪いことしたんじゃないかな。]]>
        
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    <title>寝そべる</title>
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    <published>2010-08-18T07:04:53Z</published>
    <updated>2010-08-18T13:38:46Z</updated>
    
    <summary>◆ 腰が痛いので、パソコンのディスプレイを台から下ろして床に置き、寝そべりながら画面を見ている。ついでに、同じ姿勢でビールを飲んでいる。寝そべっているのは、ワタシだけではない。式根島の民宿のジイさんも...</summary>
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        <![CDATA[◆ 腰が痛いので、パソコンのディスプレイを台から下ろして床に置き、寝そべりながら画面を見ている。ついでに、同じ姿勢でビールを飲んでいる。寝そべっているのは、ワタシだけではない。式根島の民宿のジイさんも寝そべっているらしい。

<span class="text">◇ 　壁ぎわに民宿のジイさんが片肘ついて寝ころんでいた。昨日とまったく同じ姿勢である。当人の言い分によると、人間にとってこれが一番ラクな姿勢で、若いころからこんなふうにしてきた。夜はいつも寝そべっている。酒もこのままチビチビやる。
　そういえば鼻先にお盆があって、コップ酒がのっている。おトシのほどは定かでないが、人生の半分をゴロリと横になったまま過ごしてきたというのは、なかなか豪勢な生き方ではあるまいか。</span>
<span class="url">池内紀『ニッポン発見記』（講談社現代新書，p.122）</span>

◆ 寝そべっているのは、式根島の民宿のジイさんばかりではない。蓮實重彦によると、夏目漱石の小説の主人公はみな寝そべっているらしい。

<span class="text">◇ 「生憎主人はこの天に関して頗る猫に近い性分」で、「<u>昼寝</u>は吾輩に劣らぬ位やる」と話者たる猫を慨嘆せしめる苦沙彌の午睡癖いらい、「医者は探りを入れた跡で、<u>手術台</u>の上から津田を下した」という冒頭の一行が全篇の風土を決定している絶筆『明暗』の療養生活にいたるまで、漱石の小説のほとんどは、きまって、横臥の姿勢をまもる人物のまわりに物語を構築するという一貫した構造におさまっている。『それから』の導入部に描かれている目醒めの瞬間、あるいは『門』の始まりに見られる日当りのよい縁側での昼寝の光景、等々と逐一数えたてるまでもなく、あまたの漱石的「存在」たちは、まるでそうしながら主人公たる確かな資格を準備しているかのごとく、いたるところにごろりと身を横たえてしまう。</span>
<span class="url">蓮實重彦『夏目漱石論』（福武文庫，p.27）</span>

◆ でも苦沙弥先生は架空の存在だから、実在の人物で寝そべっているのが似合いそうなひとといえば、先月亡くなった森毅先生だろうか。

<span class="text">◇ <small>〔産経新聞大阪本社版夕刊：関西笑談（2002年5月24日）〕</small> <strong>森</strong>　〔……〕 僕は不器用やから、実験なんかするとガスをつけっ放しにするから危なっかしくてね。一番安全なのが数学なのよ。ガス管爆発せえへんから。数学は寝そべってたらいいからね。ものぐさの勉強好きが行くのが理学部やね。</span>
<span class="url">www.ne.jp/asahi/koto/buki/rikuryo/a205/mori/mori05.htm</span>

<span class="text">◇ 実際に氏の講義を受けた人から聴いたことがあるのだが「XXXX（西洋の哲学者だったか？失念）は寝て話したんや」と言いながら、実際に壇上に寝っころがって講義したりしていたという。</span>
<span class="url">d.hatena.ne.jp/gryphon/20100726/p3</span>

◆ どこまでホントかしらないが、寝そべっている姿がサマになるひとはそうはいないだろう。

<span class="text">◇ 数学者で社会問題にも独特な視点で論評し、「よろず評論家」として活躍した京都大名誉教授の森毅（もり・つよし）さんが２４日、敗血症性ショックのため大阪府内の病院で死去した。８２歳だった。２００９年２月、自宅で料理中に重いやけどを負って入院していた。葬儀は行わない。<small>〔中略〕</small> ０９年２月２７日、１人でフライパンを使って昼食を作っていたところ、コンロの火が服に燃え移り、体全体の３０％以上に重いやけどを負って大阪府内の病院に搬送された。そのまま入院し、治療を続けていた。</span>
<span class="url">www.asahi.com/obituaries/update/0725/OSK201007250090.html</span>

◆ この訃報を読むと、「実験なんかするとガスをつけっ放しにするから危なっかしくてね」と、自らの不器用を自覚して危険のない数学を専攻するにいたった若きの日の判断が、ほら正しかったやろ、と自らの最期に証明したようでもあって、悲しくも可笑しい。あの世では、好きなだけ寝そべっているだろうか。

◆ いや、寝そべっていると腰は楽だが、首が痛い。とかくこの世はままならぬ。]]>
        
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    <title>京の七口</title>
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    <published>2010-08-14T22:11:01Z</published>
    <updated>2010-08-14T22:11:49Z</updated>
    
    <summary>◆ ご当地検定といえば、「京都検定」（京都・観光文化検定）が有名で、2004年に行われた第１回３級（いちばん下のランク）の問題をチラリと見てみると、 ◇ 問題98：京都駅前のシンボルとなっている、京都...</summary>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://memo.saturniancafe.com/">
        <![CDATA[◆ ご当地検定といえば、「京都検定」（京都・観光文化検定）が有名で、2004年に行われた第１回３級（いちばん下のランク）の問題をチラリと見てみると、

<span class="text">◇ 問題98：京都駅前のシンボルとなっている、京都タワーが竣工したのはいつか。
（ア）昭和36年　（イ）昭和39年　（ウ）昭和42年　（エ）昭和45年
問題99：かつて洛中の周囲に設けられた「京の七口」のうち、東海道の出入口として適当なものはどれか。
（ア）丹波口　（イ）粟田口　（ウ）大原口　（エ）鞍馬口</span>
<span class="url">www10.plala.or.jp/chinujyou/kyotokentei1kai3kyuu.html</span>

◆ 問題98、これは、ワタシにとって、「アナタが生まれたのはいつか」と問われているのと同じ。京都タワーの竣工は、1964（昭和39）年。問題99、「東海道の出入口」とあるので、これは粟田口しかない。「京の七口」というコトバを知らなくても、正解できる。じっさいワタシが「京の七口」というコトバを知ったのは、（忘れていたのでなければ）つい先日のことだった。

<span class="text">◇ 「京に七口あり」
　という。白河口とか鞍馬口とか、あるいは丹波口、鳥羽口、粟田口といった用い方で、京都ではいまでも地名としてつかわれている。平安京は防御しにくい山城盆地におかれたが、それでも七口をふさげばなんとか侵入軍をふせげた。歴史上、身近な例として会津盆地がある。会津盆地に入るためにはいくつかの口を経ねばならない。明治戊辰の乱で孤立した会津藩は、この口々に塁塞をつくって新政府軍をふせごうとし、口の防衛戦では「滝沢口」の戦いがもっともよく知られている。</span>
<span class="url">司馬遼太郎『街道をゆく３』（朝日学芸文庫，p.151-152）</span>

◆ と、ワタシが「京の七口」というコトバを知った文章を引き写していると、読んだときには気にならなかったが、「白河口」なんてあったっけ、これは（京には白川という川があるから）「白川口」の誤植じゃないのか、という気がしてきて、《Wikipedia》を見てみると、

<span class="text">◇ 京の七口（きょうのななくち）とは、京（京都）につながる街道の代表的な出入口の総称として用いられる。七口として示される出入口の場所および名称は史料によっても異なり、定まっていない。</span>
<span class="url">ja.wikipedia.org/wiki/京の七口</span>

◆ とあり、「現代において七口の一つとよく称される代表的な口」として挙げられているのは、「鞍馬口」「大原口」「荒神口、今道の下口」「粟田口、三条口」「伏見口、五条口」「竹田口」「東寺口、鳥羽口」「丹波口」「長坂口、清蔵口」で、「白河口」も「白川口」も見あたらない。どうも、この「白河口」というのは、京都とは関係がなくて、戊辰戦争時の「白河口の戦い」で知られる福島県白河市の白河口のことであるようだ。どうして、この白河口が京の七口に紛れ込んだのか。ちなみに「白川口」のほうも、京都にはないようだが、岐阜県に高山本線の駅名として白川口というのがある。駅名といえば、山陰本線の駅に丹波口があって、これは京の七口のひとつ（だった）。

<span class="text">◇ 丹波口の駅で乗り降りする客の誰もは、みな島原のこの遊郭を歩くのだった。律儀なつとめ人も、学校の子らも、この土地にうまれて、列車を利用する者は、みな、遊郭のけしきを見ながら歩いたのだ。
　日本の国鉄駅で、遊郭を駅前通りとする駅はおそらく、この丹波口くらいではなかろうか。</span>
<span class="url">水上勉『停車場有情』（朝日学芸文庫，p.31）</span>

◆ この「遊郭を駅前通りとする駅」も、いまはない。

<span class="text">◇ <small>〔wikipedia〕</small> 1976年（昭和51年）3月16日 - 高架駅化・北へ500メートル移転。</span>
<span class="url">ja.wikipedia.org/wiki/丹波口駅</span>]]>
        
    </content>
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    <title>お豆のままで</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://memo.saturniancafe.com/archives/2010/08/13_1534.php" />
    <link rel="service.edit" type="application/atom+xml" href="http://blog.saturniancafe.com/mt334/mt-atom.cgi/weblog/blog_id=5/entry_id=5625" title="お豆のままで" />
    <id>tag:memo.saturniancafe.com,2010://5.5625</id>
    
    <published>2010-08-13T06:34:54Z</published>
    <updated>2010-08-19T02:47:16Z</updated>
    
    <summary>◇ 「豆は、お豆のままでイイですか？」と、コーヒー豆買うときに言われて、なんだかおかしかった^^ na2meg.exblog.jp/8036115/ ◆ とブログに書いているひとがいて、「なんだかおか...</summary>
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        <![CDATA[<span class="text">◇ 「豆は、お豆のままでイイですか？」と、コーヒー豆買うときに言われて、なんだかおかしかった^^</span>
<span class="url">na2meg.exblog.jp/8036115/</span>

◆ とブログに書いているひとがいて、「なんだかおかしかった」理由についてはふれていないので、想像するしかないのだが、たぶん「お豆」という言い方が「なんだかおかしかった」のではないかと思う。

<a href="http://photo.saturniancafe.com/archives/2010/08/13/index.php#a"><img src="http://photo.saturniancafe.com/1008/100813a.jpg" width="160" height="120" class="left" alt="2010/08/13"></a>◆ ワタシがさいきんコーヒー豆を買っている店でも、女性の店員が「挽きますか？　お豆のままですか？」と聞くので、つられて「お豆のままで」と繰り返しそうになるのをがまんして「そのままで」と答えると、店員がもう一度ていねいに「お豆のままですね」と復唱してくれる（してないか）。その「お豆のままで」という台詞を聞くのが楽しみで、また豆を買いに行く。豆、お豆、お豆さん。

<span class="text">◇ <small>〔かんでんe-Patio〕</small> 京都や大阪では豆のことを親しみを込めて「お豆さん」と呼びます。古くから私たちの生活と関わってきたお豆さんには植物の命がぎゅっと詰まっています。</span>
<span class="url">www.kepco.co.jp/e-patio/category/living/1202182816/</span>

<a href="http://photo.saturniancafe.com/archives/2009/07/11/index.php#a"><img src="http://photo.saturniancafe.com/0907/090711a.jpg" width="160" height="120" class="right" alt="2009/07/11"></a>◆ ワタシも関西出身なので、「お豆さん」と言い方に違和感はない。だけど、この「お豆さん」にコーヒー豆を仲間入りさせていいものやら。舶来の豆だからって仲間はずれにするほうがおかしいと反省すべきなのかも。だけど、「お豆さん」と聞くと、和食でないものをなかなか想像できない。<a href="http://www.fujicco.co.jp/products/omamesan.html" target="_blank">《フジッコのおまめさんシリーズ》</a>にもコーヒー豆はないしなあ（あるわけないか）。

<a href="http://photo.saturniancafe.com/archives/2010/08/17/index.php#203907"><img src="http://photo.saturniancafe.com/1008/100817_203907a.jpg" width="120" height="160" class="left" alt="2010/08/17"></a>◆ 関西方言の「お豆さん」はともかく、豆に「お」をつけて「お豆」と言うのは、ほとんどが女性で、「お」をつけることで、上品に聞こえるかはともかく、少なくともやわらかく聞こえる。敬語の一種になるのだろう。同じ女性でも「お」をつけたりつけなかったり。

<span class="text">◇ <small>〔Webマガジン幻冬舎：甲斐かずえ「おいしい珈琲をごいっしょに」第11回〕</small> お豆の販売をする時には、必ず「豆のままでいいですか？　粉にしますか？」と聞いています。その時のお客さんはこの質問に「んっ？」と一瞬ためらいながらも、「いやぁ、実はこの前、人から頂いた珈琲はあまり良くなかったみたいで、お湯をかけても色が出ないんですよ」と言うのです。<small>〔中略〕</small> よくよく聞くと、その方は、「豆のままの状態にお湯をかけていた」のでした。</span>
<span class="url">webmagazine.gentosha.co.jp/coffee/vol133_coffee.html</span>

◆ 敬語の使い方にかんして、ビールやコーヒーなどの外来語に「お」をつけて「おビール」「おコーヒー」というのは間違い、などということがよく言われる。もしかすると、コーヒー豆を買うときに「お豆」と言われると、「おコーヒー」と言われたのと同じ違和感を感じるのかも。外来語そのものでなくても、外来のものに「お」がついているのがちょっと引っかかるのかも。そんな気もする。

<a href="http://www.youtube.com/watch?v=fJhColRpyhA&feature=related" target="_blank"><img src="http://photo.saturniancafe.com/misc/458.jpg" width="160" height="120" class="left" alt="YouTube"></a>◆ 「お豆のままで」という歌は聞いたことがないけど、「素顔のままで」という歌なら聞いたことがある。ビリー・ジョエルの「Just the Way You Are」。太ったビリー（<a href="http://memo.saturniancafe.com/archives/2009/06/22_0601.php">「ビリー・ジョエルは６０歳」</a>）のすてきな歌声を聞きながら、さて、コーヒーでも飲むことにするか。まずはマンデリンのフレンチローストのお豆をミルで挽いてから。]]>
        
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    <title>ひまつぶし</title>
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    <published>2010-08-05T22:12:40Z</published>
    <updated>2010-08-06T22:04:03Z</updated>
    
    <summary>◆ つくづく安上がりな生活（人生）だと思う。もちろん、ワタシ自身の生活のことだ。とくに欲しいものも思いつかないので、消費者と名のるのが気恥ずかしいほど、モノを買わない。一日を過ごすのに、たいしたモノは...</summary>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://memo.saturniancafe.com/">
        <![CDATA[<a href="http://photo.saturniancafe.com/archives/2010/06/22/index.php#a"><img src="http://photo.saturniancafe.com/1006/100622a.jpg" width="160" height="120" class="left" alt="2010/06/22"></a>◆ つくづく安上がりな生活（人生）だと思う。もちろん、ワタシ自身の生活のことだ。とくに欲しいものも思いつかないので、消費者と名のるのが気恥ずかしいほど、モノを買わない。一日を過ごすのに、たいしたモノはいらない。たとえば、こんなイメージがひとつあればこと足りる。一日、それどころか一週間、あるいは一ヶ月を過ごせるかもしれない。ちょっとした曲がり角の隙間にはめ込むようにして作られた小さな公園。一本の木の周りに木の座布団を載せた円い石の椅子が七つ。手前には、もうひとつ椅子が置けそうな空間がある。本来は八つ椅子があったのだろうか？　その痕跡のようなものもある。だが、他の椅子の根元のようには、舗石が円形に切り取られてはいない。やはり、元々七つしかなかったのだろうか。だとすると、この隙間はなにを意味するのか。などというどうでもいいことを考えていれば、あっという間に一日が過ぎる。

◆ ひとつ足りないもの、たとえば、皿屋敷のお菊さんの皿。１０枚あるべき皿がなぜか９枚しかない。ひとつ余っているもの、たとえば、萩尾望都の「１１人いる！」という漫画。１０人いるべき宇宙船になぜか１１人いる！

<span class="text">◇ 宇宙大学受験会場、最終テストは外部との接触を絶たれた宇宙船白号で５３日間生きのびること。１チームは１０人。だが、宇宙船には１１人いた！　さまざまな星系からそれぞれの文化を背負ってやってきた受験生をあいつぐトラブルが襲う。疑心暗鬼のなかでの反目と友情。１１人は果たして合格できるのか？　萩尾望都のＳＦ代表作。</span>
<span class="url"></span>

◆ １０－１＝９、１０＋１＝１１。日常生活においては、ほとんどの場合、誤差として処理されてしまうだろうような些細な数の不一致が人生を左右してしまうことも時にはある。

◆ そういえば、大学入試の点数が友人と２点差だったことがあった。ワタシは合格し、友人は不合格になった。その２点差がその後の人生を左右する、ということもあるいはあったかもしれない。ワタシはその大学には進学しなかったので、なんともいえないのだが。

◆ それから、じっとこのイメージを眺めていると、キノコに見えないでもない。円形に生えたキノコ。それで、フェアリーリングということばを思い出す。つづく。]]>
        
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    <title>さいはての駅</title>
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    <published>2010-08-03T06:10:01Z</published>
    <updated>2010-08-03T16:49:00Z</updated>
    
    <summary>◆ 雪が降っている。本のなかでは雪が降っている。林芙美子の『放浪記』。十二月×日。 ◇ 雪が降っている。私はこの啄木の歌を偶（ふ）っと思い浮べながら、郷愁のようなものを感じていた。便所の窓を明けると、...</summary>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://memo.saturniancafe.com/">
        <![CDATA[◆ 雪が降っている。本のなかでは雪が降っている。林芙美子の『放浪記』。十二月×日。

<span class="text">◇ 雪が降っている。私はこの啄木の歌を偶<small>（ふ）</small>っと思い浮べながら、郷愁のようなものを感じていた。便所の窓を明けると、夕方の門燈<small>（あかり）</small>が薄明るくついていて、むかし信州の山で見たしゃくなげの紅<small>（あか）</small>い花のようで、とても美しかった。</span>
<span class="url">林芙美子『新版 放浪記』（<a href="http://www.aozora.gr.jp/cards/000291/files/1813_30136.html" target="_blank">青空文庫</a>）</span>

◆ 「この啄木の歌」というのが、

<span class="text">　さいはての駅に下り立ち
　雪あかり
　さびしき町にあゆみ入りにき</span>

◆ で、ズレてないひとならば、<u>当然</u>、この歌の「さいはての駅」とはどこの駅なのか、「さびしき町」とはどこの町なのか、ということに思いをめぐらせることだろう。はやりのご当地検定のひとつに「道産子検定」というのがあるようで、その過去問のひとつに、

<span class="text">◇ ●第4回上級より
「さいはての駅に下り立ち　雪あかり　さびしき町にあゆみ入りにき」。歌人・詩人の石川啄木が1908年1月21日21:30ころに降り立ったとされる、ある駅の情景を詠んだものである。その「さいはての駅」とはどこのことか。
　A.稚内駅
　B.根室駅
　C.釧路駅
　D.網走駅</span>

<a href="http://photo.saturniancafe.com/archives/2007/09/09/index.php#f"><img src="http://photo.saturniancafe.com/0709/070909fa.jpg" width="120" height="160" class="right" alt="2007/09/09"></a>◆ 答えは、Ａの稚内駅だろうか？　駅前には「さいはて」という旅館もあったから。と、以前に撮った写真を載せたいばかりに、とりあえず、そう答えてみようかとも思ったが、わざとらしいのでやめにする。根室と網走は載せたい写真もとくに思いつかないので、パス。正解はＣの釧路駅。正解率は48.4％。

<img src="http://photo.saturniancafe.com/misc/454.jpg" width="120" height="160" class="left" border="1">◆ 林芙美子は、後年（1935年ごろ？）、じっさいに釧路を訪れている。駅に着いたのは夜の八時ごろ。釧路の写真も載せたいところだが、まだないので、おともだちの霧（笛）さんからのいただきもの、幣舞<small>（ぬさまい）</small>橋に飾られた本郷新の彫刻作品とカモメの画像をこっそり借用（このカモメもさいはてのカモメと呼ぶべきか？）。

<span class="text">◇ 　釧路へ着いたのが八時頃で、驛を出ると、外國の港へでも降りたやうに潮霧<small>（がす）</small>がたちこめてゐた。雨と潮霧で私のメガネはたちまちくもつてしまふ。帶廣から乘り合はせた、轉任の鐵道員の家族が、町を歩いて行つた方が面白いですよと云つて、雨の中を子供を連れた家族達が私を案内してくれた。
　山形屋と云ふのに宿を取る。古くて汐くさいはたご屋であつたが、部屋には熊の毛皮が敷いてあつた。――町を歩いてゐても、宿へ着いても、三分おきに鳴つてゐる霧笛の音は、夜着いた土地であるだけに何となく淋しい。遠くで霧笛を聽くと夕燒けの中で牛が鳴いてゐるやうな氣がする。</span>
<span class="url">林芙美子『摩周湖紀行』（<a href="http://www.aozora.gr.jp/cards/000291/files/18329_19232.html" target="_blank">青空文庫</a>）</span>

◆ 夕焼けの牛の鳴き声のような霧笛、か。翌日（六月十六日）、

<span class="text">◇ 山形屋の拂ひを濟ませて道路へ出ると、宿の前が<strong>さいはて</strong>の驛であつた。山形屋へ泊つたこともいゝではありませんかと、いまは肥料倉庫のやうな<strong>さいはて</strong>の舊驛を眼前にして、私は啄木の唄をまるで自らの唄のやうにくちずさんでゐた。
「さいはての驛に降り立ち雪あかり、淋しき町に歩ゆみ入りにき」<strong>さいはて</strong>の驛の前は道が泥々してゐて、雪の頃のすがれたやうな風景を眼の裏に思ひ出す事もできた。</span>
<span class="url"><em>Ibid.</em></span>

◆ 1908年に啄木の降り立った釧路駅は、旧駅。

<span class="text">◇ <small>〔Wikipedia〕</small> 1917年（大正6年）12月1日 - 現在地に移転、貨物の取扱を廃止（旅客駅となる）。旧駅は貨物駅の浜釧路駅となる。</span>
<span class="url">ja.wikipedia.org/wiki/釧路駅</span>

◆ 真夏の東京で、もしかしたら少しはこの灼熱も和らぐのではないかと、林芙美子に倣ってワタシも「雪の頃のすがれたような風景」を「眼の裏」にイメージしてみようとしたが、能力不足でいっこうに涼しくはならない。どうしたものか？　真冬の南半球にでも行くしかないか？　そうしよう。しかし、

<span class="text">◇ <small>〔朝日新聞〕</small> 冬の南半球。南米各地では、寒波で少なくとも２００人以上の死者が出ている。ボリビアでは過去に降雪記録がない地域で雪が降り、チリでは各地で吹雪による停電で交通が止まり、町が孤立した。アルゼンチンでは寒さで少なくとも１４人が死亡、ホームレスの人を屋内に収容するなどの対策に追われ、ガス需要が増えたため炭で料理するレストランもあるという。ペルーでも、標高３千メートル以上の地域で零下２４度を記録し、政府が緊急事態宣言を出した。</span>
<span class="url">www.asahi.com/national/update/0725/TKY201007240512.html</span>

<a href="http://rorobird.exblog.jp/14816803/" target="_blank"><img src="http://photo.saturniancafe.com/misc/456.jpg" width="180" height="120" class="left"></a>◆ そうか、大寒波か。こりゃ大変だな。じっさいに行くのはやめにして、お手軽にネット旅行。こんな画像はどうだろう？　これは南米パタゴニアの氷河。撮影は、おともだちの rororo さん。皆既日食を見るために、はるばる地球の裏側のさいはての地まで！

<a href="http://rorobird.exblog.jp/14857492/" target="_blank"><img src="http://photo.saturniancafe.com/misc/455.jpg" width="180" height="120" class="right"></a>◆ 納涼気分で、rororo さんのブログ<a href="http://rorobird.exblog.jp/14857492/" target="_blank">《忍法火遁の術：パタゴニア旅行記》</a>を読んでいると、世界最南端の都市、アルゼンチンのウシュアイアの西に広がるフエゴ島国立公園には「世界の果て列車（El Tren del Fin del Mundo）」が走っているそうで、これは廃線になっていた木材輸送のための森林鉄道を観光客向け鉄道として復活させたものらしい。この鉄道の始発駅が「世界の果て駅（Estación del Fin del Mundo）」だそうで。こんなところにも「さいはての駅」はあったのだなあ、と感慨深い。思わず啄木を連れて行きたくなる。

◆ ところで、フエゴ島は過去に流刑地であった歴史があり、島の中心都市ウシュアイアも囚人たちの労働によって建設された。というようなコトを知ると、思わず口ずさんでしまうのは、

<span class="text">♪ 遥か 遥か彼方にゃ オホーツク
　 紅い真っ紅な ハマナスが
　 海を見てます 泣いてます
　 その名も 網走番外地</span>
　 <span class="url">高倉健「網走番外地」（作詞：タカオ・カンベ）</span>

◆ となると、さっきの道産子検定に戻って、答えは、Dの網走駅でどうだろう？

<a href="http://photo.saturniancafe.com/archives/2005/08/19/index.php#d"><img src="http://photo.saturniancafe.com/0508/050819da.jpg" width="160" height="120" class="right" alt="2005/08/19"></a>◆ 「さいはての駅」とはなんの関係もないけど、最初に引用した林芙美子の『放浪記』の文中に、「しゃくなげの紅い花」、最後に引用した「網走番外地」の歌詞のなかに、「紅い真っ紅なハマナス」。たまたま、紅い花ふたつ。と書いて、またまた不安になる。高倉健の歌う「紅いハマナス」は花なのか？　それとも実なのか？　まさか道産子検定の問題になってはいないだろうな。]]>
        
    </content>
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    <title>ズレている人</title>
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    <published>2010-08-02T03:59:13Z</published>
    <updated>2010-08-02T04:07:27Z</updated>
    
    <summary>◆ 週刊誌の連載エッセーで、劇団ひとりが実家の飼い犬（コロ）の死のハナシを書いていた。 ◇ 　コロの訃報を聞いて実家に帰り、手を合わせたその日の夜、出張専門のペット火葬業者がきた。トラックの荷台には火...</summary>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://memo.saturniancafe.com/">
        <![CDATA[◆ 週刊誌の連載エッセーで、劇団ひとりが実家の飼い犬（コロ）の死のハナシを書いていた。

<span class="text">◇ 　コロの訃報を聞いて実家に帰り、手を合わせたその日の夜、出張専門のペット火葬業者がきた。トラックの荷台には火葬設備が整っており、神々しい光と音楽に包まれて皆で泣きながら別れを告げる。一時間ほどして、すっかり骨になってしまったコロを見つめる僕ら家族に向かって業者の人が言った。
 「お年の割に骨はしっかりしています。きっと、いっぱい可愛がってもらえた証拠です」
　その一言を聞き、庭を元気に走り回っていたコロを思い出して皆で再び泣いた。そしてずべてを終え、去っていく火葬車を見て、母が涙を拭きながら言った。
 「ほんと便利な世の中になったね」
　その瞬間、空気が止まる。
　確かにそうだ。家まで業者が来てくれて、見送るセレモニーも火葬も、その場で済んでしまうのだから便利である。ただ、それを言うタイミングではない。そして、さらに追い打ちの一言。
 「人間にも、こういうのがあったら便利なのにね」
　本気なのか冗談なのかも分からない。皆で聞こえないふりをして家に帰った。</span>
<span class="url">劇団ひとり「そのノブは心の扉」（『週刊文春』2010年8月5日号，p.70）</span>

◆ ワタシ自身は、できることならあまり他人とズレないように、人並みにふつうに生きたいと思っているけれど、ズレているひとのハナシを聞くのは好きだ。このハナシもおもしろく読んだ。そう書いて、いや待てよ、このハナシを「おもしろく」読むこと自体がズレていたりはしないだろうか、とちょっと不安になった。どうなのだろう？　ところで、このコロの葬儀の場で、ズレているのはいったい誰？　劇団ひとりのお母さん？　火葬業者の人？　それとも、劇団ひとり自身？　やっぱり、一番ズレているのは、こんな文章でさえ気軽に読み飛ばせないワタシかなあ。]]>
        
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    <title>傘の差し方</title>
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    <published>2010-08-02T03:23:27Z</published>
    <updated>2010-08-08T10:53:28Z</updated>
    
    <summary>◆ 雨が降っている。本のなかでも雨が降っている。だから、アタマのなかでも雨が降っている。松浦寿輝の『花腐し』の冒頭。 ◇ どうしてそんなに濡れるの、肩も背中もずぶ濡れじゃないのとずいぶん昔にほんの二年...</summary>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://memo.saturniancafe.com/">
        <![CDATA[◆ 雨が降っている。本のなかでも雨が降っている。だから、アタマのなかでも雨が降っている。松浦寿輝の『花腐し』の冒頭。

<span class="text">◇ どうしてそんなに濡れるの、肩も背中もずぶ濡れじゃないのとずいぶん昔にほんの二年ほど一緒に暮らしていた女がよく言ったものだった。変なひとねえ、ずっと傘をさしていたのにさあ、いったいどうしてこんなにぐしょぐしょになるのよ、傘のさしかた知らないの。</span>
<span class="url">松浦寿輝『花腐し』（講談社文庫，p.60）</span>

◆ 場末のラブホテルの駐車場でひとり雨宿りをしながら、むかしの女を思い出している中年男、栩谷<small>（くたに）</small>。

<span class="text">◇ あんたは傘のさしかたも知らないのねえという祥子の呆れたような声がまた耳元に響き、そうだ、見よう見真似で人並みになろうと懸命にやって来たつもりで、結局俺は傘のさしかたも箸の持ちかたも覚えずにこんな歳まで来てしまったのかもしれない、こんなどんづまりに行き着いてしまったのかもしれないと栩谷は思う。</span>
<em>Ibid.</em>, p.62

◆ そうだ、見よう見真似で人並みになろうと懸命にやって来たつもりで、結局俺は傘のさしかたも箸の持ちかたも覚えずにこんな歳まで来てしまったのかもしれない、とワタシも思う。傘の差し方、これは考えてみたことがなかったが、箸の持ち方は、（ほとんどのひとにはばれてないと思っているが）自己流だ。狭い歩道での人の避け方もよくわからなかったし（<a href="http://memo.saturniancafe.com/archives/2005/07/24_0159.php">「とっさに右？あるいは左？」</a>）、エスカレーターでの前のひととの間隔の開け方も理解するのに時間がかかった（前のひとの直後の段に乗ってしまって、窮屈な思いをしたことが何度もある）。そういったひとつひとつのことを、見よう見まねで人並みになろうと努力してきたつもりだが、けっきょくのところ、根本的なズレはどうにもならないのだろう。そろそろあきらめようか。

◆ とっくに雨は止んでいる。降っているのは、本のなかだけ、アタマのなかだけ。でも雨が止んでよかった。とりあえず傘の差し方に悩まずにすむ。]]>
        
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    <title>洋</title>
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    <published>2010-07-27T00:09:30Z</published>
    <updated>2010-07-27T00:10:33Z</updated>
    
    <summary>◇ 〔河北新報〕 第９２回全国高校野球選手権宮城大会最終日は２６日、仙台市のクリネックススタジアム宮城で決勝が行われ、仙台育英が気仙沼向洋に２８―１で大勝し、２年ぶり２２度目の甲子園出場を決めた。 w...</summary>
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        <![CDATA[<span class="text">◇ <small>〔河北新報〕</small> 第９２回全国高校野球選手権宮城大会最終日は２６日、仙台市のクリネックススタジアム宮城で決勝が行われ、仙台育英が気仙沼向洋に２８―１で大勝し、２年ぶり２２度目の甲子園出場を決めた。</span>
<span class="url"><small>www.kahoku.co.jp/news/2010/07/20100726t14030.htm</small></span>

<a href="http://photo.saturniancafe.com/archives/2006/07/24/index.php#a"><img src="http://photo.saturniancafe.com/0607/060724a.jpg" width="160" height="120" class="left" alt="2006/07/24"></a>◆ こんな小さなニュース記事をたまたま目にしていなかったら、気仙沼向洋（旧・気仙沼水産）という高校の名を知ることはなかっただろう。この名にふと目が止まってしまったのは、数年前、気仙沼に一泊することになったとき、市内には「観洋」というホテルと「望洋」というホテルがあって、どちらにしようかと迷ったことがあるからで、観洋に望洋に向洋と並べてみると、太平洋に臨む気仙沼の町のイメージがすこしは浮かび上がりもするだろうか。

<a href="http://photo.saturniancafe.com/archives/2010/06/12/index.php#a"><img src="http://photo.saturniancafe.com/1006/100612a.jpg" width="160" height="120" class="right" alt="2010/06/12"></a>◆ 観洋に望洋に向洋と並べてみて、いまさら気がついたというのもウカツなことだと思いつつ、洋、洋、洋、「洋」という漢字には「羊」がいるのだなあ、とはじめて気がついた。気仙沼の海に眠れない夜の羊がぷかぷか浮んでいる。羊、羊、羊。キミたちは泳げるのか？　もしかして太平洋を横断できたりもするのか？　なぜ「洋」という漢字に「羊」がいるのかは知らない。ちょっと調べてみたが、はっきりしない。熊楠もこう書いている。

<span class="text">◇ 曠野に無数の羊が草を食いながら起伏進退するを遠望すると、糞蛆の群行するにも似れば、それよりも一層よく海上の白波に似居る。近頃何とかいう外人が海を洋というたり、水盛んなる貌を洋々といったりする洋の字は、件<small>（くだん）</small>の理由で羊と水の二字より合成さると釈<small>（と）</small>いたはもっともらしく聞える。しかし王荊公が波はすなわち水の皮と牽強<small>（こじつけ）</small>た時、東坡がしからば滑とは水の骨でござるかと遣<small>（や）</small>り込めた例もあれば、字説毎<small>（つね）</small>に輒<small>（たやす）</small>く信ずべきにあらずだ。</span>
<span class="url">南方熊楠『十二支考 羊に関する民俗と伝説』（<a href="http://www.aozora.gr.jp/cards/000093/files/2538_34822.html" target="_blank">青空文庫</a>）</span>

◆ 「水の皮」（＝波）というのもあったか。これもたやすく信じてしまいそうになるな。]]>
        
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    <title>カリフォルニアの「駅前旅館」</title>
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    <published>2010-07-24T22:29:59Z</published>
    <updated>2010-07-24T22:32:18Z</updated>
    
    <summary>◇ 「駅前旅館」と聞くと、井伏鱒二の小説『駅前旅館』を思い出すのは、だいぶ年配の人だ。多くの若い人にとっては、「駅前旅館」と聞いてもイメージがわかないのではないだろうか。〔中略〕 この小説『駅前旅館』...</summary>
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        <![CDATA[<span class="text">◇ 「駅前旅館」と聞くと、井伏鱒二の小説『駅前旅館』を思い出すのは、だいぶ年配の人だ。多くの若い人にとっては、「駅前旅館」と聞いてもイメージがわかないのではないだろうか。<small>〔中略〕</small> この小説『駅前旅館』は森繁久彌主演の喜劇映画としてもヒットした。</span>
<span class="url">大穂耕一郎『駅前旅館に泊まるローカル線の旅』（ちくま文庫，p.9）</span>

◆ 「駅前旅館」と聞くと、ワタシなどはどちらかと言えば、映画のほうが先にアタマに浮かぶけれども、小説のほうが先に浮かぶひとももちろんいるだろうし、同時にセットで思い出すひとも多いだろう。たまたま読んでいた本にも「駅前旅館」が出てきて、これは映画のほう。

<span class="text">◇ 「じいさん、これからどうする。俺は、ブラザーといっしょにダウンタウンに行って、日本の映画でも見ようかなと思っている。羅府新報に広告が出ていた。森繁久彌ゆうムービースターの『駅前旅館』と、加山雄三ゆうのの若大将なんとかと、石原裕次郎の映画をやっているらしい。正月の三本立てだ。裕次郎ゆうんは、ジャパンのトップスターよ。じいさんも、たまにはジャパンの映画でも見ればいいのによ」</span>
<span class="url">石川好『ストロベリー・ロード（下）』（文春文庫，p.33）</span>

◆ これは６０年代のカリフォルニアの話。それにしても、なんと豪華な三本立てだろう。ちなみに、「ストロベリー・ロード」も映画化されているらしいが、「ストロベリー・ロード」と聞いても、映画のほうはまったくアタマに浮かばなかった。映画化されていることを知ったのは、ついさっきなのだから、これはしかたがない。ちなみに、「羅府新報」というのは、《Wikipedia》によると、

<span class="text">◇ 1903年にカリフォルニア州ロサンゼルスで創刊された。第二次世界大戦下で日米間で開戦したことを受け、日系人の強制収容が行われたことから1942年以降数年間強制的に休刊させられたものの、その後復刊し、2003年には創刊100周年を迎えた。現在は毎日45,000部発行されており、アメリカ国内で最も多く購読されている邦字新聞である。また、ウェブサイトでも記事を閲覧することが可能である。本社はロサンゼルス中心部のリトル・トーキョーにある。「羅府新報」の名前は、中国語でロサンゼルスのことを言う「Rashogiri」の最初の文字「羅」、日本語で 地域行政（県など）を表す「府」、新聞を表す「新報」を合わせて命名された。</span>
<span class="url">ja.wikipedia.org/wiki/羅府新報</span>

◆ しかし、カリフォルニアで「駅前旅館」の映画を観るというのも、考えてみると、とんでもない贅沢ではないだろうか。アタマがちょっとくらくらする。暑さのせいかもしれないが。]]>
        
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    <title>会津田島の駅前旅館</title>
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    <published>2010-07-23T00:27:02Z</published>
    <updated>2010-07-23T22:15:01Z</updated>
    
    <summary>◇ 生まれつき地図が好きである。 ◆ と書いたのは井上ひさしで、「生まれつき」というコトバを「地図好き」にダイレクトにつなぐとはなんとも大胆に思えるが、まあそういう人もいる（いた）のだろう。つづけて、...</summary>
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        <![CDATA[<span class="text">◇ 生まれつき地図が好きである。</span>

◆ と書いたのは井上ひさしで、<a href="http://memo.saturniancafe.com/archives/2004/09/09_2016.php">「生まれつき」</a>というコトバを「地図好き」にダイレクトにつなぐとはなんとも大胆に思えるが、まあそういう人もいる（いた）のだろう。つづけて、

<span class="text">◇ 地図は現地そのものではない。現地をたくさんの記号に写しかえたもの、いわば記号の集積である。つまり筆者は、現地や現物よりも、その代用品である記号を集めたものの方が好きだという変人なのである。自分は変人である、と決めつけなければいろんなことが判ってくる。実人生そのものより物語という代替物の方が好きだというのもそのせいだろうし、イタリア料理店のテーブルの前にすわることよりイタリア料理の本を丁寧に眺める方が好きだというのも、筆者の地図好き＝記号好きとどこかでつながっているにちがいない。</span>
<span class="url">井上ひさし『四千万歩の男（１）』（講談社文庫，p.3）</span>

◆ ワタシもの多少（多分に？）そのケがあるかもしれない。たとえば、旅そのものと旅の本を読むのとどちらが好きかと考えてもなかなか答えはでない。たとえば、『駅前旅館に泊まるローカル線の旅』という本を読むのはそれだけで楽しいし、その本のなかに、じっさいに見たことがある駅前旅館が出てくれば、それはそれでまた楽しい。たとえば、会津田島の和泉屋旅館。

<span class="text">◇ ぼくが度々お世話になっている和泉屋旅館は、田島の街の会津西街道に面した古い旅館である。<small>〔中略〕</small> 狭い間口、大きなガラス戸の玄関、土間と板張りとの異様なほどの高低差、そして長い廊下……。</span>
<span class="url">大穂耕一郎『駅前旅館に泊まるローカル線の旅』（ちくま文庫，p.238-239）</span>

<center><a href="http://photo.saturniancafe.com/archives/2003/05/10/index.php#g"><img src="http://photo.saturniancafe.com/0305/030510ga.jpg" width="160" height="120" class="center" alt="2003/05/10"></a><a href="http://photo.saturniancafe.com/archives/2007/03/06/index.php#zw"><img src="http://photo.saturniancafe.com/0703/070306zwa.jpg" width="160" height="120" class="center" alt="2007/03/06"></a></center>

◆ ワタシは一度もお世話になったことはない（そもそも駅前旅館に宿泊したこと自体がない）が、二度田島の町を訪れて、二度和泉屋旅館の写真を撮っていた。だから、「大きなガラス戸の玄関」だけは知っている。一度目は2003年5月10日、二度目は2007年3月6日。この間、2006年3月20日の町村合併で、住所が南会津郡田島町から南会津郡南会津町田島に変更になったことを除けば、（外観は）なにも変わっていないように見える。それだけでもすばらしい。もう一度訪れる機会があれば、そのときにはぜひ泊まってみたい。ただ、

<span class="text">◇ 七月の田島の祇園祭りのときには、祭り見物の客でどの旅館もいっぱいになる。</span>
<span class="url"><em>Ibid.</em>, p.243</span>

◆ そうだから、その時期はダメか。いや、前もって予約してでも、その時期に行くべきか。そう、会津田島にも祇園祭があるのだった。そう、まさにいまお祭りの最中なのだった。いまから行くか。

<span class="text">◇ <small>〔南会津町公式サイト：会津田島祇園祭〕</small> 今から約８００年以上の昔、鎌倉時代の文治年間に、この地方を治めることになった長沼五郎宗政(ごろうむねまさ)が、旧地で信仰の厚かった 牛頭天王<small>（ごずてんのう）</small>・須佐之男命<small>（すさのおのみこと）</small>を奉斎し、天王社として祭ったことが始まりで、その後、今から４００年前の慶長８年に、領主長沼盛実が京都八坂神社に準じた祭礼格礼を取り入れ、「祭の決まり」を定めて、現在の祇園祭に至ったとされています。
　祇園信仰は疫病から守ってもらう祈りや、自分たちの元にこないように祓ってもらう信仰です。
　伊達政宗が会津を支配した時代に、一時、祭は出来なくなりましたが、祭礼を定めた慶長８年に住民が当時の城代小倉作左衛門にお願いして、祭が再興されました。当時は、天王祭と呼んで６月１５日に行われていたようです。
　明治４年、天王社は田出宇賀神社に合祀となり、田出宇賀神社例祭が祇園祭と合併の祭日となりました。
　更には熊野神社の例祭日が明治12年に同一日になるなど、様々な改変を重ねてきましたが、祇園祭の伝統は、牛頭天王奉鎮以来の社家である現宮司室井家により、脈々と今に伝わり、その礼式が保持されています。</span>
<span class="url">www.minamiaizu.org/gion/index.html</span>

◆ 二度と行く機会はないとしても、十年も経てば、自分の写真と他人の文章がワタシのアタマのなかでないまぜになって、和泉屋旅館に泊まったという偽の記憶がしっかりと刻まれているかもしれない。そうなればいい。そういえば、偽の記憶が刻まれそうな旅館がもうひとつあった。鎌倉の<a href="http://memo.saturniancafe.com/archives/2005/11/17_0124.php">「対僊閣」</a>。]]>
        
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    <title>耳飾り</title>
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    <published>2010-07-16T22:31:53Z</published>
    <updated>2010-07-16T22:32:35Z</updated>
    
    <summary>◆ おともだちのサイトを訪れたら、日記に「イヤークリップをネットで購入」と書いてあり、はて「イヤークリップ」とはなんだろうと思った。この耳慣れないコトバは、すぐに耳から離れないコトバとなって、調べてみ...</summary>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://memo.saturniancafe.com/">
        <![CDATA[◆ おともだちのサイトを訪れたら、日記に「イヤークリップをネットで購入」と書いてあり、はて「イヤークリップ」とはなんだろうと思った。この耳慣れないコトバは、すぐに耳から離れないコトバとなって、調べてみると、耳飾りの一種であるようだが、イヤリングとは違うのだろうか。ワタシの耳飾りにかんする語彙は、これまでずっとイヤリングとピアスのふたつしかなかった。耳に穴をあけるのがピアスで、あけないのがイヤリング。

<span class="text">♪ どこかで半分失くしたら 役には立たないものがある</span>
<span class="url">松任谷由実「真珠のピアス」（作詞・作曲：松任谷由実）</span>

◆ ワタシがピアスというコトバを聞いた最初期に属するもののひとつに、ユーミンの「真珠のピアス」があって、当時１８だったワタシには、なんとも自分とはまったく別世界の「大人の女性」の感じがした。なにせ、それまでワタシが知っていたのは、こんな世界だったのだから。

<span class="text">♪ お嬢さん お待ちなさい ちょっと 落としもの
　　白い貝がらの 小さなイヤリング</span>

◆ ユーミンの「真珠のピアス」は『PEARL PIERCE』というアルバムに収められているが、この「PIERCE」という英単語は、ピアスの意味で用いられることはないようで、日本語のピアスもイヤリングも、英語では「earring」よ呼ぶそうだ。たとえば、『ジーニアス英和辞典』の「earring」を引くと、

<span class="text">◇ 【名】【C】 ［通例～s］ イヤリング，耳飾り∥ pierced ～s 耳たぶに穴をあけて通すイヤリング，ピアス/ clip-on ～s 耳たぶをはさんでつけるイヤリング．</span>

◆ とある。だとすると、「森のくまさん」のお嬢さんが落とした「白い貝がらの小さなイヤリング」が「真珠のピアス」であった可能性もないではない（ほとんどないだろうが）。通常ピアスは落とさないものなのだろうけど、何かしらの意図があれば、ユーミンの歌詞にあるように、落とすことがないとはいえないだろう。と思ったが、よく考えると、真珠は「貝がら」ではなかった。真珠といえば、フェルメールに「真珠の耳飾りの少女」という作品もあった。これはよく見ても、ピアスだかイヤリングだかよくわからない。]]>
        
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