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    <title>SaturnianCafe - Memorandum</title>
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    <updated>2012-05-10T00:58:03Z</updated>
    
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    <title>竜巻</title>
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    <published>2012-05-09T18:08:44Z</published>
    <updated>2012-05-10T00:58:03Z</updated>
    
    <summary>◇ たつ-まき （名） 龍卷 烈シキ旋風（ツジカゼ）ノ爲ニ、海水ノ卷キ上ゲラレテ、柱ノ状ヲ成シテ空ヘ登ルコト、龍ノ天ヘ昇ルモノト想像シテ名アリ、陸上ニテモ土砂ヲ卷キ上グルコトアリ。 大槻文彦『言海』（...</summary>
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        <![CDATA[<span class="text">◇ <strong>たつ-まき</strong> <small>（名）</small> <span class="genkai1">龍卷</span> 烈シキ旋風（ツジカゼ）ノ爲ニ、海水ノ卷キ上ゲラレテ、柱ノ状ヲ成シテ空ヘ登ルコト、龍ノ天ヘ昇ルモノト想像シテ名アリ、陸上ニテモ土砂ヲ卷キ上グルコトアリ。</span>
<span class="url">大槻文彦『言海』（ちくま学芸文庫，p.753）</span>

<span class="text">◇ <span class="url">〔読売新聞〕</span> ６日午後１時前、茨城県つくば市や栃木県真岡市などで竜巻とみられる突風が発生、計８９０棟以上の建物が損壊し、つくば市では男子中学生が死亡した。</span>
<span class="url">www.yomiuri.co.jp/national/news/20120507-OYT1T00378.htm</span>

◆ 今年は辰年だから、龍も思わず出てきたか。被害も甚大ということで、やや不謹慎かもしれないが、こんなことを考えてみる。津波の被害に遭ったとしたら、ちょっとは海を恨むだろう。けれど、竜巻の被害に遭ったとしたら、はたして空を恨めるだろうか？　空を恨むということがどのような形で可能なのかがわからない。そういえば、風船にぶらさがって空高く消えてしまったひともいた。

<a href="http://photo.saturniancafe.com/archives/2012/05/06/index.php#170655"><img src="http://photo.saturniancafe.com/1205/120506_170655a.jpg" width="160" height="120" class="right" title="2012/05/06"></a>◆ 日曜のニュースを、うかつなことに月曜にはじめて知った。うかつなのはいつものことなので、べつにどうということもないが、さきほど「PHOTODIARY」の編集のために、日曜の写真を見てみていたら、あらあら、竜巻、「竜巻ポテト」！　と撮った本人が、こんな写真を撮っていたんだなあ、といまさらながらに気がついて、おどろいた。

<a href="http://photo.saturniancafe.com/archives/2011/02/27/index.php#080431"><img src="http://photo.saturniancafe.com/1102/110227_080431a.jpg" width="160" height="120" class="left" title="2011/02/27"></a>◆ 龍もポテトにされてはかなわないだろう。とはいえ「竜巻ポテト」を食べたことはもちろん見たこともないので――（見たのは屋台の幕の文字だけ、いや文字さえも見ていなかったのかも。目は見たが、脳は見なかったということか。カメラに偶然写っていたのいうのがより正しい。）――、あまり適当なことは言えない。言えないが、ちょっとだけ言うと、もしかして、竜巻ポテトも竜巻封じのひとつであるか？　古来より、竜巻を畏れるひとたちは、さまざまな竜巻封じを考えついて実行してきた。龍を野放しにしておくから竜巻が起こる。というわけで、どこかから龍をどうにかこうにかとっつかまえてきて、その首をバルブで締めつけて逃さないようにしてみたり……。しかし、これはやりすぎではないだろうか。龍にだって、凶暴なのもいるだろうが、善良なのもいるだろうに。一匹の荒くれものの人殺し龍のせいで、一族はみな肩身が狭い。ワタシも首のうしろが痛くなってきた。そうそう、カミングアウトすると、ワタシも龍の末裔なのだった。]]>
        
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    <title>同じ方向を向いて違うものを見る</title>
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    <published>2012-05-06T21:39:56Z</published>
    <updated>2012-05-06T21:47:00Z</updated>
    
    <summary>◆ 男女が二人で同じ場所にいて、同じ方向を向いていたとしても、同じものを見ているとはかぎらない。 「お前は松の木を見ていたんだな」 「ええ」 「俺は亀を見てたんだ」 横光利一『春は馬車に乗って』（青空...</summary>
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        <![CDATA[◆ 男女が二人で同じ場所にいて、同じ方向を向いていたとしても、同じものを見ているとはかぎらない。

<span class="text">「お前は松の木を見ていたんだな」
「ええ」
「俺は亀を見てたんだ」</span>
<span class="url">横光利一『春は馬車に乗って』（<a href="http://www.aozora.gr.jp/cards/000168/files/904.html" target="_blank">青空文庫，1926</a>）</span>

◆ 夫婦といっても違う人間なのだから、それはあたりまえのことに思える。むしろ、

<span class="text"><strong>阿川</strong>　でも、丈晴さんのイヤなところとか、直して欲しい癖とか、なかったですか。
<strong>山本</strong>　イヤなところ？　う～ん………。
<strong>阿川</strong>　ハイ、ないんですね（笑）。
<strong>山本</strong>　何ていうのかな、人生観、価値観がまったく同じだったんですね。
<strong>阿川</strong>　たとえば、どんなことが？
<strong>山本</strong>　別に大袈裟なことじゃなくて、たとえば私一人がどこかで景色を見たり、絵を見たりして、ああきれいだなあ、丈晴さんもきっとそう思うだろうなあっていう……。
<strong>阿川</strong>　食い違うことがない!?
<strong>山本</strong>　だからお互い、とっても自然に向き合える。</span>
<span class="url">「阿川佐和子のこの人に会いたい：山本富士子」（『週刊文春』2012年5月3･10日号，p.165）</span>

◆ というような文章を読むと、「理想」としてならいいけれども、現実に「人生観、価値観がまったく同じ」などということはありえないだろうと思ってしまう。いや、ありえないということもないだろうが、まれだろう。そもそもそういう状態が「理想」なのかどうかも、ひとそれぞれだろう。

◆ 男女が二人で同じ場所にいて、同じ方向を向いて、同じものを見ていたとしても、同じことを考えているとはかぎらない。

<span class="text">◇ （ここに、なにか引用文を挿れたいが、適当なのが見当たらない。たとえば、ドライブの途中に牧場があって、そこにいた仔牛を二人で仲良く見たとしても、一人は「かわいい」と思っているのに、もう一人は「おいしそう」と思っているかもしれない、というようなことだ。映画や小説のなかに、ごろごろ転がっているだろうから、各自アタマのなかで適当な引用に差し替えてください。）</span>

◆ 男女が二人で同じ場所にいて、同じ方向を向いて、同じものを見ていたとしても、その視線が同じであるとはかぎらない。ここまで来ると、べつのハナシとして考えなければならなくなるが、せっかくなので、引用しておこう（また、べつのことを考えるときに便利だろうから）。

<span class="text">◇ 　幼いころから、私は、あるものをじっと見つめればそれを深さに於て捉えることができると思っていました。町で出会ったりする人々の中で特に私の興味を惹く顔を、私はいつでもじっと見つめ続けたものです。そうすることで、世の中のことが理解できると錯覚していたのです。この癖はいまも変っておりません。電車の中などで乗客の一人に強く惹きつけられたりすると（それは幼児であったり、老人であったりしますが）、思わずその真正面に座ってしげしげと見つめてしまう。父親と市電に乗っていたとき、そんなに他人を見つめるものではないと、何度も忠告されたことを思いだします。
　私にとって、何かをじっと見つめることは、愛することの同義語のように思われていました。少女時代に得たそうした習慣へのノスタルジーが残っているのでしょう。ほんの一瞬、ちらりと視線を送ることは、愛情を欠いたよそよそしさにつながるようにいまでも思ってしまいます。
　日本人である私の夫は、そうしたノスタルジーを共有しているとは思えませんでした。いったん私に注がれたその瞳は、こんどは私ではないさまざまなものの上を揺れ動き、時折りまた私の上に戻ってくる。それは、私を世界の中に位置づけようとする視線の動きだと私には思われました。ところが、一緒に外出して戻ってきてから、私かじっと見つめたものの話をすると、夫は、「ああ、ぼくも全部見ていたよ」といいます。事実、夫は私の見たものと同じものをしっかりと記憶にとどめていました。集中的な視線に対して、一瞬の包括的な視線というものがあるのでしょうか。
<small>〔中略〕</small>
　私たちは、あまりカメラを肩に下げて旅行する習慣を持っていませんが、時折り、夫と私とが撮った写真を見くらべて見ますと、二人の視線の違いがよくわかります。夫の写真では被写体は、あたりの風景に調和したかたちで位置づけられている。私の撮った写真では、被写体が周囲から切り離されている。ここにも、包括的な視線と集中的な視線とがはっきり出ているように思います。それは、ときどき夫の見せる、あの<i>聞く視線</i>ともいうべきものかもしれません。私の話に相槌をうつとき、彼は、私を見つめるのではなく、話している私を受け入れようとするかのようにやや瞳を伏せ、身を傾けているのです。</span>
<span class="url">シャンタル蓮實「二つの瞳」（蓮實重彦『反＝日本語論』解説，ちくま文庫，p.315－317）</span>]]>
        
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    <title>カチッと音がする</title>
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    <published>2012-05-06T00:32:48Z</published>
    <updated>2012-05-06T00:33:33Z</updated>
    
    <summary>◆ たとえば、 ◇ 　その昔、国連鉄鋼部会の視察に同行して、英語、フランス語の通訳の方と組んで日本の某自動車メーカーを訪れたときのこと。前日の夕刻、現地に到着して、地元のホテルに宿泊し、翌日工場見学と...</summary>
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        <![CDATA[◆ たとえば、

<span class="text">◇ 　その昔、国連鉄鋼部会の視察に同行して、英語、フランス語の通訳の方と組んで日本の某自動車メーカーを訪れたときのこと。前日の夕刻、現地に到着して、地元のホテルに宿泊し、翌日工場見学という手はずになっていた。
　メーカー側は、会社概要のパンフレット、明日案内をつとめる人の説明文を和文、英文両方用意している。さらに、日・英・仏自動車用語集なるものを無料で通訳一同に恵んでくださった。英語の通訳者は、とりわけ喜んだふうもなく、当たり前のようにそれを受け取り、フランス語の同僚は、「ワーッ、助かる！　ありがとうございます」と嬉しそうにはしゃいだ。
 「明日の準備が、ほとんどしなくて良くなったから、今夜は飲もうよ！　飲も、飲も」
解放感にひたる二人を、恨めしげに送り出したあとで、わたしは一人ホテルの部屋にこもり、明日の説明文テキストの専門用語を拾っては、いちいちいくつもの辞書事典に当たりながら、意味と単語を確認していった。
　たとえば、自動車の部品を指す「クランク・シャフト」という単語がある。英語の対応語は、先ほど会社から手渡された英文テキストにも用語集にも出ている。和露辞典を引いても、英露辞典を引いても、当然のことながら、そこまで専門的な訳語は出ていない。そこで、わたしは会社案内パンフレットにある自動車構造図のなかに「クランク・シャフト」なる部品をさがし当て、分厚いロシア語版製造業図説事典を開き、自動車構造図をにらんで、同じ部品のロシア語名をさがす。両者が照合した瞬間、カチッと音がするような快感がある。この快感は、英語通訳にはわかるまいとい密かにほくそ笑むのも、こんな時だ。
　翌日の仕事で、英語とフランス語の両同僚にたずねる。
 「ねえ、クランク・シャフトって知ってる？」
　それぞれ訳語はスラスラ出てくるが、その言葉がいったいどんな部品を指すのか、二人は知らない。
 「フフフ、苦労しただけのことはあった。言葉を音のみで捉えて転換していくのでは機械みたいなものではないか。言葉の意味の根幹のところを摑まえて訳すことこそ人間の営みにふさわしい」
　とここでまた日頃の鬱憤を晴らすように、心の中でニンマリする。
というわけで、同じ通訳といっても、ロシア語と英語の通訳は同じ職種に属するのだろうか、と思うことがよくある。こちらは旧石器時代後期、あちらはもう二一世紀初頭あたりなのでは。</span>
<span class="url">米原万里『ガセネッタ＆シモネッタ』（文春文庫，p.153-155）</span>

◆ というような文章を読んで、「両者が照合した瞬間、カチッと音がするような快感がある」と書いてあるけど、どうして「カチッと音がする」のだろうとか、なぜ「カチッと音がする」ことが快感になるのだろうとか、考えるひともいるだろうが、まれだろう。考えるひとは、この文章にどこか引っかかりを感じたわけで、引っかかりを感じなければ、そもそも考えてみる機会がない。この文章に引っかかりを感じないひとというのは、この「カチッと音がするような」という比喩をなんなく理解できるひとか、なんとなく理解できるので悩まず先に進むひとのどちらかで、どちらであっても読者の大半はこの両者に属するのではないかと思う。

◆ 「なんとなく理解できるひと」が、引っかかりを感じて、すこし立ち止まり、あれこれ考えて、その結果、ああこんなことかな、と思うに至ったとき、おそらくそのひとのアタマのなかでもカチッと音がして、「なんなく理解できるひと」に変わっていることだろう。

◆ はてさて、アタマのなかで、なにかが照合したときに、カチッと音がして開くのはいったいどんな秘密の鍵なのだろう。]]>
        
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    <title>門前の小僧</title>
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    <published>2012-05-03T19:35:39Z</published>
    <updated>2012-05-03T19:48:37Z</updated>
    
    <summary>◆ 「門前の小僧習わぬ経を読む」ということわざがある。「門前の小僧」でGoogle検索をすると、最初にヒットするのがこれ。 ◇ お寺に行儀見習いなどにきた小僧さんが、庭掃除をしたり雑巾がけをしているだ...</summary>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://memo.saturniancafe.com/">
        <![CDATA[◆ 「門前の小僧習わぬ経を読む」ということわざがある。「門前の小僧」でGoogle検索をすると、最初にヒットするのがこれ。

<span class="text">◇ <u>お寺に行儀見習いなどにきた小僧さん</u>が、庭掃除をしたり雑巾がけをしているだけで、お坊さんの読むお経をただ毎日、毎日聞いてるだけで、別にお経を習ったわけでもないのに、お経を読めるようになったというお話です。</span>
<span class="url">www.art-synapse.com/monzen.html</span>

◆ この文章をそのままコピペしたと思しきサイトがこのあとにぞろぞろ続いているのを見れば、一番であるというのは、やはり大事であるということか。それはともかく、「お寺に行儀見習いなどにきた小僧さん」が「門前の小僧」であるというのは、どうにも解せない。この小僧、お寺に行儀見習いに来たものの、寺内にすら入れてももらえなかったのだろうか？　それもまた行儀見習いの一環であったのだろうか？　こんな解釈もある。

<span class="text">◇ <u>お坊さんのお子さん</u>でしょうか？普段からお経を聞いていたんでしょう。誰に教わった訳でもなく、また勉強した訳でもないのに、自然とお経を覚えて読み上げる事が出来るようになった、なんてすごいですね。</span>
<span class="url">app.m-cocolog.jp/t/typecast/148674/132137/9403689</span>

◆ 「小僧」というのは「僧のお子さん」？　辞書で「小僧」を引くと、

<span class="text">こぞう【小僧】
（１）仏門に入って、まだ修行中の男の子。年少の僧。雛僧(すうそう)。「門前の―習わぬ経を読む」
（２）商店などで使われている年少の男の子。でっち。「紙問屋の―に行く」
（３）年少の男子を見下していう語。小僧っ子。こわっぱ。「はなたれ―」</span>
<span class="url">小学館『大辞泉』</span>

◆ 『大辞泉』によれば、「門前の小僧」の小僧は、（１）の「仏門に入って、まだ修行中の男の子」ということになるようだが、一般的な「門前の小僧」の解釈は、（３）ではないだろうか？

<span class="text">◇ <u>寺の近所に住む子供たち</u>は、自然に僧の読経を聞き覚えて、御経を読むようになるということで、日頃の感化の力の大きいことをいう。（出典：ことわざ辞典　日東書院）</span>
<span class="url">profile.allabout.co.jp/w/c-19183/</span>

◆ それとも、「門前」に「寺の前」という意味のほかに、寺そのものを指す用法でもあるのだろうか？]]>
        
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    <title>患者様等</title>
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    <published>2012-05-02T22:06:45Z</published>
    <updated>2012-05-02T22:19:40Z</updated>
    
    <summary>◇ 患者様等の安全の為、敷地内での犬等の散歩を禁止します。病院長 ◆ 患者様等。なんともみごとなお役人様等のコトバである。患者と書けば、患者から「呼び捨てにするとはなにごとか」とクレームがくるかもしれ...</summary>
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        <![CDATA[<a href="http://photo.saturniancafe.com/archives/2012/04/28/index.php#085904"><img src="http://photo.saturniancafe.com/1204/120428_085904.jpg" width="120" height="160" class="left" title="/2012/04/28"></a><span class="text">◇ 患者様等の安全の為、敷地内での<span class="red">犬等</span>の散歩を禁止します。病院長</span>

◆ 患者様等。なんともみごとなお役人様等のコトバである。患者と書けば、患者から「呼び捨てにするとはなにごとか」とクレームがくるかもしれず、患者様と書けば、「その他の関係者は犬を散歩させてもよいのか」とまたべつなクレームがくるかもしれないので、「等」をつけておけば、どこからもクレームがこないだろうと考え、ついでに、犬ばかりでなく、カメレオンやライオンを散歩させるひとがいないともかぎらないので、犬にも「等」をおく必要があるかと考え、これで満点だとひとりほくそ笑む。あるいは、あとになって、もう少し念には念を入れて以下のようにしておくべきだったか、と考え直したかもしれない。

<span class="text">◇ 患者様等の安全等の為、敷地内等での犬等の散歩等を禁止等します。病院長等</span>

◆ 「等」が二つあるので、入れ替えることも可能だろう。また時代が違えば、「様」をつけるべきなのは「患者」ではなく「犬」であったかもしれない。

<span class="text">◇ お犬様の安全の為、敷地内での患者等の散歩を禁止します。病院長</span>

◆ それにしても、そもそも「様」に「等」をつけるのがおかしいとは思わないのだろか？　これでは患者を敬っているのか蔑んでいるのかわからない。おそらくはそのどちらでもなくて、この「患者」というのは、たんなるコトバ（モノ）にすぎないのだろう。なぜかはしらないが、患者にはかならず「様」をつけるようにと言われたから、とりあえずその指示に従っておけば上司からのクレームも来ないだろうし。

<span class="text">◇ 　少し前に、ある国立大学の看護学部に講演で招かれたことがありました。講演の前に、ナースの方たちと少しおしゃべりをしました。そのときに、ナースセンターに貼ってあった「『患者さま』と呼びましょう」というポスターに気づきました。「これ、なんですか？」と訊いたら、看護学部長が苦笑して、そういうお達しが厚労省のほうからあったのだと教えてくれました。
<small>〔中略〕</small>
　「患者さま」という呼称を採用するようになってから、病院の中でいくつか際立った変化が起きたそうです。一つは、入院患者が院内規則を守らなくなったこと（飲酒喫煙とか無断外出とか）、一つはナースに暴言を吐くようになったこと、一つは入院費を払わずに退院する患者が出てきたこと。以上三点が「患者さま」導入の「成果」ですと、笑っていました。
　当然だろうと僕は思いました。というのは、「患者さま」という呼称はあきらかに<u>医療を商取引モデルで考える人間が思いついた</u>ものだからです。</span>
<span class="url">内田樹『劇場のメディア論』（光文社新書，p.77）</span>]]>
        
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    <title>デンバーのhorsecar</title>
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    <published>2012-04-30T21:51:19Z</published>
    <updated>2012-04-30T21:52:23Z</updated>
    
    <summary>◆ デンバーの horsecar。 ◆ 先に、horsecar には「鉄道馬車」と「馬運搬車」のふたつの意味があると書いたが、この horsecar は、はてさて、どちらの意味なのか？ ◆ この Ch...</summary>
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        <![CDATA[◆ デンバーの horsecar。

<center><img src="http://photo.saturniancafe.com/misc/jpg/014.jpg" width="240" height="160" class="center" border="1"><img src="http://photo.saturniancafe.com/misc/jpg/015.jpg" width="240" height="160" class="center" border="1"><img src="http://photo.saturniancafe.com/misc/jpg/016.jpg" width="240" height="160" class="center" border="1">
</center>

◆ 先に、horsecar には「鉄道馬車」と「馬運搬車」のふたつの意味があると書いたが、この horsecar は、はてさて、どちらの意味なのか？

<center><img src="http://photo.saturniancafe.com/misc/jpg/017.jpg" width="240" height="160" class="center" border="1"><img src="http://photo.saturniancafe.com/misc/jpg/018.jpg" width="240" height="160" class="center" border="1"><img src="http://photo.saturniancafe.com/misc/jpg/019.jpg" width="240" height="160" class="center" border="1"></center>

◆ この Cherrelyn 線は行程が坂になっていて、行きは上りで馬が引き、帰りの下りは馬も車両に載って戻っていったということらしい。]]>
        
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    <title>horsecar</title>
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    <published>2012-04-30T12:50:40Z</published>
    <updated>2012-04-30T12:53:26Z</updated>
    
    <summary>◆ 「馬車」というのは「馬+車」だから、英語では「horse+car」＝「horsecar（horse car）」となるのではないかと考えたひとがいても不思議ではないし、まんざら間違いというわけでもな...</summary>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://memo.saturniancafe.com/">
        <![CDATA[◆ 「馬車」というのは「馬+車」だから、英語では「horse+car」＝「horsecar（horse car）」となるのではないかと考えたひとがいても不思議ではないし、まんざら間違いというわけでもない。だた、「horsecar」はふつうの意味での「馬車」ではない。「horsecar」を英英辞典で引くと、たとえば <em>Merriam-Webster's Collegiate Dictionary</em> （１）によれば、２つの意味があって、

<span class="text">1 : a streetcar drawn by horses 
2 : a car fitted for transporting horses</span>

◆ 英和辞典では、たとえば『新グローバル英和辞典（三省堂）』（２）によれば、

<span class="text">１ : 鉄道馬車（軌道上の車両を馬に引かせる;昔日本にもあった）.
２ : 馬匹（ばひつ）輸送車.</span>

◆ 上記の（１）の１、「a streetcar drawn by horses」をなんと訳せばよいのか。「馬が引く路面電車（市街電車）」？　「ロバが引く馬車」が許されるのであれば、「馬が引く路面電車」も許されるのではないかと思うけれども、よくわからない。「路面馬車」というコトバは聞いたことがないが、あるいはあるかもしれない。ふつうは（１）の１にあるように「鉄道馬車」という。それから、鉄道馬車が走っている鉄道が馬車鉄道。

<a href="http://photo.saturniancafe.com/archives/2003/05/16/index.php#e"><img src="http://photo.saturniancafe.com/0305/030516ea.jpg" width="160" height="120" class="left" title="2003/05/16"></a>◆ （１）の２は「馬を運搬するのに適した車両」と訳してなんの問題もないが、（２）の２の「馬匹輸送車」という日本語はワタシにはなじみがない。ワタシなら「馬運車」と言いたいところだが、これはひょっとして競走馬に限る用語なのだろうか。

<a href="http://photo.saturniancafe.com/archives/2010/09/22/index.php#130937"><img src="http://photo.saturniancafe.com/1009/100922_130937a.jpg" width="160" height="120" class="right" title="2010/09/22"></a>◆ （２）の１の注記に「昔日本にもあった」とあるが、そのとおりで、ワタシも見たことがある。といっても、もちろん復元されたものにすぎないが。

◆ <em>Encyclopædia Britannica</em> によれば、horsecar は、

<span class="text">◇ street carriage on rails, pulled by horse or mule, introduced into New York City's Bowery in 1832 by John Mason, a bank president. The horsecar, precursor of the motorized streetcar, spread to such large cities as Boston, New Orleans, and Philadelphia, then to Paris and London, and later to small cities and towns in the United States. A common variety of horsecar held 30 passengers and had one open compartment with transverse seats, a centre aisle, and front and rear platforms for the driver and conductor. There were also enclosed and double-decker horsecars. Small, low cars without a rear platform were called bobtails.</span>

◆ で、最初の「street carriage on rails, pulled by horse or mule」は「馬またはラバが引く軌道上の市街馬車」とでも訳す他ないと思うが、ここでまた、ラバ（mule）が引くのも、mule car ではなくて、horse car なのだということを知って、またひとつ世界共通の常識を身につけた思いがする。ロバが引いても馬車。mule が引いても horsecar。これからはもう、ロバが引いている馬車はもしかしたらロバ車というべきではないか、ラバが引いている鉄道馬車はもしかしたら鉄道ラバ車というべきではないか、などという不安に悩まされずにすみそうで、少しだけ気が楽になった。とはいえ、ラバというのは半分はウマだしなあ……]]>
        
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    <title>磨墨・池月</title>
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    <published>2012-04-26T14:53:41Z</published>
    <updated>2012-04-26T15:02:02Z</updated>
    
    <summary>◇ 維新後三十年とはいえ文明開化の底はまだ浅い。 　たとえば、機関車そのものの呼び名である。 　ナスミス・ウイルソン社という横文字にさえ目を白黒し、なんだかむずかしい事柄だと尻込みする気風は鉄道の現場...</summary>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://memo.saturniancafe.com/">
        <![CDATA[<span class="text">◇ 維新後三十年とはいえ文明開化の底はまだ浅い。
　たとえば、機関車そのものの呼び名である。
　ナスミス・ウイルソン社という横文字にさえ目を白黒し、なんだかむずかしい事柄だと尻込みする気風は鉄道の現場に根強かった。そのため、機関車に日本名を与え、いくらかでもなじみやすいものにしようとすることは、それが少しばかり合理的思考のかたまりである機関車という機械にそぐわないにしても、認めるべき策なのだった。だから、関西鉄道が、機関車の形式名に日本名を与えている慣習を、島は変えるつもりはなかった。その方が機関車を相手にする現場の連中の気持ちにあっているのである。
　その慣習によって命名されたナスミスーウイルソン社製造のタンク機関車のニックネームは、なんとも古風に「<span class="c1">磨墨</span>」といった。つまり「磨墨型機関車」というわけである。<span class="c2">関西鉄道にはなかなか趣味人が多い</span>。ほかの形式名称は次のようになっている。
 「<span class="c1">池月</span>」「雷」「駒月」「小鷹」「友鶴」「隼」「鵯」「千早」「春日」「三笠」「飛龍」「鬼鹿毛」「雷光」「早風」「追風」。
　<span class="c2">日本人は猛々しく動くものを前にすると誰でも連想するイメージが似てくるらしく</span>、のちの軍艦や戦闘機の名そのものである。
　<span class="c2">この名前をイギリス人が知ったら、どうだったろうか</span>。</span>
<span class="url">橋本克彦『日本鉄道物語』（講談社文庫）</span>

◆ 磨墨に池月といえば、とくに「趣味人」でなくても、「宇治川の先陣争い」の駿馬の名を思い起こすひとは多いだろう（ワタシは最近まで知らなかったが）。

<a href="http://photo.saturniancafe.com/archives/2003/03/16/index.php#084820"><img src="http://photo.saturniancafe.com/0303/030316_084820a.jpg" width="160" height="120" class="right" title="2003/03/16"></a><span class="text">◇ <span class="url">〔Wikipedia：磨墨塚〕</span> 磨墨は梶原景季の愛馬であり名馬として知られた。磨墨に乗った景季は、1184年（寿永3）の宇治川の戦いで、やはり名馬の誉れ高い池月（いけづき）に乗る佐々木高綱と先陣を争った（宇治川の先陣争い）。磨墨を葬った場所と称する所は日本各地にあり、東京都大田区南馬込3-18-21 にも磨墨塚と称す塚がある。</span>
<span class="url">ja.wikipedia.org/wiki/磨墨塚</span>

<a href="http://photo.saturniancafe.com/archives/2008/09/04/index.php#d"><img src="http://photo.saturniancafe.com/0809/080904da.jpg" width="160" height="120" class="right" title="2008/09/04"></a><span class="text">◇ <span class="url">〔Wikipedia：磨墨塚〕</span> なお、東京都大田区の洗足池周辺（洗足池公園大田区南千束2-14-5）には、名馬池月の伝説も伝えられている。石橋山の合戦敗北後の源頼朝が、池の付近に投宿した際、池の水面に映える美しい駿馬が現れたので捕らえ、池月と命名したという。</span>

◆ それで、ワタシの自慢は、「大田区南馬込3-18-21」と「大田区南千束2-14-5」のあたりの両方を、たまたまなにかのついでに歩く機会があって、そこでたまたま「磨墨」と「池月」を見かけて、このようなハナシを書くことがいずれあるかもしれないと、そのときは両者の関係などなにも知らないままにとりあえず写真を撮っておいた、ということなのである。なにを自慢しているんだかよくわからないが、とにかく、ぜんぜん違う日に出会ったモノたちをなにかのきっかけで、ようやくこうしていっしょに並べて<u>あげられたこと</u>がうれしい。

◆ ちなみに、「鬼鹿毛」というのは、武田信玄の父、武田信虎の愛馬の名だそうだ。]]>
        
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    <title>春色の馬車に乗って</title>
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    <published>2012-04-25T09:48:30Z</published>
    <updated>2012-05-06T20:12:35Z</updated>
    
    <summary>♪ 春色の汽車に乗って 海に連れて行ってよ 　 松田聖子「赤いスイートピー」（作詞：松本隆、作曲：呉田軽穂） ◆ 「赤いスイートピー」のこの歌詞で思い出したが、横光利一に「春は馬車に乗って」という短篇...</summary>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://memo.saturniancafe.com/">
        <![CDATA[<span class="text">♪ 春色の汽車に乗って 海に連れて行ってよ</span>
　 <span class="url">松田聖子「赤いスイートピー」（作詞：松本隆、作曲：呉田軽穂）</span>

◆ 「赤いスイートピー」のこの歌詞で思い出したが、横光利一に「春は馬車に乗って」という短篇がある。

<span class="text">◇ 「この花は馬車に乗って、海の岸を真っ先きに春を撒き撒きやって来たのさ」</span>
<span class="url">横光利一『春は馬車に乗って』（<a href="http://www.aozora.gr.jp/cards/000168/files/904.html" target="_blank">青空文庫，1926</a>）</span>

◆ この短篇の最後、「胸の病気」を患い痩せ衰えた妻に、夫が花束をプレゼントする場面。この花もスイトピーだった。ただし、色は書かれていない。

<span class="text">◇ <span class="url">〔Wikipedia：スイートピー〕</span> スイートピーを題材とした歌に『赤いスイートピー』があるが、この歌が世に出た1982年1月当時に、赤色の花をつけるスイートピーは存在していなかった。しかし、写真にもあるように、その後、品種改良によって赤色のスイートピーも誕生した。</span>
<span class="url">ja.wikipedia.org/wiki/スイートピー</span>

◆ 「写真にもあるように」とあるが、同ページの画像のスイトピーはどうみても、赤ではなくてピンクだろう。それはさておき、松田聖子のスイートピーが赤いのは、青いバラと同じく、この世のものではないことを表しているのだろうか。「心の岸辺に咲いた」ともあるから、そんな気がしないでもないが、「線路の脇のつぼみは」ともあるから、たんに赤系の（たとえばピンクの）スイトピーを歌っただけという気もする。

<span class="text">◇ Like the blue rose, the yellow sweet pea remains elusive, and a true yellow is unlikely ever to be achieved without genetic engineering.</span>
<span class="url">en.wikipedia.org/wiki/Sweet_pea</span>

◆ 青いバラと同じく、遺伝子組換えなしに、この世に存在しないのは、赤いスイトピーではなくて、黄色のスイトピーらしい。

◆ 横光利一の「春は馬車に乗って」の舞台は、作中に地名が出てくるわけではないが、自伝的要素からは三浦半島の西側の付け根にある逗子だということになる。

<span class="text">◇ <span class="url">〔神奈川近代文学館：神奈川文学年表〕</span> 1926年6月24日、横光利一（28）、妻キミが逗子小坪の湘南サナトリウムで死去する。</span>
<span class="url">www.kanabun.or.jp/0f16.html</span>

◆ そうして、

<span class="text">◇ 切り花としての日本でのスイートピーの栽培は、明治末期に神奈川県の三浦半島で始まりました。</span>
<span class="url">sweetroom.dreamlog.jp/archives/985198.html</span>

◆ ということらしいから、小説を読んだときには、1926年の日本におけるスイトピーの位置づけがよくわからなくて、少々ハイカラすぎる気もしたが、そういうことであれば、

<span class="text">◇ 或る日、彼の所へ、知人から思わぬスイトピーの花束が岬を廻って届けられた。</span>

◆ という箇所にも十分納得がいったわけなのだった。]]>
        
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    <title>馬車と汽車</title>
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    <published>2012-04-25T03:14:52Z</published>
    <updated>2012-04-25T03:15:23Z</updated>
    
    <summary>◆ 馬車に似ているコトバに汽車がある。汽車に似た意味のコトバに蒸気機関車があるが、汽車と蒸気機関車は同じではない。ふつうのひとは汽車には乗れるが、蒸気機関車には乗れない。乗れるのは機関士と機関助手だけ...</summary>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://memo.saturniancafe.com/">
        <![CDATA[◆ 馬車に似ているコトバに汽車がある。汽車に似た意味のコトバに蒸気機関車があるが、汽車と蒸気機関車は同じではない。ふつうのひとは汽車には乗れるが、蒸気機関車には乗れない。乗れるのは機関士と機関助手だけだ。

<span class="text">♪ 僕等をのせて シュッポ シュッポ シュッポッポ</span>
<span class="url">「汽車ポッポ」（作詞：富原薫、作曲：草川信）</span>

◆ 馬車も、ふつうのひとが乗るのは馬車であって、馬車馬ではない。馬車の「機関士」である御者も、馬車馬ではなくて馬車（の前部）に乗る。そういうものだと思っていたら、御者が馬車馬に乗ることもあるらしい。

<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/キャリッジ" target="_blank"><img src="http://photo.saturniancafe.com/misc/jpg/011.jpg" width="160" height="120" class="right"></a><span class="text">◇ <span class="url">〔Wikipedia：キャリッジ〕</span> 英国やフランスのコーチ〔大型4輪馬車〕には、コーチボックスという前方の高いところに置かれた御者台にコーチマンとよばれる御者が座って運転した。スペインでは御者は車両側に乗らず古くから変わらずに引き馬の中の一匹に乗り馬を御していた。1939年にカナダでおこなわれたパレードの画像でこの様子が見ることができる。</span>
<span class="url">ja.wikipedia.org/wiki/キャリッジ</span>

◆ 汽車にハナシを戻すと、

<span class="text">◇ <span class="url">〔読売新聞：編集手帳（2010年8月23日）〕</span> 松田聖子さんが歌った１９８２年のヒット曲『赤いスイートピー』は若い男たちに少なからぬショックを与えた。＜春色の汽車に乗って海に連れて行ってよ＞。作詞家・松本隆さんが描いた女性は彼氏にそう願い「デートの定番はクルマ」という若者神話をさりげなく否定してみせたからだ。</span>
<span class="url">www.yomiuri.co.jp/editorial/column1/news/20100822-OYT1T00749.htm 
</span>

◆ 松田聖子は「トナカイの馬車」にも乗るが、「春色の汽車」にも乗る。1982年といえば、ワタシも若い男だったはずだが、ショックを受けた記憶はない。当時はまだ免許を持っていなかったから、まだ「若い男」でさえなかったのかもしれない。「赤いスイートピー」の作詞は↑にあるように松本隆だが、作曲は「呉田軽穂」で、これは松任谷由実のペンネーム。ユーミンといえば、「中央フリーウェイ」が好例だと思うが、「デートの定番はクルマ」という若者の思考（嗜好・指向）の定着に貢献した側の人間で、「汽車」とは縁遠い感じがする。

◆ 逆に、汽車が似つかわしいのが、中島みゆきで、たとえば「ホームにて」がよく知られているだろう。

<span class="text">♪ 振り向けば 空色の汽車は
　 いま ドアが閉まりかけて
　 灯りともる 窓の中では 帰りびとが笑う</span>
　 <span class="url">中島みゆき「ホームにて」（作詞・作曲：中島みゆき）</span>

◆ あるいは、「ヘッドライト テールライト」はどうか？

<span class="text">♪ ヘッドライト・テールライト 旅はまだ終わらない</span>
　 <span class="url">中島みゆき「ヘッドライト・テールライト」（作詞・作曲：中島みゆき）</span>

◆ 歌詞に「汽車」の文字はないが、これはまちがいなく夜汽車のイメージだろう（根拠はない）。

<span class="text">◇ <span class="url">〔Yahoo!知恵袋〕</span> 「♪旅はまだ終わらない」ってくらいですから、夜行列車のイメージなんでしょうね。</span>
<span class="url">detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1047870800</span>

<span class="text">◇ 最初この歌詞を読んだとき、レールを「自分の人生」に、列車を「今生きている自分」に例えているのだと考えました。ところが、コンサートの時、この歌を歌う前に、中島みゆきさんが言った言葉は、違ったものでした。レールを「人類のあゆみ」に、列車を「今生きている我々」に。</span>
<span class="url">nako.cocolog-nifty.com/nakolog/2003/12/_5152no_.html</span>

◆ ところが、信じられないことに、この歌詞から車をイメージするひともいる。

<span class="text">◇ 普通の人には、「ヘッドライト・テールライト旅はまだ終わらない」という一文をつくることはできない。いままで車のヘッドライトあるいはテールライトをテーマに歌をつくった人はいない。</span>
<span class="url">blog.livedoor.jp/wordsworthworld/archives/1318426.html</span>

<span class="text">◇ 最近になってふと思いついたのが、「夜の道を、車が行きかうのを眺めてるイメージなんじゃないか」ってこと。最初に見えるのは、ヘッドライト。遠くのほうから近づいてくるけど、どんどん追いついてきて、最後には抜かれて。そしてテールライトが見えて。その車を見送って。暗闇のなかに潜ってしまう。ぼくはその情景から、ライバルにどんどん先に行かれるような、虚しさ、時間が過ぎていくことの残酷さを感じる。それでも、夢を追って、足跡が残らなくったって、誰も見守ってくれなくても、歩き続けて、ただひたすら歩き続けて、そんな姿に心が打たれる。</span>
<span class="url">blog.goo.ne.jp/kegrn/e/34ec59628583cdbef890e75a3d07375a</span>

◆ そうして、信じられないことに、ワタシもつい昨日まで「信じられない」ひとのひとりであったのだった。このハナシを書く前に、ふとこの歌を思い出して、あれっ、もしかして、あれは夜汽車のイメージだったのかも、ということに、ふと気がついた（そういうこともあるのだ）。ワタシが思い描いていたイメージは、高速道路をまたぐ橋の上から眺める、上り下りと行き交う自動車の無数のライト。流れ行く前と後の無数のライト。

◆ 馬車のあるものは汽車へと進化し、またあるものは自動車へと進化したのだろう。どちらが馬車の正統な後継者だろうか？　ひまなときに、そんなことを考えてみるのもおもしろいかもしれない。]]>
        
    </content>
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    <title> JUDE の「ロバの馬車」</title>
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    <id>tag:memo.saturniancafe.com,2012://5.6218</id>
    
    <published>2012-04-24T15:08:35Z</published>
    <updated>2012-04-24T15:11:01Z</updated>
    
    <summary>♪ 馬車は走る とても遅く だってロバが引いてるんだもの 　 JUDE「ロバの馬車」（作詞・作曲：浅井健一） ◆ Google で「ロバの馬車」を検索すれば、いちばん目につくのが JUDE の「ロバの...</summary>
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        <![CDATA[<span class="text">♪ 馬車は走る とても遅く だってロバが引いてるんだもの</span>
　 <span class="url">JUDE「ロバの馬車」（作詞・作曲：浅井健一）</span>

◆ Google で「ロバの馬車」を検索すれば、いちばん目につくのが JUDE の「ロバの馬車」。JUDE は、どうしたわけだか、「ユダ」と読むらしい。《Wikipedia》によると、

<span class="text">◇ <span class="url">〔Wikipedi：JUDE〕</span> JUDE（ユダ）は元BLANKEY JET CITYの浅井健一が2002年2月に新しく結成したスリーピースロックバンドである。「ジュード」と読み間違える人が多いが、正しくは「ユダ」である。</span>
<span class="url">ja.wikipedia.org/wiki/JUDE</span>

◆ とりあえず、聴いてみた。

<center><iframe width="373" height="210" src="http://www.youtube.com/embed/BOhoc8XqKEE" frameborder="0" allowfullscreen></iframe></center>

◆ とくに感想はないが、歌詞のなかに

<span class="text">♪ 未来の事なら僕に任せて 決して淋しい思いさせたりしない
　 毎週部屋を衣替えするし</span>

◆ という部分があって、「部屋を衣替え」というのは「部屋を模様替え」の間違いではなかろうかと思ったが、カーテンを夏用に替えたりするのは、衣替えでもいいのだろうか？]]>
        
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    <title>ロバの馬車</title>
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    <published>2012-04-21T22:29:00Z</published>
    <updated>2012-04-24T15:16:38Z</updated>
    
    <summary>◇ ぼくは中国大陸の旅の最後に、北朝鮮との国境にある小さな町、集安へと出かけた。〔中略〕 道路にはタクシーがわりの自転車式リクシャやオートバイを改造したリクシャ、さらにロバの馬車も行き交っている。通り...</summary>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://memo.saturniancafe.com/">
        <![CDATA[<span class="text">◇ ぼくは中国大陸の旅の最後に、北朝鮮との国境にある小さな町、集安へと出かけた。<small>〔中略〕</small> 道路にはタクシーがわりの自転車式リクシャやオートバイを改造したリクシャ、さらにロバの馬車も行き交っている。通りの看板には漢字に混じってハングル文字が見える。</span>
<span class="url">斉藤政喜『東方検便録』（文春文庫，p.65-66）</span>

<a href="http://photo.saturniancafe.com/archives/2005/08/25/index.php#134548"><img src="http://photo.saturniancafe.com/0508/050825_134548a.jpg" width="120" height="160" class="left" title="2005/08/25"></a>◆ リクシャを知らないひとは調べてもらうことにして、この文章で気になったのは「ロバの馬車」。日本でロバの馬車というと、やはりロバのパン屋ということになるだろうか？

<span class="text">◇ ロバのパン屋をご存知でしょうか。　私は話には聞いているのですが、本物は見たことがありません。友達によると昔、本物のロバが馬車（ロバが引くのに馬車とは変な感じですが、ロバの引くのはなんと言うのでしょう）を引いてパンを売りにきたそうです。</span>
<span class="url">www.eonet.ne.jp/~nanno/pagenikki0003.html</span>

◆ 世界を回れば、まだあちこちにロバの馬車が走っていることだろう。

<span class="text">◇ キルギスの田舎ではまだまだ馬車が活躍！　荷物載ってないときは気軽にヒッチハイクして載せてもらえます！　ちなみにこいつは馬じゃなくてロバです。</span>
<span class="url">kyrgyzstan.blog24.fc2.com/blog-entry-19.html</span>

◆ たとえば、西アフリカのブルキナファソ。

<span class="text">◇ ここ第4の都市ワイグヤにはタクシーが無い。タクシーの変わりとしては子供が引いているロバ馬車（ロバにリアカーのようなものを付けたもの）である。</span>
<span class="url">www.pref.fukushima.jp/kokusai/wwt/burkina/kurobane/burkina_3.html</span>

◆ たとえば、インドネシアのロンボク島。

<span class="text">◇ 一番大きな違いは、ロバの馬車（変な言い方）が残っていて、普通に カポカポと、街の中を走り回っているトコです。</span>
<span class="url">www.geocities.co.jp/SilkRoad-Desert/9420/Data/indonesia/bali3.htm</span>

◆ 「ロバの馬車」あるいは「ロバ馬車」という言い方になにか違和感を感じるひとは、「ロバ車」と表現するかもしれない。ドイツのネッセンドルフ（Nessendorf）という町には、「ロバ・パーク（Eselpark）」があるらしい。

<span class="text">◇ ですが、何と言ってもロバ・パーク一番の目玉は、乗馬ならぬ「乗ロバ」とロバが引く「ロバ車」でしょう。</span>
<span class="url">www.newsdigest.de/newsde/regions/reporter/kiel/3605-864.html</span>

<span class="text">◇ カシュガルの郊外に出て、わざわざロバ車の写真を撮って来ました。ロバ車だけではなく馬車も混じっていますが、圧倒的に多いのはロバ車です。</span>
<span class="url">4travel.jp/traveler/beijing-niujie/album/10184972/</span>

◆ カシュガル（喀什）は、新疆ウイグル自治区にある中国最西端の都市。

◆ ロバを漢字で書けば「驢馬」、つまりはロバも馬の一種だから、「ロバ車」は「驢馬車」で、ロバが馬車を引いても一向にさしつかえないかもしれない。

◆ あるいは、「馬車」というのは、引かれる車のことを指すコトバなのだから、馬が引こうがロバが引こうが、馬車は馬車だ、と考えるひとも多いだろう。

◆ 英語で馬車に対応する語は種類によって、「carriage」とか「coach」とか「cart」とか「wagon」とか、いろいろあるが、それらの語に「馬」は含まれておらず、馬を含めて馬車と言う場合には、「horse and carriage」とか「horse and cart」などと言う必要があるようだ。

<span class="text">◇ 紀元前3000年ごろのメソポタミア文明の頃にはじめて車輪の付いた荷車が発明され、紀元前2500年ごろのシュメール文明の頃には、馬やロバ、そして牛などに引かせる荷車が開発された。馬車は長い間輸送の手段として重要な役割を果たしてきたが、その後、蒸気機関車による鉄道網が整備されて大量輸送が確立されると、一時的に荷馬車は衰退するが、鉄道の駅では商品の輸送量が増え、かえって荷馬車の需要は多くなった。</span>
<span class="url">blog.goo.ne.jp/yousan02/e/8cd0b046b2973fa716d94143260bd44b</span>

◆ ↑の文章で、「馬やロバ、そして牛などに引かせる荷車」＝「馬車」と読んでいいものかどうか、ちょっと迷う。

◆ 日本語では、牛が引くのは馬車ではなく「牛車」というのがふつうだろう。牛車を「ぎっしゃ」と読めば、さらに歴史的重みが加わる。もし日本に馬がいなければ、ロバの牛車という表現になっていたかもしれない。

◆ 馬車を引くのは馬がふつうだが、ロバでもよい。牛はだめだろう。では、ラクダはどうか？

<span class="text">◇ アフガニスタンの馬車は馬の代わりにラクダを使用 ― と云う訳で、過酷な労働を強いられるラクダちゃんですが、そもそも馬・ロバが車を引くから馬車なのであって、ラクダの場合はラクダ車と呼んだ方が良いのかどうか解らん。まぁ、どうでも良いんだけど。</span>
<span class="url">skmwin.net/archives/002759.html</span>

◆ では、トナカイはどうか？

<span class="text">♪ Snow-white トナカイの馬車に乗り あなたの家めざすの</span>
<span class="url">松田聖子「雪のファンタジー」（作詞：松本隆）</span>

<span class="text">◇ 札幌大通りにサンタの乗った馬車を引くトナカイが・・・！</span>
<span class="url">www.recruit-hokkaido-jalan.jp/blog/2008/12/post-499.html</span>

◆ 札幌にトナカイの馬車？　ちょっと気になって調べてみると、

<span class="text">◇ <span class="url">〔2008/12/19 05:56 【共同通信】〕</span> クリスマスはサンタの馬車に乗りませんか－。札幌市の大通公園周辺で、角を付けてトナカイに扮した馬をサンタクロースが操る観光ほろ馬車が子どもたちの人気を集めている。<small>〔中略〕</small> 馬車を引くのは元ばんえい競馬のばん馬「銀太」（雄、７歳）で、白い息を吐きながら約１・７キロの行程をゆっくりと３０分かけて周回する。</span>
<span class="url">www.47news.jp/CN/200812/CN2008121901000005.html</span>

<a href="http://photo.saturniancafe.com/archives/2007/12/24/index.php#m"><img src="http://photo.saturniancafe.com/0712/071224ma.jpg" width="160" height="120" class="right" title="2007/12/24"></a>◆ なんのことはない、トナカイに扮した馬の馬車だった。もしかして、コイツがトナカイ「銀太」だったのか？　写真まで撮っていたとは、われながらびっくり。

◆ ロバからトナカイ。なんだかよくわからないけど、満足満足。]]>
        
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    <title>ボンド、ジェームズ・ボンド</title>
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    <published>2012-04-20T00:11:52Z</published>
    <updated>2012-04-20T01:38:50Z</updated>
    
    <summary>◆ 『その英語、ネイティブにはこう聞こえます SELECT』という文庫本を読んでいたら、&quot;My name is Akiko Tanaka.&quot; というのがネイティブには「余の名前はア・キ・コ・タ・ナ・カ...</summary>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://memo.saturniancafe.com/">
        <![CDATA[◆ 『その英語、ネイティブにはこう聞こえます SELECT』という文庫本を読んでいたら、"My name is Akiko Tanaka." というのがネイティブには「余の名前はア・キ・コ・タ・ナ・カなり」に聞こえると書いてあって、笑ってしまった。ちょっとやりすぎだろう。せいぜい「田中明子と申します」ぐらいのものだと思うが、ネイティブもいろいろ。著者によると、"I'm Akiko, Akiko Tanaka." というのが正解らしい。

<span class="text">◇ I'm と短縮形で始める。最初にファーストネームを言い、ひと呼吸おいてから、改めてファーストネームとファミリーネームを告げる。</span>
<span class="url">David A. Thayne, 小池信孝『その英語、ネイティブにはこう聞こえます SELECT』（主婦の友社，p.9）</span>

◆ すると、"My name is Bond, James Bond." なんてのは、二重に不正解なわけだろう。それはともかく、

<span class="text">◇ <span class="url">〔映画.com (2010年4月19日 11:52)〕</span> 　米映画サイトMoviefoneが、引用されたり真似されたりすることの多い映画のなかの名台詞・決め台詞のベスト10を発表した。
　単に名台詞というだけでなく、「Overused（使い古された）」キャッチフレーズという切り口のランキングの第1位に輝いたのは、「ターミネーター」シリーズでアーノルド・シュワルツェネッガーが口にする「I'll be back（アイル・ビー・バック）」。日本でも大流行したフレーズだ。第2位には、ジェームズ・ボンドの決め台詞がランクイン。</span>
<span class="url">eiga.com/news/20100419/7/</span>

◆ 第２位とはスゴイな。せっかくだから、《Moviefone》の原記事も見てみると、

<span class="text">◇ <span class="url">〔The Moviefone Blog : The 10 Most Over-Used Movie Catchphrases〕</span> When you hear this phrase, the person is most likely making a fake gun using their pointer finger and thumb.</span>
<span class="url">i<small>nsidemovies.moviefone.com/2010/04/08/most-over-used-movie-catchphrases/</small></span>

◆ "you" に "the person" に "their" ときて、わけのわからなくなる英語だが、"... Bond. James Bond." というセリフを耳にすると、思わず体が反応して、人差し指と親指でピストルを作ってしまう、なんてヤツは世界中のどこにでも転がっているというわけなのだろう。すばらしい。

<center><iframe width="373" height="210" src="http://www.youtube.com/embed/raplvZFysjU" frameborder="0" allowfullscreen></iframe></center>

◆ あるいは、この名セリフを聞いて、またべつの名セリフを即座に思い浮かべるヤツもいることだろう。ただし、こちらは日本にしか転がっていないが。

<span class="text">◇ ＞［名前は］ボンド。ジェームズ・ボンド
「外れるのはカズ、三浦カズ」はこれが元ネタだったのか！</span>
<span class="url">tsushima.2ch.net/test/read.cgi/news/1271655667/　</span>

<span class="text">◇ ＞「…Bond, James Bond」（ボンド、ジェームズ・ボンド）「007」シリーズ 
「外れるのはカズ、三浦カズ」みたいなものか。</span>
<span class="url">yutori7.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1271653633/</span>

◆ これまたすばらしい。それから、こんな記事もあったが、いささか旧聞で、その後どうなったのかはよくしらない。

<span class="text">◇ <span class="url">〔映画.com (2008年9月24日 12:00)〕</span>007シリーズで悪役などに名前を聞かれたジェームズ・ボンドは決まって姓から名乗り、「ボンド、ジェームズ・ボンド」と答える。過去にボンド役の6人の俳優が言ってきたこの名フレーズが、最新作「007／慰めの報酬」（11月14日全米公開、09年1月日本公開）から消えるようだ。</span>
<span class="url">eiga.com/news/20080924/3/</span>

◆ 最新作では、復活したのだろうか？]]>
        
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    <title>ありがとう</title>
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    <link rel="service.edit" type="application/atom+xml" href="http://blog.saturniancafe.com/mt334/mt-atom.cgi/weblog/blog_id=5/entry_id=6211" title="ありがとう" />
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    <published>2012-04-19T14:51:46Z</published>
    <updated>2012-04-24T09:18:38Z</updated>
    
    <summary>♪ “ありがとう” って伝えたくて いきものがかり「ありがとう」（作詞・作曲：水野良樹） ◆ 「ありがとう」を伝えたくて、「ありがとう」と言ったら、「ありがとう」が伝わらなかった、ということもあるので...</summary>
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        <![CDATA[<span class="text">♪ “ありがとう” って伝えたくて</span>
<span class="url">いきものがかり「ありがとう」（作詞・作曲：水野良樹）</span>

◆ 「ありがとう」を伝えたくて、「ありがとう」と言ったら、「ありがとう」が伝わらなかった、ということもあるのではないかと思う。

<a href="http://photo.saturniancafe.com/archives/2012/04/15/index.php#154536"><img src="http://photo.saturniancafe.com/1204/120415_154536a.jpg" width="160" height="120" class="right" title="2012/04/15"></a>◆ 先日（この写真を撮ったその日）、山手線の電車内でロングシートに座っていて、混んできたので席をつめたら、空いた席に「ありがとう」と言って座った女性がいた。その「ありがとう」がワタシにはうまく伝わらなかった。その「ありがとう」の言い方になにか横柄な、尊大な、傲慢なニュアンスを感じてしまったからである。それで、いまさらながら、「ありがとう」にも無数の言い方があるのだなあということに思い当たった。その女性の言った「ありがとう」をうまく説明できないが、強いて言えば、昭和天皇の「ありがとう」に似ていたような気もする。抑揚の少ない平坦な言い方だった。

◆ よもや天皇級の方が山手線に乗ってくるわけもなし、もしかして、外国人？　そういう気がして、ちらと横をうかがったが、アジア人であることしかわからなかった。でも、しばらくして英語の会話が聞こえてきたので、たぶん外国人（か、それに近い人）なんだろう、ということで納得をした。

◆ 電車内で席を譲られたとき、ネイティブの日本人が「ありがとう」と礼を言うことはことのほか少ないのではないかと思う。ありがちなのは無言（で会釈のみ）の場合だろうが、これを別にすれば、ほとんどの人は、「ありがとう」ではなく、「どうも」とか「すいません」とか言うような気がする。丁寧な人なら「ありがとうございます」というかもしれない。ワタシだけかもしれないが、横柄さ・尊大さ・傲慢さを響かせずに「ありがとう」と発語することは意外に難しい。口のなかでモニョモニョ練習してみたが、なかなかうまくいかなかった。

◆ 「ありがとう」を歌った歌はたくさんあるが、その歌詞の「ありがとう」が実際に口に出されたものかどうかは歌詞だけではたいてい判断がつかない。たんに感謝の気持ちという意味を表すにすぎなくて、現実の場面で発語されるときには、照れもあって「サンキュー」とか「どうもどうも」に化けてしまうケースも多いのではないか。とそんなことを考えて、アタマのなかでいろんな曲を検索していたら、聞こえてきたのは、Styx の <em>Mr.Roboto</em>。

<center><iframe width="280" height="210" src="http://www.youtube.com/embed/1LjkC3eT6LA" frameborder="0" allowfullscreen></iframe></center>

<a href="http://www.youtube.com/watch?v=1LjkC3eT6LA&feature=fvwrel" target="_blank"><img src="http://photo.saturniancafe.com/misc/jpg/010.jpg" width="160" height="120" class="light" title="YouTube"></a>◆ 山手線の車内にこんなロボットが座っていて、親切にも席をつめてくれたなら、やっぱり言ってしまうだろうな。

<span class="text">♪ ドモアリガット　ミスターロボット　（ドモ　ドモ）</span>]]>
        
    </content>
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    <title>さて</title>
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    <published>2011-11-20T16:53:36Z</published>
    <updated>2011-11-20T16:56:26Z</updated>
    
    <summary>◆青空文庫で拾い読み。寺田寅彦「電車で老子に会った話」の冒頭。 ◇中学で孔子や孟子のことは飽きるほど教わったが、老子のことはちっとも教わらなかった。ただ自分等より一年前のクラスで、Ｋ先生という、少し風...</summary>
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    </author>
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://memo.saturniancafe.com/">
        <![CDATA[◆青空文庫で拾い読み。寺田寅彦「電車で老子に会った話」の冒頭。

<span class="text">◇中学で孔子や孟子のことは飽きるほど教わったが、老子のことはちっとも教わらなかった。ただ自分等より一年前のクラスで、Ｋ先生という、少し風変り、というよりも奇行を以て有名な漢学者に教わった友人達の受売り話によって、孔子の教えと老子の教えとの間に存する重大な相違について、Ｋ先生の奇説なるものを伝聞し、そうして当時それを大変に面白いと思ったことがあった。その話によると、Ｋ先生は教場の黒板へ粗末な富士山の絵を描いて、その麓に一匹の亀を這わせ、そうして富士の頂上の少し下の方に一羽の鶴をかきそえた。それから、富士の頂近く水平に一線を劃しておいて、<u>さて</u>こういう説明をしたそうである。</span>
<span class="url">寺田寅彦「電車で老子に会った話」（<a href="http://www.aozora.gr.jp/cards/000042/files/4359_9286.html" target="_blank">青空文庫</a>）</span>

◆ つづきの内容はさておき、しかしさておかないのが、「さて」である。さて、ワタシが好きなのはこういうコトバだ。コトバ界にも、大物から小物までいろいろいるが、「さて」はおそらく死ぬまで（コトバもいつかは死ぬのである）、世の注目を浴びることはないだろう。そういえば、そんなやつもいたなあ、となにかの拍子に、ごくまれにその存在を思いだすひとがいるかもしれないが、その直後に、まあ、いなくてもかまわないんだが、と瞬時に忘れ去られる、それくらいが関の山だろうか。個人的には、さてにはたいへんお世話になっているので、さてに気がついたからにはあまり冷たくすることができない。というのも、これまで、この MEMORANDUM でも、無数のことをさておいてきたからで、そのわりには、ワタシがさておいてきたさてというものについて、いっこう無知であったことは、やはり反省しなければならない。

◆ さて、さてにもいろいろあるようで、漢字にも「扨」「扠」「偖」と３種類もある。さてさてさて、どれも知らない。

◆ さてにもいろいろあるようで、品詞で分けると、接続詞、感嘆詞、副詞の３種類があると辞書は書いている。以下、「大辞泉」と「大辞林」の「さて」。

<span class="text">◇ 【接続詞】
[1] 一つの話が終わって、新しい話題に移るときに用いる。ところで。一方。
「―、話は変わって」
[2] <span class="green">前述の事柄を受けて、あとに続けるときに用いる。そうして。それから。</span>
「自分の席に着き、―仕事にかかろうとすると」
[3] 前述の事柄に反するような事実を述べるときに用いる。しかし。ところが。
「口で言うのは簡単だが、―実行に移すとなるとなかなか難しい」
【感嘆詞】
[1] 次の行動に移るとき、自問したり相手に呼びかけたりする語。さあ。まあ。
「―、どうしたものだろう」「―、そろそろ出かけようか」
[2] 深く感心する気持ちを表す語。はてさて。なんとまあ。
「―おうらやましいことで」
[3] 文末に置いて、自分の発言内容を確認したり強調したりする語。まあ。
「そなたが待たば愚僧も待たうは―」〈虎寛狂・宗論〉
【副詞】
[1] 前に述べた事柄を認容・放置するさま。そういう状態で。そのままに。
「見そめつる契りばかりを捨てがたく思ひ…、―たもたるる女のためも」〈源・帚木〉
[2] （「さての」の形で）そのほかの。それ以外の。
「―の日を思ひたれば、また南ふたがりにけり」〈かげろふ・下〉</span>
<span class="url">小学館「大辞泉」</span>

<span class="text">◇ 【接続詞】
[1] それまでの話をきりあげ、別な話題に移る意を表す語。ところで。
「―、次に討論に入ります」
[2] <span class="green">これまでの話を受けて、次の話に続けていく語。そうして。それから。</span>
「―、舟に乗った桃太郎はいよいよ鬼が島に着きました」
「渠<small>(かれ)</small>は…地理書とを書箱<small>(ほんばこ)</small>から出して、―静かに昨日の続きの筆を執<small>(と)</small>り始めた」〔出典：蒲団（花袋）〕
【感嘆詞】
[1] 感心したり驚いたりしたときに発する語。
「―、ここはどこだろう」
[2] 次の行動に移ろうとするときに発する語。
「―、ぼちぼち行くか」「―、困った」
[3] 文末に用いて感動を表す語。…よ。
「はて、そなたが待たば、愚僧も待たうは―」〔出典：狂言・宗論（虎寛本）〕
【副詞】
[1] その状態で。そのままで。
「さらに、―過ぐしてむと思されず」〔出典：源氏（夕顔）〕
[2] （「さての」の形で）そのほかの。それ以外の。
「―の人々は、みな臆しがちに鼻じろめる」〔出典：源氏（花宴）〕</span>
<span class="url">三省堂「大辞林」</span>

◆ 寺田寅彦のさては、どちらの辞書においても接続詞の２番目のさて。このさては、いまではとんと見かけないから、あるいはお亡くなりになったのではないだろうか？　

◆ 感嘆詞３番のさてさんも（おっと、ついさんづけしてしまった）、たまたまなのか引用文も同じだが、じゅうぶん魅力的だなあ。

◆ こんなことを書いているから、思い出したが、

<span class="text">◇ アさて、アさて、アさて、さて、さて、さて、さて、さては南京玉すだれ</span>
<span class="url">www.eonet.ne.jp/~tosimaru/song.htm</span>

<span class="text">◇ アさて、アさて、アさてさてさてさて、さては南京玉すだれ</span>
<span class="url">www.tk2.nmt.ne.jp/~manrec/tamasudare.htm</span>

<span class="text">◇ アァ、さて、さて、さてさてさてさて、さては南京玉簾</span>
<span class="url">sky.geocities.jp/asagyoutokutoubu/tamasudare.html</span>

<span class="text">◇ アァン、さて、さて、さてさてさてさて、さては南京玉簾</span>
<span class="url">Wikipedia：南京玉すだれ</span>

◆ さて、南京玉すだれのさては、どのさてなのだろう？　１番めのさてが接続詞のさてで、２番めのさてが感嘆詞のさてで、３番めのさてが副詞のさてたっだり、はまさかしないよね？

◆ さて、さいしょにさておかれたさてに戻って、寺田寅彦の「電車で老子に会った話」の末尾はこうだった。

<span class="text">◇電車で逢った老子はうららかであった。電車の窓越しに人の頸筋<small>（くびすじ）</small>を撫でる小春の日光のようにうららかであったのである。</span>]]>
        
    </content>
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