MEMORANDUM
2012年06月


◆ 忽然と消えてしまった。いつかサザンクロスのことを書こうと思っていたのに。よもや天空の星が消えるなどとは考えてもみなかったから。ワタシのせいではないんです。そう思ってはみたものの、自信がない。というわけだから、サザンクロスのことはもう書けない。

◆ 「辺」という漢字1字のお店があって、これを「なべ」と読ませる。ちょっとおしゃれな感じ。ダイニングバーとあるので、店内もきっとおしゃれなのだろう。オーナーは渡辺さんか田辺さんか。調べたら、渡辺さんだった。

◆ ナベツネもなべおさみ・やかん父子も、名字は渡辺。

◆ 埼玉県のどこだったかに〔いま調べたら、東毛呂駅前に同名の店があるようなので、ここだったのかも〕、「Casserole」(フランス語で「鍋」の意)というレストランがあって、マスターに店名の由来を尋ねたことがあるが、こちらも渡辺さんだった(ような記憶がある)。料理店に「鍋」だから、連想の点では、「辺」よりもさらにしゃれていよう。

◆ 「鍋」はさておき、ハナシを「辺」に戻すと、《コトノハ》に「渡辺は『わたな・べ』なのか『わた・なべ』なのか」という質問がある。回答は、圧倒的に「わた・なべ」が多い。どちらかと選べと言われれば、ワタシも、なんとなく「わた・なべ」と答えるだろう。こんな回答もあった。

◇ そういや小宮山はどこまでがミヤでどこからがヤマでしょうか
kotonoha.cc/no/37070

◆ いまは大臣のこのひとのポスターでは、「こ・み・やま」と振り仮名が振ってある。

◆ 「渡辺」は2字で「わたなべ」と読むわけで、「わたな・べ」でも「わた・なべ」でもないと言われれば、たしかにそうだが、この質問がおもしろいのは、「渡辺(わたなべ)」から「辺(べ)」を引いたら「わたな」が残るし、「渡(わた)」を引いたら「わた」が残るというような「漢字の引き算」にあるのだろう。「小宮山」はその上級編といった感じがする。「渡辺」は2字で「わたなべ」と読むのだ、と言うひとは、「小宮山」は3字で「こみやま」と読むのだ、と言うのだろうか、それとも、「小宮山」の「宮山」は2字で「みやま」と読むのだ、と言うのだろうか?

◆ 「漢字の引き算」というようなことを考えて、すぐに思いつくのは、川崎の溝口を「ノクチ」と呼ぶのもそうだろう。あるいは、全国各地にある「ガオカ」高校。札幌の旭丘高校や福岡の筑紫丘高校をはじめとして、ガオカと呼ばれる高校は多い。

◆ 「ガオカ」高校の上級編は、春日丘高校。大阪の茨木市にあるのが「かすがおか」高校で、愛知の春日井市にあるのが「はるひがおか」高校。これらの両校はじっさいには「ガオカ」とは呼ばれていないようで、《Wikipedia》によれば、茨木のほうは「かすこう」、春日井のほうは「はるひ」と呼ばれているらしいが、それはともかく、「漢字の引き算」の問題として考えれば、いろいろとおもしろい。茨木の春日丘から「ガオカ」を引いたら「カス」が残って、だから「かすこう」というのか?、いやたんに語呂のせいだろうな、などと考えたあとに、ああ、この「春日丘」の場合は「かすががおか」ではなくて、春日だけで「かすが」と読むのだから、そもそも他の「ガオカ」高校とは種類が異なるのだった、ということにようやく気がついても、今度は「春日」はなぜ「かすが」と読むのだろう、とまたべつな問題が出てくる……

◆ 辞書で「カーブミラー」を引くと、

〔小学館『大辞泉』〕 《(和)curve+mirror》曲がり角などに設置し、道路を見通せるようにする凸面鏡。
〔三省堂『大辞林』〕 (和製) curve+mirror 見通しの悪い曲がり角に設置する凸面鏡。曲がり角に隠れた自動車や歩行者を視認することができる。

◆ と、どちらも和製英語であると書いてある。では、英語ではなんと言うのか? 「curved mirror」と訳してあることもあるが、これは「(ミラー自体が)カーブしたミラー(曲面鏡)」という意味で、日本語のカーブミラーとは意味が違う。日本語のカーブミラーは「(もちろんミラー自体もカーブしているが)カーブ(や曲がり角など)にあるミラー」という意味だろう。

◆ curved mirror(曲面鏡)には2種類あって、外側にカーブしている(中心がでっぱっている)のが凸面鏡(convex mirror)で、内側にカーブしている(中心がへっこんでいる)のが凹面鏡(concave mirror)。カーブミラーに使われるのは、もちろん凸面鏡。

◆ カーブミラーの訳としては、「curved mirror」より「convex mirror」のほうがまだわかりやすいだろうが、それだけでは、コンビニなどの店内の角にある防犯用のものも含まれるので、「road convex mirror」とか「traffic convex mirror」などとしたほうがさらにはっきりする。「road mirror」とか「traffic mirror」でも十分通じるだろうし、「blind corner mirror」でもいいだろう。

◆ ところで、このカーブミラー、日本ではあたりまえのように目にするけれども、世界ではそうではない地域も多いようだ。

◇ 日本ではよく見かけるのにアメリカには全くといっていいほど見られないのがカーブミラーです。
eigodaisuki55.jugem.jp/?eid=57

◇ でも、これって日本独特のものかも知れません。25年間住んだニューヨークでは見かけた覚えがないし、現在住所があるカリブ海のセント・トーマス島でも見かけない。同じバージン諸島にある米国領の島セント・ジョンなどもカーブが多いので、これがあったら便利なのになぁなんて思う場所がいくつもあります。
windlessgypsy.blogspot.jp/2011/07/curved-mirror.html

◇ They are not that common in the U.S., but I've run into them (though not literally) around the world.
〔アメリカではさほど一般的なものではないが、世界中で(といっていいほど)見かける。〕

blog.adventurecycling.org/2011/08/mirror-images.html

◆ 少なくとも、アメリカにはあまりないらしい。

◇ アメリカもニュージーランドもオーストラリアも曲がりくねった道にカーブ・ミラーを置きません。昔、アメリカ人の友人が日本に来てカーブ・ミラーが各所にあるのを見て、こう言いました。「アメリカにこういう鏡をつけたらたちまち若者に石を投げつけられて割られてしまう。誰も割らないのは驚きだ」。カーブミラーは強化ガラスやステンレス、アクリルなどでできていますが、外国ではいたずらでたちまちぼこぼこにされてしまうでしょう。それがカーブミラーを置かない理由と思います。
frontback.exblog.jp/14368413/

◇ Land of the Rising Sun and Convex Mirrors. These mirrors are positioned at every blind corner and intersection. Get used to using them since they can save your life.
〔日本では、カーブミラーが曲がり角や交差点ごとに設置されている。このミラーの使い方に慣れておけば、事故から身を守れる。〕

javageno.blogspot.jp/2008/11/tips-on-cycling-japan.html

◆ 最後の引用は、日本を自転車で旅したアメリカ人のブログから。あるものがない理由を考えるのは、あるものがある理由を考えるよりも格段に難しい。「いたずらされるから」という理由もあるだろうが、「このミラーの使い方に慣れておけば」という言い回しから、カーブミラーを「正しく見る」のにもかなりの熟練が必要だということに改めて気がついて(左右が逆になる)、慣れないひとにはかえって危険なものになるから、という理由が大きいのではないかと思ったが、どうだろう。

◆ ネットでカーブミラーのことを調べていたら、「Trixi mirror」というのがよく出てくるので、これはなんだろうと思って、ついでにこれも調べてみた。

〔London Evening Standard (2011/05/27)〕 Large mirrors are to be installed along key bike routes in a bid to reduce the number of cyclists killed by lorries. Transport for London will put 54 of the "Trixi" mirrors on the next two cycle superhighways when they launch this summer.
〔トラックによる自転車運転者の死亡事故減少のために、大型ミラーが主要な自転車レーンに設置されることになった。ロンドン交通局は、54個の「トリクシー」ミラーを今春完成する2本の自転車スーパーハイウェイに取り付ける予定。〕

www.thisislondon.co.uk/news/giant-mirrors-to-help-save-lives-on-cycle-highways-6406112.html

〔2012/01/03〕 The Institute for Road Safety Research in The Netherlands has found that blind spot roadside mirrors (known as Trixi mirrors) do not have a significant impact on the number of collisions between trucks and cyclists at junctions.
〔オランダ道路安全研究所の調査で、交差点でのトラックと自転車の衝突事故減少に、自転車巻き込み防止ミラー(トリクシー・ミラー)はたいした効果がないことが判明した。〕

kingscrossenvironment.com/2012/01/03/trixi-mirrors-will-not-stop-road-deaths-says-new-research/

◆ Trixi(トリクシー)というのは、なにかというと、

◇ Im Jahr 1994 verunglückte Beatrix »Trixi« Willburger, als sie mit ihrem Fahrrad von einem LKW beim Rechtsabbiegen erfaßt wurde. Trixi überlebte den Unfall schwerverletzt und ist seitdem stark gehbehindert.
toter-winkel.hcpy.de/7_0.html

◆ Beatrix Willburger というスイス人の「少女」の愛称(Beatrix の短縮形)だということらしい。ドイツ語はよくわからないので、英語で似たような記事を探すと、

◇ The Trixi mirrors are named after a Swiss cyclist, Beatrix Willburger, who at the age of 13 was seriously injured when she collided with a turning cement mixer.
〔トリクシー・ミラーは、13歳のときにミキサー車に巻き込まれて重症を負ったスイス人 Beatrix Willburger の名にちなむ。〕

www.thisislondon.co.uk/news/new-superhighways-for-cyclists-get-mirrors-to-cut-lorry-fatalities-6483250.html

◆ 娘 Trixi の事故(1994年)をきっかけに、お父さんが同様の事故を防ぐために考案したのが、Trixi mirror(ドイツ語では Trixi-Spiegel)で、その普及のために世界各国で活動しているということだ。Trixi こと Beatrix さんはいまも車椅子のままだ。

◆ 以前に書いた文章を読み返していて、

◇ あちこちに幸町があって、そこではだれもが幸せになろうとしている。幸せなひとたちが住むところに、けっして幸町はない。「幸」住むと人のいふ

◆ という箇所を、これじゃあ、全国各地の幸町に住むひとに失礼かな、という気がして、書きなおそうかとも思ったが、書きなおすのはやめにして、さらに書き足すことにした。前回の記事でも引用したが、「SACHIKO」という歌に、

♪ 幸せを話したら 五分あれば足りる
  不幸せ話したら 一晩でも足りない
  Sachiko という名は 皮肉だと
  自分に宛てた手紙もやして

  ばんばひろふみ 「SACHIKO」(作詞:小泉長一郎)

◆ という歌詞がある。しかし、幸子自身がそう感じるのはしかたがないとしても、幸子という名前に皮肉があるわけではない。そもそも幸子という名前は、幸せな女の子という意味ではないからだ。幸子という名前が意味するのは、幸せな女の子になってほしいという親の願望なのであり、じっさいの幸子が幸せかどうかにはまったく関係がない。

◆ 同様に、優しい女の子が優子と呼ばれ、美しい女の語が美子と呼ばれるわけではない。優しい女の子になってほしいと願う親が優子と名づけ、美しい女の子になってほしいと願う親が美子と名づけるのだ。現実の優子が優しくなく、現実の美子が美しくなくても、それは名づけ親の責任ではない。

◆ あたりまえのハナシだが、新しく生まれたものに対するこうした命名は、名づけが行われる時点での願望を表現することしかできない。もちろん、それはなにも人名にかぎったことではない。地名も同様である。住むひとが幸せになってほしいと思う気持ちから、新しい町の名を幸町と名づけるので、住むひとが幸せだから幸町と名づけるわけでは、けっしてない。願望ではなくて、現状にふさわしい名づけをせよという法律・条例ができれば、おそらく不幸町という町名が全国にあふれることになるだろう。アパートの名でも同じこと。ぼろアパートになってしまったからといって、「ボヌール」(幸せ)とか「エスポワール」(希望)とかいった新築当時の名前を律儀に改名する大家はいない。名が実態にそぐわないのは大家の責任ではない(名にふさわしいアパートにするのに必要な努力を怠ったというような意味での責任はあるかもしれないが)。実態に即したアパート名しか許されないとしたら、日本全国に無数の「貧乏荘」とか「お先真っ暗荘」が出現するだろうし、老人ホームの名称もなんかも、ほとんどが改称を余儀なくされることになるだろう。

◆ そんなことを考えていると、すっかり陰鬱な気持ちになってしまうが、もうひとつだけ。元号などというのも、同じことだろう。

◇ 新しい元号は「平成」であります。これは、史記の五帝本紀及び書経の大禹謨中(だいうぼ)の「内平かに外成る(史記)地平かに天成る(書経)」という文言の中から引用したものであります。この「平成」には、国の内外にも天地にも平和が達成されるという意味がこめられており、これからの新しい時代の元号とするに最もふさわしいものであると思います。
竹下内閣総理大臣の談話(1989年1月7日)

◆ これは首相に代わって小渕官房長官が読み上げた文章(だったっけな)。平成という名には「国の内外にも天地にも平和が達成される」という願望が込められているということだが、現在、国の内外に平和が達成されたと思っているひとがどれだけいるだろう。それから「天地」、とくに「地」に、平和が達成されたと思っているひとはひとりもいないだろう。

◇ 元号が一世一元になる前なら、このような大きな災いがあれば改元がなされたはず。平成の世はじつは大乱の世であった。復興と人心の一新のため、法制変えてこのさい改元したらいいと思う。
twitter.com/solar1964/status/51082165336809477

◆ ↑は《大震災復興への気分を変えるために「災異改元」はいかが?[絵文録ことのは]2011/03/25》というブログ記事に引用されていたもの。《Wikipedia》に、出典不詳ながら、こんなことも書いてあった。

〔Wikipedia:平成〕 平治以来「平」で始まる元号がないのは、平治が戦役によって混乱した時代であったためであり、「平」で始まる元号はこれを避けるのが故実である。また、「平」「成」の文字の中に「干(=楯)」「戈(=鉾)」があり「干戈(戦争を意味する)」に通じる。
ja.wikipedia.org/wiki/平成

◆ 干戈は「かんか」と読む。そういえば、NHKの大河ドラマ「平清盛」の視聴率が低調であるそうだが、平清盛にも「平成」の文字があるなあ。

♪ Bicycle bicycle bicycle
  I want to ride my bicycle bicycle bicycle

  Queen「Bicycle Race」(作詞・作曲:F. Mercury)

◆ 英語では、bicycle(bike)に乗れば、だれもが cyclist(bicyclist)で、なにも競輪選手であることを要しない。

◆ このおばちゃん(↑)もりっぱな cyclist(サイクリスト)である。ところで、この cyclist、日本語にしようと思うと意外と難しい。pedestrian は「歩行者」と訳せばそれですむが、cyclist には直接対応する日本語がない。「自転者」といった日本語でもあればよいが、そんな単語はないので、強いて言うなら「自転車運転手」になるだろうか。

〔(豪)Newcastle Herald:2012/04/01〕 Cyclist killed at Magenta
A cyclist was killed in an accident with a car at Magenta, near Norah Head, on the Central Coast this morning. [...] The cyclist, believed to be aged in his late 50s, died at the scene.

www.theherald.com.au/news/local/news/general/cyclist-killed-at-magenta/2507487.aspx

〔(加)Toronto Star〕 84-year-old cyclist killed in collision
An 84-year-old cyclist has died after colliding with a car driven by an 81-year-old man Friday morning at an intersection in the city’s east end. [...] The cyclist, who police say was not wearing a helmet, was rushed to hospital in serious condition. He later died of his injuries.

www.thestar.com/news/crime/article/1035103--84-year-old-cyclist-killed-in-collision

〔(南ア)News24:2012/05/05〕 Cyclist killed after hitting pedestrian
Johannesburg - A cyclist was killed in an accident involving a pedestrian in Roodepoort, west of Johannesburg, paramedics said on Saturday.

www.news24.com/SouthAfrica/News/Cyclist-killed-after-hitting-pedestrian-20120505

〔(印)The Times of India:2012/02/19〕 One killed in sports car crash in Delhi
NEW DELHI: The driver of a speeding Lamborghini was killed when his sports car hit a cyclist and crashed into a bus stop railing in south Delhi early Sunday, police said.

articles.timesofindia.indiatimes.com/2012-02-19/delhi/31076582_1_sports-car-lamborghini-cyclist

〔(英)BBC NEWS:2012/05/25〕 Cyclist killed in crash with car at Appleton
A 39-year-old cyclist has died in a collision with a car in Oxford. The man was in a crash with a black Ford Focus in Eaton Road, Appleton just after 21:00 BST on Thursday. He was pronounced dead at the scene.

www.bbc.co.uk/news/uk-england-oxfordshire-18206274

〔(米)San Francisco Chronicle:2012/05/16〕 Bicyclist killed by hit-and-run driver in Dublin
A bicyclist was struck and killed by a hit-and-run driver in Dublin, police said Wednesday. [...] The man died at the scene.

www.sfgate.com/cgi-bin/article.cgi?f=/c/a/2012/05/16/BARB1OISUV.DTL

〔(米)The Florida Times-Union:2012/04/28〕 Bicyclist killed in Friday night accident
A bicyclist was killed Friday night when he was hit by a car at the intersection of Normandy Boulevard and Chaffee Road.

jacksonville.com/news/metro/2012-04-28/story/bicyclist-killed-friday-night-accident


〔(米)KKTV:2012/04/23〕 State Patrol: Driver Who Hit And Killed Cyclist Was Drunk
State troopers believe the driver of a Jeep that hit and killed a bicyclist Sunday night was drunk at the time of the accident.

www.kktv.com/home/headlines/Bicyclist_Killed_Along_Highway_83_148468275.html

◆ 日本の新聞だとこうなる。

〔佐賀新聞:2009/11/29〕 宮崎佐賀県議と衝突事故 自転車男性が死亡
 28日午前8時55分ごろ、佐賀県唐津市見借の市道で自転車と乗用車が衝突。自転車に乗っていた同市八幡町、会社員****さん(49)が全身を強く打ち、搬送先の病院で29日、亡くなった。

www.saga-s.co.jp/news/saga.0.1484400.article.html

〔山形新聞:2011/10/28〕 自転車男性が車と衝突、重体 酒田の交差点
 27日午後8時50分ごろ、酒田市本町3丁目で、同市緑ケ丘1丁目、飲食業****さん(27)の軽乗用車と、同市入船町、無職****さん(57)の自転車が衝突した。**さんは頭部などを強く打ち、意識不明の重体。

yamagata-np.jp/news/201110/28/kj_2011102800861.php

〔西日本新聞:2012/05/09〕 別府署員、事故届け出ず 自転車の男性と接触、示談
 大分県警別府署地域課の20代の男性巡査が昨年11月、同県別府市でマイカーを運転中、70代の男性の自転車と接触する人身事故を起こしたにもかかわらず、道交法が義務付ける県警への届け出をしていなかったことが9日分かった。

www.nishinippon.co.jp/nnp/item/301225

〔MSN産経ニュース:2012/05/11〕 自転車の女性を包丁で切り付ける 殺人未遂容疑で女逮捕
11日午前10時45分ごろ、神戸市長田区三番町3丁目の市道で、包丁を持った女が、自転車で通行していたパート女性(42)の顔を切り付けた。長田署によると、女性は軽傷。女性と通行人が女を取り押さえ、駆け付けた署員が殺人未遂容疑で現行犯逮捕した。

sankei.jp.msn.com/region/news/120511/hyg12051115300007-n1.htm

〔河北新報:2011/12/16〕 田中投手が人身事故 自転車女性、腰にひびの大けが
 プロ野球東北楽天の田中将大投手(23)が14日午前11時50分ごろ、仙台市宮城野区の市道で乗用車を運転中、同区の女性(56)の自転車に衝突していたことが、仙台東署などへの取材で分かった。女性は腰の骨にひびが入る大けが。田中投手にけがはなかった。

www.kahoku.co.jp/news/2011/12/20111216t13003.htm

◆ 「自転車男性」や「自転車女性」という表現の「男性」「女性」は、なにも男女の別を言いたいわけではなく、それ以外に言いようがないので(「自転車人間」などとは言えない)使用しているだけではないかと思う。会話では「自転車の人」とか「自転車の方」とか言いようがあるが、新聞記事では使えないだろう。

◆ サイクリストの事故の英文ニュース記事をあれこれ読んでいて、英語の交通事故の記事では、乗用車の車種まで明記してあることが多いことに気がついた。色や年式まで記されていることもある。その理由はなんだろう。生活における車の重要度の違いだろうか。日本でそこまで報道しないのは、必要がないと判断されているからか、それとも、自動車メーカーにたいする遠慮があるからか。考えてみれば、いろいろおもしろそうだが、いまのところはよくわからない。とりあえず、新聞記事の見本だけ。たとえば、こんなふう。トヨタ・カローラ。

◆ 米国オレゴン州ベンド(Bend)。現在、気温3℃。

〔The Bulletin:2012/02/13〕 Cyclist injured in Highway 20 crash
A bicyclist suffered minor injuries in a collision with a car east of Bend on Sunday afternoon. The crash took place after bicyclist Victoria Howry, of Bend, crossed in front of a 1989 Toyota Corolla that was driving behind her, according to a Deschutes County Sheriff’s Office news release.

www.bendbulletin.com/article/20120213/NEWS0107/202130334/

◆ 米国モンタナ州ミズーラ(Missoula)。現在、気温12℃。

〔Missoulian:2012/05/31〕 Missoula bicyclist injured in crash with car
A westbound white Toyota Corolla turning left from Main onto Orange streets at noon Thursday collided with a bicyclist, according to Missoula police.

missoulian.com/news/local/missoula-bicyclist-injured-in-crash-with-car/article_433584ca-ab54-11e1-8891-0019bb2963f4.html

◆ 米国ミネソタ州プライヤー・レイク(Prior Lake)。現在、気温21℃。

〔KNUJ:2012/06/01〕 Scott County Fatal Crash
A 91-year-old Prior Lake resident is dead after a 3-car pileup on Highway 13 in Scott County Wednesday evening. A Toyota Corolla driven by Florence Bothof of Prior Lake was heading southbound on 13 when it went to turn onto Franklin Trail at just after 5:30pm and was struck by a northbound Ford Focus. Both vehicles then hit a Cadillac CTS that was stopped at the stop sign on Franklin Trail. Bothof was pronounced dead at the scene. The other drivers suffered non life-threatening injuries.

www.knuj.net/2012/06/scott-county-fatal-crash/

◆ 米国バーモント州ブラトルボロ(Brattleboro)。現在、気温10℃。

〔Brattleboro Reformer:2012/05/17〕 Two-vehicle crash on Putney Road
A two-vehicle crash halted traffic on Putney Road for at least an hour on Thursday afternoon as police, firefighters and rescue personnel assessed the situation. A white Toyota Corolla and a red Ford Escape suffered significant damage and each had to be towed from the scene following a collision near Spring Tree Road's Community High School of Vermont.

www.reformer.com/ci_20648533/two-vehicle-crash-putney-road

◆ カナダ、ブリティッシュコロンビア州ダンカン(Duncan)。現在、気温9℃。Chevron はガソリンスタンド。

〔Cowichan News Leader Pictorial:2012/05/29〕 Cyclist struck by vehicle near Duncan Chevron
A cyclist was taken to hospital with minor injuries Saturday after being struck by a vehicle near the Duncan Chevron. The collision happened at about 10:40 a.m. at the entrance to the Trans-Canada Highway gas station. North Cowichan/Duncan RCMP spokesman Cpl. Kevin Day said a brown 2009 Toyota Corolla, driven by a 44-year-old Nanaimo woman, was turning into the gas station from the northbound slow lane when the vehicle struck a cyclist who was also travelling north.

www.cowichannewsleader.com/news/155365765.html

◆ カナダ、アルバータ州セント・ポール(St. Paul)。現在、気温12℃。

〔Edmonton Journa:2012/04/17〕 Woman, 89, survives car crash with semi-trailer near St. Paul
An 89-year-old woman escaped serious injury after her car collided with a semi-trailer during heavy snowfall near St. Paul. Around 10:15 p.m. Monday, emergency services responded to a head-on crash involving a southbound semi and a northbound Toyota Corolla on Highway 36 near Township Road 582.

www.edmontonjournal.com/news/Woman+survives+crash+with+semi+trailer+near+Paul/6469638/story.html

◆ 南アフリカ、ケープタウン(Cape Town)。現在、気温14℃。

〔Cape Argus:2012/05/14〕 7 die as car, truck collide
The truck, pulling two trailers, was travelling south on the R27 and was turning right towards the Engen 1-Stop at Langebaan Junction. The Toyota Corolla collided with a wheel axle on the first trailer and became lodged underneath, said Rob Nel of SA Paramedics Services.

www.iol.co.za/capeargus/7-die-as-car-truck-collide-1.1296237

◆ あまり車に関心がないので、トヨタ・カローラといってもピンとこないが、《Wikipedia》によると、

〔Wikipedia:Toyota Corolla〕  The Toyota Corolla is one of a line of subcompact and compact cars manufactured by the Japanese automaker Toyota, which has become very popular throughout the world since the nameplate was first introduced in 1966. In 1997, the Corolla became the best selling nameplate in the world, surpassing the Volkswagen Beetle. Over 39 million Corollas have been sold as of 2012. The series has undergone several major redesigns.
 The name Corolla is part of Toyota's naming tradition of using the name Crown for primary models: the Corona, for example, gets its name from the Latin for crown; Corolla is Latin for small crown; and Camry is an Anglicized pronunciation of the Japanese for crown, kanmuri.

en.wikipedia.org/wiki/Toyota_Corolla

◆ 1997年には、フォルクスワーゲンの「ビートル(カブトムシ)」を抜いて世界で一番売れたそうだから、数に比例して事故が多いのもあたりまえか。「カローラ」はラテン語で「小さな冠」のことだそう。それから、「カムリ」は日本語の「冠(かんむり)」を英語っぽくしたネーミングであるそう。ちょっと勉強になった。

◆ 横浜市都筑区東方町。

◆ 櫻井寛『世界鉄道遺産』という新書版の本をぱらぱら読んでいると、オリエント・エクスプレスにかんして、

◇ アガサ・クリスティの名作『オリエント急行の殺人』、そして映画「オリエント急行殺人事件」など、数多くの小説や映画の舞台にもなった。
櫻井寛『世界鉄道遺産』(角川oneテーマ21,p.68)

◆ と書いてあって、ここで読書がふきだまりに突っ込んでしまったかのように急停車した。小説の『オリエント急行の殺人』と映画の「オリエント急行殺人事件」って、ジャンルは違うけどおんなじハナシじゃないの? と思ったからだ。数多くあるというのなら、なにもわざわざ1つのものを2つにして挙げることはないだろうに。もしかしてアガサ・クリスティの小説に基づかない「オリエント急行殺人事件」という映画があるのかと思って調べてみたが、どうもないようである。↓のように書いてあれば、問題なく通過したと思う。

〔西日本新聞:連載「新オリエント特急」(小野博人 2001/06/19)〕 アガサ・クリスティの「オリエント急行殺人事件」(一九三四年)、グレアム・グリーンの「スタンブール特急」(一九三二年)など、オリエント急行を利用した小説家たちによる作品が生まれ、映画化された。
www.nishinippon.co.jp/media/news/0107/olient/olient3.html

◆ グレアム・グリーンの『スタンブール特急』の原題は Stamboul Train だが、アメリカ版では Orient Express に改題された。これは、小説も読んでないし、映画も見てないので、通過。

◆ 「オリエント」ということで、たまたま読んだ本の引用をする(ほんとうは、こっちのことを書きたかったのだが、ハナシがまとまらなさそうだったので、「ついでに」ということにした)。フランスのブルターニュ地方にロリアンという町がある。

◇ 旅行中、ロリアン Lorient という名を道路の標識で幾度となく眺めながら、言葉遊びのようにオリエント(l’Orient=発音は ″ロリアン" というイメージが浮かんできたことはよく覚えているが、本当にこの町の名がオリエントを意味しているのだということには気づかなかった。だからあとになって驚いたのだけれども、実はこの町は十七世紀にフランス東インド会社の基地としてつくられた港が発祥で、そのために ″東方″ という名をつけられたという歴史があったのだ。
玉村豊男『パリのカフェをつくった人々』(中公文庫,p.148)

◆ 地味な身なりをしたこの町は、自分から過去の栄光をアピールなどしない。関心をもってくれたひとにだけ、「ああ、気づいてくれたんですか。それはどうもありがとう。べつにたいしたことじゃないんですけどね」と身の上話をし始める、そんな感じのする町だ。旅をして、目的地ではなく、途中で寄っただけの町になぜだか気が惹かれる。そういう、おまけの「たまたま」の部分がなければ、旅とはいえないだろう。などということを↑の文章から考え始めてしまうけれど、次の引用。

◇  なるほどこの十年間の間に、日本のあちこちの都市にエスニック料理店といわれるものが増えた。〔中略〕
 そもそもエスニック料理という名前をもった独自の料理が、この世界に存在しているのだろうか。これはワールドミュージックという言葉と並んで、かなり傲慢な、思い上がったモノのいい方ではないかと、私は思う。本当に実在しているのはタイ料理であり、モロッコ料理であり、韓国料理であって、こうしたそれぞれの料理には互いに何の関係もないのだ。ヨーロッパ人はよく自分たち以外の世界を、トルコから北アフリカ、インド、日本までを簡単に「オリエント」と呼んだが、私はこれほどに人を馬鹿にした話はないといつも考えてきた。きょうはエスニックでも食べにいきまショ、という表現を日本の女の子が使うとき、その言葉の滑稽さと傲慢とを考えてほしいのだ。

四方田犬彦『けだものと私』(淡交社,p.230)

◆ これは、ほんとにさっき読んだばかりの文章なので、これについては、考えるヒマもまだないが、せっかくだから、載せておく。

◆ 「オリエント」か。ワタシもなにか、オリエントにかんする写真でも撮っていなかったかな、と思って調べたら、こんなのが。横浜の中華街にある「オリエンタル旅館」。もともとは船乗りのための宿泊所だったらしい。宿泊レポートが《YOKOHAYA・YAMASHITA「東方旅社(オリエンタル旅館)」の旅:swalさんの旅行ブログ by 旅行のクチコミサイト フォートラベル》とか《中華街にある怪しい建物、オリエンタルホテルは営業してるのか!?[はまれぽ.com]》で読める。機会があればそのうち泊まってみたい。

◆ と、もう1枚が、最初に載せた写真。東方町。こちらにはあとで驚くような史実などなにも隠されていないだろうけど、せっかくだから、調べないでおこう。そもそも「東方」を「とうほう」と読むのかどうか。違うような気もするけど、これもせっかくだから、調べないでおこう。

◇ 子どもの絵本で『ちいさいおうち』というのがあるでしょう? 最初は緑の丘の上に家が建つ。町が発展して、だんだんまわりにビルが建って、ついにビルの谷間に埋もれてしまう。それで、最後は、もう一度田舎に移るという。
建築三酔人『東京現代建築ほめ殺し』(新潮OH!文庫,p.100)

◆ バージニア・リー・バートン(Virginia Lee Burton)の『ちいさいおうち The Little House』の冒頭はこう。

◇ Once upon a time there was a Little House way out in the country. She was a pretty Little House and she was strong and well built.

◇ むかしむかし、静かないなかにちいさいおうちがたっていました。それは、ちいさいけれどとてもがんじょうにつくられた、強いおうちでした。
バージニア・リー・バートン『ちいさいおうち』(石井桃子訳,岩波書店)

◆ 訳者の石井桃子(1907年3月10日 - 2008年4月2日)は、101歳まで生きた。原文で「She(彼女)」と書かれる「ちいさいおうち」に、訳者の姿がだぶって見える(なんてことは読んでから書くべきだろうな、やっぱり)。

◆ ヒマを見つけては、古い写真の整理をしている。これは2007年3月2日の写真。どこで撮ったのかさっぱり憶えていないが、店舗の庇に書かれた電話番号を手がかりに検索すると、すぐに判明。立会川の恩田青果店。テレビ番組の「出没!アド街ック天国」でも取り上げられたらしい(2010年4月17日)。

◇ 恩田青果店:昭和32年創業の青果店。創業以来、毎日競馬場に野菜を卸しています。1日に競走馬およそ200頭分の食料を配達。人参や大根、キャベツなど計7種類の食材を用意。その中にはリンゴやバナナなどのデザートもあります。またお隣では花屋「お花の店 ブーケ」を経営しています。
www.tv-tokyo.co.jp/travel/spot/8328.html

◆ 写真を見直すと、なるほど右側には花が並べられ、庇の文字も「お花の店 ブー」まで読める。

◇ お花の店 ブーケ:花屋。恩田青果店のお隣にあるお店。こちらでは馬の餌ではなく、レースに勝った騎手へのお花のプレゼントに使われています。
www.tv-tokyo.co.jp/travel/spot/8330.html

◆ 青果店と生花店は同音異義語で紛らわしいが、この店の場合は、青果店でもあり生花店でもあるというわけ。

◆ 台湾人に喜ばれる日本の土産物のひとつに「救心」があったそうだ。

◇ 「あんた、泊まるの?」
 いきなり日本語だった。部屋はあったが、予想していたよりは高かった。東南アジアの物価レベルに慣れていると、台湾の物価はかなり高ぐ感じる。
 おばさんは部屋のカギを渡し、私のバッグを指さした。
「救心、持ってる?」
「ええ」
「売りなさいよ。高く買ってあげるから」
 台湾に来る直前まで、「救心」という薬があることも知らなかった。「台湾へ行くよ」と友人に言ったら、彼の知人に救心とリンゴを持っていってくれと頼まれた。友人には世話になっているからことわりきれず、しかたなく運び屋になった。リンゴは重いから1キロだけ買ったが、台北の空港には段ボールひと箱のリンゴを持ち込もうとしている日本人がいくらでもいた。救心、中将湯、命の母など、戦前からある日本の古い薬は、日本の植民地時代を体験した台湾人たちには信仰にも似たブランドイメージがある。薬に限らず、日本製品はすべて最高の品物だと信じている。

前川健一『いくたびか、アジアの街を通りすぎ』(講談社文庫,pp.29-30)

◆ ↑は、台北駅裏で安宿を探していた著者の体験。日付は書いてない。似たようなハナシをネットで探してみると、多少は見つかる。

〔『ふあんねる Voy.4』:大川敏「船旅日記(プレジデント・ケネディーに乗って)」(1980年12月31日、高雄)〕 日本語の達者なおやじさんが店先にいて、盛んに私に話しかけてくる。今台湾では「救心」が非常に人気があることや、ニコンのカメラが高く売れると、私が聞きもしないことを次から次へ話してくる。
www.geocities.jp/funamushi21/funnel/Voy4/Voy4-7.html

〔URA(浦達雄)の台湾旅行記(1987年12月29日、台中)〕 夕食は名代レストランで北京料理を食べたが、ここの主人は北海道や東京にも行ったことがあると言って、写真を見せてくれた。そして、話しがはずみ、台湾の人が喜ぶ日本の土産物として、日本のりんご、梨、柿、荒巻鮭、家庭電化製品、電気鉛筆削り、正露丸・中将湯・サロンパス・救心等の医薬品を挙げてもらう。台湾の山地でりんごを栽培しているが、日本のりんごの方がはるかに美味しいとのこと。梨も同様である。
www2.meijo.ac.jp/mei-ura/taiwan.htm

〔高あきらのこの世の中なんでもあり〕 台湾の人は日本の薬が大好き。正露丸、太田胃散、武田のアリナミン、救心などがお土産として喜ばれる。
blog.oitablog.jp/takaakira/archives/2006/05/post_92.html

(2007年1月18日、新大阪駅構内の薬局) その女性の後に続いて、10名ほど中国語をはなす(台湾人)がドドドっと駆けつけて、あれよあれよという間に店頭にある『メンソレータムAD』を大量に買い占め、慌てて去っていきました。その後、ここの店員さんに『台湾の方よくこられるんですか?』と聞いてみると『観光客の方ですが、みなさん、商品名を書いたリストをもってきて大量に買い占めていきます。台湾で買うと高いらしいですよ~』と話してくれました。ついでに、中国系観光客に人気のある薬も聞いてみると、やっぱり一位は昔から変わらず『正露丸』、二位『救心』三位『メンソレータム』だそうです。
chaimama.blog62.fc2.com/blog-entry-160.html

◆ いまでもそうなのだろうか?

◆ さいしょに「エスポワール」という名のアパートが気になったのは、夕張でだった。それからというもの、どうしたわけだか「エスポワール」の前を素通りできない。

◆ 「エスポワール」の写真がたまったので、並べてみた。

◆ 並べてみたところで、どうということはない。ああ、またひとつこんなところに「希望」があったのだなあ、と思うばかりだ。

◆ 本来、希望というのは具体的なモノではないから、フランス語でも espoir は一般的には不可算名詞で、数えられないということになっている(語尾に複数の s がつかない)。

◆ でも、アパートの「希望」は数えられる。希望がひとつ、希望がふたつ、希望がみっつ……。フランス語で数えると、un espoir、deux espoirs、trois espoirs……。数えられる希望がいくつかあるとき、フランス語では複数形の不定冠詞 des をつけて、des espoirs という。これは「デゼスポワール」と読む。

◆ 希望がよっつ、希望がいつつ、希望がむっつ……。希望を数えるというのも奇妙なものだ。quatre espoirs、cinq espoirs、six espoirs……。なにやら番町皿屋敷のお菊さんになった気がする。お菊さんは1枚、2枚と皿を数えながら、同時に希望を数えていたのではないか?

◆ 7枚、8枚と希望が増えてゆく。希望を数えると、希望が増えてゆく気がする。けれど、ほんとうに増えているのは希望ではない。9枚。それまでだ。ワタシの「希望」の写真も残念ながら9枚しかない。

◆ 「エスポワール espoir」は、フランス語で「希望」の意。「希望」を「除去 dés-」したのが「désespoir」で、これは「絶望」のこと。これも「デゼスポワール」と読む。英語では、despair。

◆ des espoirs(いくつかの希望)も désespoir(絶望)も同じ「デゼスポワール」。

◇ Des espoirs, des espoirs, toujours des espoirs, puis finalement désespoir.
forum.horsjeu.net/bolton-arsenal-2-1-t542.html

◇ - Non, avant j'avais des espoirs, et maintenant je dis : désespoir.
- Et bien c'est pareil : D-E-S-E-S-P-O-I-R ! Mais au fait, as-tu dit des espoirs ou désespoir ?
- Laisse tomber... il y a tellement peu de différence...

www.hypsos.ch/Infos/viewtopic.php?f=18&t=363

◆ 「デゼスポワール」という名のアパートはまだ見たことがないが、もし見かけたら、それは「絶望」の意味ではなくて、「希望がいっぱい」の意味だと思うことにしよう。

◆ いまは、10枚目の「希望」を探しているところ。

◆ 原田知世あるいはユーミンの歌「ダンデライオン~遅咲きのたんぽぽ」から。

♪ 夕焼けに小さくなる くせのある歩き方
  原田知世/松任谷由実「ダンデライオン~遅咲きのたんぽぽ」(作詞・作曲:松任谷由実,1983)

◆ この俳句的味わいがある(とワタシには思われる)出だしの一行は意外と難しいのかもしれない。《Yahoo!知恵袋》にこんな質問。

◇ ユーミンの歌「ダンデライオン」の歌い始めの歌詞で「夕焼けに小さくなる、くせのある歩き方」とありますが、なにが小さくなるのでしょう? 気になって仕方ありません。
detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1462082904

◆ この一行は日常的なコトバでは書かれていないから、そういう疑問をもつひとがいてもおかしくはない。ユーミンの歌詞の聞き間違いを集めたサイトによれば、

〔空耳ホイッスル - All About Jukeman !〕 ■ダンデライオン
  「夕焼けに小さくなる癖のある歩き方」
    →「夕焼けに(なるとだんだん)小さくなる癖、のある歩き方」(定番)
  「ずっと手をふり続けていたい人」
    →「ずっと手をふり続けて痛い人」(定番)

plaza.rakuten.co.jp/jukeman/4002

◆ 「夕焼けに小さくなる くせのある歩き方」の部分の勘違いは「定番」であるそうだ。ちょっと確かめてみよう。

◇ 私は何を勘違いしていたのか、「夕暮れ時になると、歩幅が小さくなるような歩き方をする、というクセのある人を、ずっと手を振って見送っていた」――と受け取っていたのです。
blogs.yahoo.co.jp/blue_dayfly/61220730.html

◇ 私はずっと、「夕焼けに小さくなる癖」のある歩き方~だと思っていて、「夕焼けに小さくなる癖」というのは、夕焼けの頃までずっと一緒にいた人と別れる時は、ちょっとしんみり寂しいけれど、それを表に出すのも恥ずかしいから、何となく照れ隠しに背を丸めて(小さくなって)歩いてしまう癖・・だと勝手に妄想解釈していました。
penser1.jugem.jp/?eid=547

◇ あのね。恥をさらすようなんだけどね ユーミンのダンデライオンっていう歌あるでしょ その中で 「夕焼けに小さくなるくせのある歩き方」・・・って歌詞あるでしょ~ 私ね。。。 実はね。。。 夕焼けに小さくなる「くせ」。。。がある人だと思ってのよ 夕焼けを見るとうつむいちゃって、なんか暗くなって肩を落として歩く そんな人の事だと思ってたのよ(爆) つい最近まで。
lovelinen.exblog.jp/11476639/

◆ なるほどなるほど。いるんだな、やっぱり。この歌の歌詞を読み返してみたけど、この箇所にかぎらず、あちこちに多様なレトリックが多用されているので、ぜんぶを理解するのはなかなか難しい。ぜんぶを理解しようなどという気もあまりない(ワタシにはさいしょの一行で十分)。ただ、さいごにちょこっとだけ書きつけておくと、まだ若かったころに、遠くを歩いていたワタシに気がついてくれたひとがいて、そのひとが言った「歩き方でわかるもん」というセリフをときどき懐かしく思いだすことがある。

◆ 下の写真のモノは、何ですか? 綿毛? 綿帽子? あるいは……?

◆ タンポポつながりで、BLANKEY JET CITY の「ダンデライオン」というのも聴いてみた。

♪ まるで僕たちはタンポポの胞子
  たわむれているだけ空の下で

  BLANKEY JET CITY「ダンデライオン」(作詞・作曲:浅井健一)

◆ この浅井健一というひとは、先日も「ロバの馬車」で引っかかったりして、どうも妙な具合に登場するが、ここでも「タンポポの胞子」である。これにはちょっとびっくりした。タンポポに胞子? タンポポは、シダ・コケ・キノコ・カビの仲間ではないので、胞子などあるはずもない(んじゃなかったっけ?)。

◆ まあ、これは歌詞なので、めいめい自由に解釈すればよいとして(ワタシには、生物学的に特殊な進化をとげた妖怪タンポポといったイメージしか浮かばないが)、せっかくだから、「タンポポの胞子」で検索してみると、出てくるわ、出てくるわ(以下に例を示すが、出典は省略)。

◇ タンポポはどんなところでも花を咲かせる。どんなところにも胞子を飛ばし、アスファルトの隙間にも花を咲かせる。

◇ タンポポの胞子は実に美しいです。思い描く夢をゆっくりと遠くまで運ぶ優しいさまを思い描くことが出来ます。ご承知の通りにタンポポの胞子は風に乗って、遠くまで種を運びます。

◇ タンポポの胞子ちゃんが どこからか飛んできて この綿帽子の上でひと休み?

◇ 例年よりも今年はタンポポの花が多く咲いたように思います。従って綿胞子も真っ盛りですね。

◇ 私はどちらかと言えばその黄色い花よりも寧ろ、そばにあった胞子の方が懐かしく子供の頃にふーふーと息を吹きかけて飛ばして遊んだ記憶が蘇ります。

◇ 9月後半には、綿毛のようなものがフワフワたくさん飛んでいます。タンポポの胞子とは異なり、ユキムシが飛んでいるのかと錯覚したほどたくさんあります。

◇ 風花がよく舞うようになってきた・・・・・・。 と、思っていたらそれは風花ではなく、タンポポの胞子だった。タンポポはその分身をいっせいに大空に放ったのであった。

◇ 昔、たんぽぽの種(白い胞子??のようなふわふわ)が耳の中に入ると耳が聞こえなくなると聞きました。これは本当なのでしょうか?

◇ タンポポは花のうちに刈り取らなければ、綿胞子が出来て種を飛ばしどんどん増えていきます。

◇ 子供の頃、あの綿帽子摘んで、口で吹いて飛ばしたこと思い出すんだけど、あれがタンポポだったとは 綿帽子って綿胞子ってほんとは書くのかなぁ

◆ これらすべてが、BLANKEY JET CITY 経由だとも思えないから(多少は影響があるようだが)、以前からある程度定着している表現なのだろう(もしかして、ワタシが知らないだけで、むかしから一般的な表現だったりもするのか?)。大部分はたんなる勘違いによるものだろうとは思うけれども、それにしても多すぎる。なにか理由があるのかもしれない。

◆ ひとつだけ思いついたのは、「綿帽子」との混同ということ。「綿胞子」という表記も見かけるから、知らないまにこんがらがってしまったのかもしれない。上に挙げた引用では、多くが「胞子」という語を「綿帽子(綿毛)」の意味で使っているようだが、

◇ 〔……〕花が咲き終わると綿毛のついた胞子が、ふわふわと飛び交って〔……〕

◆ のような例もあり、「種」の部分を「胞子」と呼んでいるひともいるひともいるようである。

◆ 不思議なのは、「タンポポ」と「胞子」をキーワードにして検索していれば、「タンポポの胞子」という言い方はおかしい、と指摘する内容の文章にあちこちで出くわしそうなものだが、なぜだか一向に見つからない。その理由として考えられるのは、「タンポポの胞子」という言い方がそもそもおかしくはないから、ということだが、そうなると、これまで書いたことはすべて削除する必要があるなあ。あるいは、タンポポにかぎり誤用ではあるが慣用として認められているので、いちいち訂正するほどのことでもないからか。あるいは、「タンポポの胞子」という言い方をするひとの数が実際には気にするほど多くはないからか。

◆ 以下の2例は、ワタシにとって標準的だと思える文章で、(カビなどの)「胞子」とタンポポの「種(子)」がはっきりと区別されている。このような使い方が一般的だと思っていたのだが、よくわからなくなってきた。

◇ カビが生えているところは、1cm四方の中に約20億から40億の胞子がいると思ってください。ふつうは、そこに酸性の洗剤をかけて、ブラシでゴシゴシとこするわけですね。そうすると、どうなるかというと、ちょうどタンポポの種が風に乗って飛んで行くように胞子が飛んで行きます。
www.souki.bz/maintenance/mos.htm

〔損保ジャパン環境財団:環境公開講座 2001.11.20 生き物の動きの妙(講師:東昭)〕 タンポポの種子は、2~3mmの大きさである。花粉や胞子の約100倍の大きさなので、何の飛行用具もないと親元のすぐそばに落ちるだけで、拡散して子孫を増やすことができない。したがって、落下傘のような飛行用具を持ち、できるだけ広いところに拡散するようなしくみになっている。タンポポの落下傘は、冠毛という1本1本が数mm、直径が約10ミクロンの毛でできているものである。その毛が約120本位ついている。
www.sjef.org/kouza/envslect/envs_35.html

〔◆ 英語ではどうか。英語で、胞子は「spore」、種子は「seed」だが、「dandelion spore(s)」などと書くひともなかにはいるようで、これは日本と同じだが、その割合は日本に比べると少ないように思われる(きちんと調べたわけではないのでなんとも言えない)。では、ふつうに「タンポポの綿毛(綿帽子)」のことをなんと言うかというと、飛ぶ前の球状のひとかたまりのものは「blowball」「dandelion clock」「dandelion puff」などいろいろな言い方があるようだが、飛んでいく個別の綿毛のことになるとどうだろう、「dandelion fluff」か。〕

♪ 乾いた空に続く坂道 後ろ姿が小さくなる
  岡村孝子「夢をあきらめないで」(作詞・作曲:岡村孝子,1987)

♪ 夕焼けに小さくなる くせのある歩き方
  原田知世/松任谷由実「ダンデライオン~遅咲きのたんぽぽ」(作詞・作曲:松任谷由実,1983)

◆ 似たような情景を歌ったこれらの歌詞の後者のほうを、先に「俳句的味わいがある」と書いて、じっさいに俳句にすれば、どのようなものになるだろうかと、散歩の途中に考えてみたが、俳句の作法も知らないし、才能もないようなので、

◇ 夕焼けに 遠ざかるひとの 歩き方

◆ ぐらいしか思いつかなかった。ちなみに「夕焼け」は夏の季語だそうだ。デキはともかく、俳句をひねっているうちに、「夕焼けに小さくなる くせのある歩き方」の一行が「俳句的」だなと感じた理由のひとつが、「体言止め」にあったのだと気がついた。気がついたが、「体言止め」とはなんなのかについてあまり理解していないことにも気がついた。ちょっと国語の復習をしてみよう。

(1)◇ 〔緑ブタ先生の高校受験国語の時間ですよ〕 体言止め・・文末を体言(名詞)で止めること。
・ 塔の上なる一ひらの雲」
※ 詩・短歌では使うが、俳句では当然のため「体言止め」とは言わない。

www.geocities.jp/simootiaihonnpo2/joron/hyougen/hyougen

◆ さいごの文は、俳句ではいちいち「体言止め」だと指摘するのもバカらしくなるほど「体言止め」が多用されている、と理解する。

(2)◇ 【体言止め】 和歌・俳諧などで、句の最後を体言で終えること。言い切った形にしないために、余情・余韻をもたせることができる「新古今集」に多く使われ、その特徴の一つとなっている。名詞止め。
三省堂『大辞林』

◆ なるほど、以下に例示される2つの和歌も(たまたまなのか)「新古今集」からだ。

(3)◇ 〔国語の散歩道〕   ○心なき身にもあわれは知られけり 鴫立つ沢の秋の夕暮れ(西行法師)
「『夕暮れ』は名詞ですね。名詞で終わらせる表現技法を『体言止め』といいます。」
と習ったのではないでしょうか。でも、それが何だというのでしょう。なぜ教えられたのか、それを考えてみたいと思います。
 最初から複雑な短歌だとわからなくなってしまうので、もっと簡単な文で考えてみましょう。
  ○光る海。
  ○海が光る。
 上が体言止めの文、下が動詞で終わる文です。だいぶイメージが違うのではないでしょうか。
 体言止めだと、絵や写真のように、そこにその景色がポンと置かれるような感じでしょうか。一方、「海が光る」だと、「光る海」よりもなんだか力強いというか、生々しいというか、そんな感じがしませんか?
〔中略〕
 体言止めは、写真芸術に似ています。主観を抑えて「ことがら」だけを相手に見せることで、聞き手・読み手の心を揺さぶるわけです。大げさに言えば、読み手がどのような人生を歩んできたか、どのような経験をしてきたかによって、そこにわき起こる感情も違ってくるのかもしれません。
  ○夕立の雲も止まらぬ夏の日のかたぶく山にひぐらしの声(新古今和歌集、式子内親王)

members2.jcom.home.ne.jp/amei/nihongo/taigendome.html

◆ ↑の説明は、よくわかる。「絵や写真のように、そこにその景色がポンと置かれるような感じ」というのは、なるほどなと思う。それに対して、『大辞林』の「言い切った形にしないために、余情・余韻をもたせることができる」というのは、ワタシにはピンとこない。これら2つの説明は、正反対のことを言っているようにも思える。「体言止め」といっても、いくつか種類があるのではないか? それとも、観点が異なるからか?

(4)◇ 〔くろねこ@国語塾〕 〔「体言止め」とは〕どんなんかと言うと、とにかく名詞・代名詞でぴたっと文が終わること。例えば、この例の『古池や 蛙飛び込む 水の音』は、普通の文やったらどうやって終わる?」
 生徒「『水の音がした』?」
 「そうそう、『音がした』とか『水の音が聞こえた』とか。でも、この俳句がそれで終わったら、ちょっとカッコ悪いよな。『古池や 蛙飛び込む 水の音がした』では、だらしない感じがしてしまう。ここを『音』でぽん、と止めるから、エエ感じが残るんやね。この“残ったエエ感じ”のことを難しい言葉で『余韻』って言うねん。

toto.cocolog-nifty.com/kokugo/2007/06/post_4c94.html

◆ これなどは『大辞林』の説明に沿った文例だと思うが、ワタシは「古池や 蛙飛び込む 水の音」が中途半端である(言い切っていない)ようにはまったく感じないので、「古池や 蛙飛び込む 水の音がした」に変換する意味がよくわからない。そもそも、これは「『普通』の『文』」ではない(「普通」でもないし「文」でもない)と思う。

(5)◇ 〔マンガの修辞学:名詞止め(別名:体言止め)〕 〔「体言止め」は〕名詞が、文の最後に来る。それはつまり、名詞以降の「動詞・助動詞」が省略されるということです。そこで、省略された語が何なのかを探っていくうちに、省略部分の意味を埋め合わせる部分を想像していくことになります。これが「余情」ということです。
members3.jcom.home.ne.jp/balloon_rhetoric/example/nominal-phrase.html

◆ なんとなくわかってきた(書きながら考えているので、こういう書き方になる)。上に見られるような、「体言止め」には「余韻」とか「余情」があるといった説明は、「体言止め」が(述語などを欠いた)「不完全な文」だと考えることからくるのだろう。

(6)◇ 〔Wikipedia:文〕 文(ぶん)とは、一つの完結した言明を表す言語表現の単位である。基本的には主語と述語(一方が省略されることもある)からなる。
ja.wikipedia.org/wiki/文

◆ 「文」がそのようなものだとすれば、なるほど「体言止め」は「不完全な文」だということになるだろう。しかし、コトバがすべて「文」の形を取らなければならないということもない。なんでもいいが、たとえば「東京特許許可局」というコトバに対して、これは「なにかが省略されている不完全な文」であり、このコトバには「余韻」「余情」が感じられる、というようなひとがいたら、ちょっとどうかしているのではないか?

◆ 収拾がつかなくなってきたので、ハナシを、先に引用した「よくわかる」説明に戻すと、

(3)◇   ○光る海。
  ○海が光る。
 上が体言止めの文、下が動詞で終わる文です。だいぶイメージが違うのではないでしょうか。
 体言止めだと、絵や写真のように、そこにその景色がポンと置かれるような感じでしょうか。一方、「海が光る」だと、「光る海」よりもなんだか力強いというか、生々しいというか、そんな感じがしませんか?

◆ この「光る海」と「海が光る」の対比は、(すべてではないにしても)ある種の「体言止め」をうまく説明しているようにワタシには思われる。「夕焼けに小さくなる くせのある歩き方」の「歩き方」のあとになにか省略されていると考えることには無理があると思うが、「くせのある歩き方が夕焼けに小さくなる」へはスムーズに変換できるだろう。そうなると、これは一種の「倒置法」ではないかという気もして、《教えて!goo》の、

◇ ちょっと今更この年で聞くのも恥ずかしいんですけど、倒置法と体言止めっていっしょなんですか?なんか見た感じ同じにみえるんですけど、どなたか、ここが違うってところを知っていたら教えてください。
oshiete.goo.ne.jp/qa/378505.html

◆ という質問者と同じことを質問したくなるが、その回答は、予想通りに「全然違います」だったりするので、質問しないで、自分で考えることにする。

◆ (しばらく考えた結果)要するに、ある種の「体言止め」には「倒置法」に基づくものもあるということなのだろう。「海が光る」を「倒置」した「光る、海が」から「が」を取れば、「体言止め」である「光る海」になる。

◆ とはいえ、どうして「が」を取るのか?、と聞かれても答えられないので、「倒置法」に基づくと説明はあまり説得力がないかもしれない。この種の「体言止め」というのは、英語でいえば、(関係詞を用いた)「先行詞+形容詞節」という表現に近い感じがする(「The sea is sparkling.」→「the sea which is sparkling」)。

◆ そうして、こうした「体言止め」が「絵や写真のように、そこにその景色がポンと置かれるような感じ」がするのは、さいごに置かれた「体言(名詞)」がそれにかかるすべてのコトバをまとめあげ、いわば「額縁」として機能するからだろうと思う。また、「体言止めは、写真芸術に似ています」というコトバにはたんなる比喩を越えた関連があるとも思うが、もう少しじっくり考えてみることにしよう。

◆ ついでながら、岡村孝子の「夢をあきらめないで」の

♪ 心配なんてずっとしないで 似てる誰かを愛せるから

◆ という一行は、どうにも不気味で、かなり怖い。

〔補遺〕◆ (5)の《マンガの修辞学》には「体言止め」とはべつに「名詞提示」という分類項目もあった。

(7)◇ 〔マンガの修辞学:名詞提示〕 似たようなレトリックとして、「体言止め(名詞止め)」というものがあります。「名詞提示」も「体言止め(名詞止め)」も、ともに名詞だけがポツンと置かれることによって効果をしめすというところは似ています。しかし、この2つは異なります。「名詞提示」は、ただ名詞を置いて並べたもので、そのうしろに特に省略した言葉が見当たらないものです。その点で、「体言止め(名詞止め)」とは区別されます。
members3.jcom.home.ne.jp/balloon_rhetoric/example/noun-presentation.html

〔『週刊朝日』2012年6月22日号:大林宣彦〕 僕が尾道で撮った「尾道三部作」は大勢の人に愛してもらえて、多くの人が尾道を訪れてくれました。しかし地元の行政関係者の間では、「大林は尾道の発展を30年遅らせたアホ監督だ」と言われています。僕は町をこのまま残してほしいという気持ちで、崩れた土塀やひび割れた瓦屋根や、歩きにくい山道ばかりを撮った。行政にすれば、尾道の恥ばかりを、日本のみならず世界にもさらしたというわけです。
www.wa-dan.com/article/2012/06/30.php

◆ そういえば、尾道には行ったことがない。あれこれ考えるのは、行ってみてからにしたいが、とりあえず行く予定はないので、下調べがてらネットを見ていると、《尾道空き家再生プロジェクト》というのを見つけた。

◇ 瀬戸内海のおだやかな海と山々に囲まれた街、尾道。尾道固有の町並みや建物はそこで営まれてきた暮らしの歴史であり文化です。その中でも特にユニークな環境をもつ山手地区ですが、現在、空洞化と高齢化が進み、空き家が数多く存在しています。その中には建築的価値が高いもの、不思議で個性的なもの、景観が優れているもの等さまざまな魅力をもったものも含まれていますが、残念ながら住人を失った家々の傷みは年々加速しています。尾道空き家再生プロジェクトではそれらの空き家を再生し、新たな活用を模索していきます。この活動を通じてほかにはない尾道らしいまちづくりを展開していきたいと思います。
www.onomichisaisei.com/about.php

◆ 山手地区の「不思議で個性的な」建築には、「ガウディハウス」なんてもあるらしい(画像も同サイトより)。

◆ ついでに、思いつきで、ふたたび岡村孝子の「夢をあきらめないで」の一行。

♪ 乾いた空に続く坂道 後ろ姿が小さくなる
  岡村孝子「夢をあきらめないで」(作詞・作曲:岡村孝子,1987)

◆ 尾道も坂の町である。ということで、この「坂道」の情景が尾道の山手地区であるとするなら、どうだろう。ここで歌われている「坂道」は「乾いた空に続」いているのであるから、上り坂ということになる。後ろ姿の「あなた」は、坂を上って遠ざかっていくわけだろう。駅に行くには坂を下らなければならない。坂を上ってどこへ行くのか? 坂の上に実家があるのかもしれないが、それでは夢をあきらめてしまったひとのハナシになりそうだ。あるいは、山を越えて、反対側の町に出るつもりか? 「熱く生きる瞳」の持ち主である「あなた」なら、それぐらいのことはやりかねないかもしれないが、情景設定としては特殊すぎるだろう。それに、尾道の山手地区の坂道は狭く曲がりくねっているのが多そうだから、「乾いた空に続」くような広々とした坂道自体がないような気もする。というわけで、この歌の「坂道」は尾道の山手地区には存在しないだろうな、と思った次第。いつか、じっさいに尾道に行って坂道を歩けば、そのときに、また思いだすだろうと思う。

みこしふり【神輿振り】《「みこしぶり」とも》
1 祭礼のとき、担いだ神輿を威勢よく振り動かすこと。
2 昔、比叡山延暦寺の僧徒が、朝廷に強訴するとき、日吉(ひえ)神社の神輿を先に立てて入京したこと。

小学館『大辞泉』

◆ 2は固有の歴史的事件にたいする用法で、『平家物語』(巻第一「御輿振」)にも出ているが、それはさておき、1の用法の「神輿振り」。

〔祭りだ!山車だ!:祭辞典〕 神輿振り(みこしぶり) 渡御で神輿が氏子に担がれて町内を練り歩くのは、神さまに町内を見ていただくためといわれている。この渡御中に神輿を上下左右に振り動かして荒々しく扱うことがあり、これを「神輿振り」という。これは、神輿に御座されている神さまの「魂振り」(たまふり)で、これにより神さまの霊威を高め、豊作や豊漁、疫病が退散するとされている。
park2.wakwak.com/~hero/05-dic/ma-mi.html

◆ 南千住の素盞雄神社の天王祭で、この「神輿振り」というのを初めてみた。

◆ 正確に書くと、天王祭期間中だった南千住の素盞雄神社に寄った帰りに、たまたまオミコシの列を見かけて、ちょっと見ていたら、ときどきオミコシを左右に揺するのがおもしろい。はて、これはなんだろうと思って、帰ってから調べてみて、「神輿振り」というコトバを初めて知った。それで、「この『神輿振り』というのを初めてみた」と、書いたのだが、覚えたてのコトバを初めて使うときには、いつだって喜びと不安が同居している。

◆ 「ミコシ」というものはもちろん前から知っているけれども、これを漢字で書いたことはこれまでにあっただろうか? 「神輿」というのと「御輿」というのの2つの書き方があるようだけど、ワタシはなんとなく「御輿」のほうが好きだな、とか。けれど、これだと、「オミコシ」の場合には「御御輿」になって、ちょっと具合が悪い感じもするなあ、とか。「ミコシ振り」の場合には、「御輿振り」と書くと、「御輿振」で『平家物語』のタイトルになっていることもあって、歴史的事件のほうを思い浮かべてしまう可能性が高いかもしれないから、やっぱり「神輿振り」にしておいたほうが無難か、とか。じっさい、「ミコシ振り」は「御輿振(り)」ではなく、「神輿振り」と書いているひとが多い。

〔荒川区公式ホームページ〕 6月の第一土曜日と日曜日は、素盞雄(すさのお)神社の天王祭が行われます。三年に一度の大祭では、担ぎ棒二本の二天棒で千貫もある神輿を、左右に振りながら担ぐ神輿振りが見られます。
http://www.city.arakawa.tokyo.jp/kanko/miryoku/omatsuri.html

◇ このお祭りでは「神輿振り」というものが特徴で、渡御の途中で神輿を左右に大きく揺らします。(舟の横揺れのような感じです。)
blogs.dion.ne.jp/viktonie/archives/cat_333926-1.html

〔Wikipedia:素盞雄神社 (荒川区)〕 例祭「天王祭」は、都内でも珍しい二天棒の神輿で神輿振りをする事で知られている。
ja.wikipedia.org/wiki/素盞雄神社 (荒川区)

◇ ここの祭は近隣でも珍しい神輿振りというものが名物で、神輿を左右、路面ギリギリまで倒すということをするもので、通常行われているような担ぎ方とはまったく違う様相となります。これのおかげでよく見るような担ぎ棒が4本ではなく、長く2本のみという特殊形状。
jureidou.blog21.fc2.com/blog-entry-975.html

〔レッツエンジョイ東京〕 神輿の担ぎ棒は四本や六本を井桁型に組んで担ぐことが多いですが、当社は二本のみで担ぎ、神輿を左右へ倒して激しく振る「神輿振り」が特徴です。
www.enjoytokyo.jp/amuse/event/591886/

◇ 天王祭は東京都荒川区南千住に鎮座する素盞雄(すさのお)神社の祭礼で、【神輿振り】と呼ばれる担ぎ方が有名なんです。神輿振りというのは、お神輿を担ぐ長い2本の棒を左右に大きく傾ける独特の担ぎ方で、傾けすぎて崩れてしまいそうになることもあるダイナミックな担ぎ方なんですよ。
www.stepon-contents.jp/hc/kokodake/archives/9000/9001/index.html

◇ 天王祭は「二天棒」(担ぎ棒が二本)で神輿を大きく左右に振ることが最大の特徴です。かって畦道で神輿を担いだ工夫が今に生きているようです。 その勇壮な神輿振りのため、天王神輿を担ぐと体中痛くて1~2週間は元に戻らないといわれています。
www.arakawa-dream.com/newpage16.html

◇ 普通の神輿は、担ぎ棒が井ゲタに組まれているが、天王祭は、約八mの担ぎ棒が2本あるだけ。担ぎ方も独特で、神輿を左右に激しくふる「神輿振り」をします。
www.bekkoame.ne.jp/~minoru-y/maturi.htm

◇ 二天棒神輿といわれる珍しいもので棒を軸にして神輿を左右に激しくゆさぶる担ぎ方(神輿振り)は天王祭独特のものです。
senbun.exblog.jp/4958102/

◇ 素盞雄神社の神輿振りは二天棒で行われる。神輿を地面すれすれまで左右交互に倒し、振り合う大変荒々しく勇壮で豪快なその奉納主役は宮元七ヶ町の大神輿。
rekishi-roman.jp/maturi-10/page-12.html

◇ 祭神「すさのおのみこと」は荒っぽく扱うほど霊力が高まると信じられ、これが神輿を左右に揺さぶる独特の神輿振りの所以と言われる。
members2.jcom.home.ne.jp/ichikondo/06 tennousai.html

◆ たくさん引用したが、これくらい「神輿振り」の用例を読むと、ワタシも安心してこの「神輿振り」というコトバを使えるようになる。と同時に、余計なことにも気がついてしまう。

◇ 素盞雄神社の天王祭は、二天棒で神輿を左右に大きく傾けながら担ぐ神輿振りが最大の特徴です。

◆ この下線・太字部の読み方には2通りある(英語の関係詞の制限用法と非制限用法の対比を考えればわかりやすいかもしれない)。

*(全国にはいろいろな神輿振りの方法があるけれども、)天王祭の神輿振りは「二天棒で神輿を左右に大きく傾けながら担ぐ」というというところに特徴がある。
*天王祭の特徴は「神輿振り」で、神輿振りというのは「二天棒で神輿を左右に大きく傾けながら担ぐ」ことである。

◇ 上御霊神社の神輿三基が140年ぶりに京都御苑に巡行しました。 京都御所北門に当たる朔平門(さくへいもん)前で神輿を差し上げて揺らす「神輿振り」を披露した。
homepage3.nifty.com/suehiro-mikosi/movie.html

◆ じっさいには、全国各地で「神輿振り」が行われていて、「神輿振り」はなにも天王祭の専売特許ではないのだが、東京では「神輿振り」というと、素盞雄神社の天王祭のものがよく知られているから、「二天棒で神輿を左右に大きく傾けながら担ぐ」という神輿振りの一種を「神輿振り」そのものだと考えるひとがいてもおかしくはないのだろう。そのようなことを考えながら、「神輿振り」の用例を読み直すと、それはそれでおもしろい。判断のつかない微妙な例もいくつかある。

◆ 「ベル・メゾン」。どこにでもありそうなアパート・マンション名だが、さてどういう意味だろうか? 親切にもスペルが下に書いてある。「BELL MAISON」。「BELLE MAISON」であれば、フランス語で「美しい家」という意味になるが、「belle」ではなくて「bell」だから、英仏ちゃんぽんで「鈴の家(鈴屋)」とか「鐘の家(鐘楼)」? オーナーが「鈴木」さんなのかもしれない。

◆ ↑と書いた半日後に、「Belle Maison」を見つけた。やはり、どこにでもあるようだ。こちらは読み方が書いてない。「ベル・メゾン」だとは思うが、もしかしたら、「ベレ・マイソン」だったりするかもしれない。

◆ フランス語の「belle」(ベル)は「美しい」という意味の形容詞「beau」の女性形だが、名詞として用いると「美しい女性(美女)」の意味にもなる。「眠れる森の美女」は「La Belle au bois dormant」で、「美女と野獣」は「La Belle et la Bête」(英語では、「Sleeping Beauty」に「Beauty and the Beast」)。「belle」で、よく知られているのが、もうひとつ。ビートルズの「ミッシェル」

♪ ミーシェル マー ベル

◆ で始まる、ビートルズの「ミッシェル」。英語のサイトでは、「ma belle」を「my belle」と書いてあるサイトも少なくない(「my bell」と書いてあるサイトもある)。じっさいに聴いてみても、ワタシの耳では「ma(マー)」だか「my(マイ)」だかよくわからない。2つの歌詞サイトから歌詞を引用すると、

♪ Michelle, ma belle.
  These are words that go together well,
  my Michelle.
  Michelle, ma belle.
  Sont les mots qui vont tres bien ensemble,
  tres bien ensemble.

  www.lovecms.com/music-beatles-the/music-michelle.html

♪ Michelle, my belle.
  These are words that go together well,
  My Michelle.
  Michelle, my belle.
  Sont des mots qui vont très bien ensemble,
  Très bien ensemble.

  www.sing365.com/music/lyric.nsf/Michelle-lyrics-The-Beatles/4AECA612D111229D48256BC200138107

◆ となっている。さいしょの3行が英語で、つづく3行がそのフランス語訳という構成なら、1行目の「ma belle」は「my belle」(あるいは「my bell」)であってもいいような気もする。歌詞の設定としては、歌い手である英語圏の男性が、ミッシェルというフランス女性を好きになったはいいものの、フランス語があまり得意ではない。ミッシェルも英語があまりできない。覚えたてのフランス語を使ってコミュニケーションをとろうとするが、やはりフランス語ではもどかしい。で、英語だけれど、このコトバならキミにもわかると思うから、「アイ・ラブ・ユー、アイ・ラブ・ユー、大好きだ」、ってな感じだろう。このフランス語初心者の男性にとっては、「ma belle」だろうが「my belle」だろうが「my bell」だろうが、たいした違いはないだろうと思う。以下、勝手にこの男性のアタマのなかをのぞいてみると、フランス語で「ぼくの愛しい人」ってのは「マー・ベル」っていうらしいぞ、「マー」は「My(マイ)」のことで、「べル」ってのはよくわからないけど、英語の「bell(鈴、鐘)」とおんなじ発音だ、つまり「ぼくの鈴ちゃん」って覚えておけばいいんだな。妄想しすぎたか?

◆ 引用した歌詞の5、6行目は明らかにフランス語。引用した2つの歌詞には1箇所、「les(レ)」と「des(デ)」の異同がある。これは、じっさいに聴くと、ワタシには「デ」と聞こえることが多いし、フランス語としてもそのほうが自然だろうと思うが、いろいろなヴァージョンを聴くと、「レ」に聞こえるのもあって、わけがわからなくなる(参考:《paulmccartney.com :: View topic - Michelle》)。カタカナで表記してみると、

♪ ソン デ(orレ) モ キ ヴォン トレ ビヤン ナンサンブル
  トレ ビヤン ナンサンブル

◆ ぐらいになるか。このフランス語の箇所は、当然のことながら、フランス語を解さないひとにはお経を聞いているのと変わりない。日本人だけでなく、英語圏のひとにとってもそうである。お経ではなく意味のあるコトバの連なりとして聞き取ろうとした場合には「空耳」になり、「ソン・デー・モー・キー(sont des mots qui)」の部分が「Sunday monkey(日曜日の猿?)」に聞こえたりするらしい。「ミッシェル」の空耳を集めた《The Beatles - Michelle Funny Misheard Lyrics》から、一部を見てみると(5行目のみ)、

・Sunday monkeys bone Trey Brennan's son,
・Someday monkey won't play piano song,
・sunday monkey won't play piano song,
・Sunday monkeys say the end is done,
・someday Monkey Bone played piano and sung
・some say monkeys play piano well,
・Sunday Monday Tuesday Wednesday day,

◆ などなど。

〔Houston Press〕 I misheard the French-language section of "Michelle" -- "Michelle ma belle / sont les mots qui vont très bien ensemble / très bien ensemble" -- as "Michelle, my belle, Sunday monkey go play piano song, pi-a-no song," and I see from numerous Internet sites that I was far from alone. How are American five-year-olds supposed to know French?
www.houstonpress.com/2005-03-17/music/hold-me-closer-tony-danza/

◆ ミッシェルといえば、アメリカのオバマ大統領婦人の名が、ミッシェル。ポール・マッカトニーがホワイトハウスで大統領夫妻を前にしながら「ミッシェル」を歌った動画が《YouTube》にあった。ここに「日曜日の猿」がいるかどうかを一度確かめてみてほしい。

◆ 本をパラパラめくっていたら、

◇ 「ダウン・バイ・ロー」というのは、どうだろう。一昔前のジャームッシュに同じ題名のフィルムがあったが、法律に叩かれて牢屋に入ったこともあるくらい、世の中を広く見ているくらいの意味である。ちょっと違うかな。まあいいや。(99・5・5/12)
四方田犬彦『けだものと私』(淡交社,p.184)

◆ という箇所に目が止まったので書き写し、出典を明記したあとで、念のために確認しなおした。そしたら、書名を間違っていたので、訂正した。ワタシはなんと『けだものだもの』とタイプしていたのだった。それはさておき、ジャームッシュの「ダウン・バイ・ロー」。いや、さておいてはいけない。なぜなら、ワタシはこの映画のタイトルも「Down by Law」ではなく「Down by Low」だといまのいままで思っていたのだから。そんな「けだものの私」に「Down by Law」という英語の意味などわかろうはずもないので、他人の力を借りることにする。

〔映画で英会話 Tango Tango!!:2009/07/17〕 タイトルの down by law には二つの違う意味があり、一つは、音楽(主にジャズ)のスラングで下積みを通して得た才能に対して「尊敬を得る」という意味。〔中略〕 もう一つは、刑務所で使われるスラングで、have someone's back 「誰かを支援する、応援する 支える」という意味があるそうだ。
musee.blog26.fc2.com/blog-entry-361.html

〔マガジンひとり:2009-09-21〕 「ダウン・バイ・ロー」とは、法にダウンさせられる、転じて “法や社会に縛られず自由に生きていける人間” なる意味のスラングで、頼りになる仲間という意味でも使われる。
blog.goo.ne.jp/wag18470/e/7326c5ef909bdb80b0edaf3931534a37

〔Mevrouwのブログ:2010/12/03〕 Down By Lawの意味を調べた。広い範囲で使われるのは、「Cool!」ということ。もうひとつはアメリカ南部のチンピラが言い出したスラングとかで、「ムショ仲間」のことらしい。ムショでダチになった同士は友情の証として、先に出たら服役中のダチの家族の面倒をみてやったりするのだとのこと。
meblo.jp/afentoezon/entry-10725854953.html

〔2012〕 『Down By Law』とは… 主に黒人のスラングで、下積みを通して得た才能に対して『尊敬を得る』という意味と、『誰かを支援する、応援する、支える』という意味を含む、『親しい兄弟のような間柄』を呼ぶ言葉。
reclash.com/downbylaw-savethenoon-lef019.html

◇ down by law, as i understand it, is a hip-hop term. when an m.c. wants to declare his dopeness, and that everyone in the community agrees that he's dope, he'll say that he's "down by law". the movie title is obviously a play on words.
◇ I think it means something like 'the law has me down', like being oppressed by the police, or wanted by the police, something like that...
◇ i recall reading an article where Jarmusch defined what he meant by the term "Down By Law". It was: in accordance with the law (urban slang from the mid-80's?). As in doing something as it is supposed to be done as required by the law of the land.
movies.groups.yahoo.com/group/jarmusch/message/1206

〔down by law - WordReference Forums:2004/11/04,〕 "down" dans ce sens veut dire (à mon avis) au bout du rouleau, abattu, vaincu, déprimé (comme dans "down and out in paris and london" - by george orwell) and "by law" veut dire "conformément à la loi". toutefois "down" peut aussi vouloir dire "southwards", et dans le film, les personnages s'enfuient vers le sud dans les bayou de la Louisianne.
◇ in other words: the title has 2 meanings, the first is from the be-bop jazz of the 30's and has re-surfaced recently in rap music. It means more or less to be "cool" or "hip". The second meaning is to be trapped by the law (être piégé par la justice).
forum.wordreference.com/showthread.php?t=4841

〔flahute:2008/01/27〕 As slang, the phrase “down by law” carries a couple different meanings. In a musical sense (primarily jazz), “down by law” means having paid your dues, to have earned respect for your talent through hard work. In its other sense, that of prison slang, “down by law” means to have someone’s back.
www.flahute.com/2008/01/27/down-by-law/

〔DVDFile:2002/11/05〕 The interview [conducted in June of 2002] is interesting to listen to. In it, he discusses the meaning of the term "down by law" (originally prison slang, by the mid-80s, it came to mean you were close friends with someone).
www.dvdfile.com/reviews/dvdreviews/32551-down-by-law

◆ DVDの特典にジャームッシュのインタビューが収録されていて、そこで「Down by Law」の意味について自ら説明しているらしいので、これを聞けばこの問題は一件落着するのだろう。ネットでも文字に起こしたものが出まわっていたようだが、見つけられなかった。

◆ 上のいろんな引用を読んだかぎりでは、なんとなく、「臭い飯を食った仲」という日本語が近いんではないかと思ったが、ちょっと違うかな。まあいいや。

―― 君は逃げるつもりか。
―― 逃げる。

◆ こんな会話もあるいはあったかもしれない。NHKが「台風の倒木でリス30匹逃げ出す」というニュースを伝えた。つい先日訪れたばかりの「井の頭動物園」(正式には自然文化園)のハナシである。

〔NHKニュース:台風の倒木でリス30匹逃げ出す(2012/06/20 18:26)〕 東京・武蔵野市の動物園では、台風4号の影響で、高さ22メートルの大きな木が倒れて、リスの展示施設を壊し、およそ30匹のリスが逃げ出しました。
 井の頭公園に隣接する動物園「井の頭自然文化園」によりますと、20日朝早く、高さ22メートル、直径6メートルのアカマツの木が台風4号の影響で根元から倒れ、ニホンリス専用の展示施設を壊しているのを飼育員が見つけました。
 展示施設は、屋根の金網の一部が壊れて隙間ができ、中を調べたところ、飼育していた118匹のリスのうち、およそ30匹が逃げ出していたということです。
 動物園では、パンなどを入れたかごのわなを仕掛けたり、飼育員たちが網を持って追いかけたりした結果、11匹を捕獲しました。
 しかし、中には、飼育員の目の前で高さ20メートルほどの木を駆け上って逃げるリスもいて、園では21日以降も捕獲を続けることにしています。捕獲の様子を見ていた小学生の女の子は「リスの動きが早くて、びっくりしました」と話していました。

 www3.nhk.or.jp/news/html/20120620/k10015981541000.html

◆ さいごの部分は、どうせなら、「武蔵野市に住む××××ちゃん(8さい)」のように、事件の目撃者である「小学生の女の子」の住所と名前と年齢も書いてあれば完璧だったろう。さらには、捕獲された11匹のインタビューも読みたかった。パンに釣られたやつは、自分のあさましさに恥じ入っているだろうか。網で捕らえられたやつは、自らを犠牲に多くの仲間を救ったことを誇らしく思っているかもしれない。聞くところによると、「放射能を避けるため、西へ逃げるつもりだった」と理由を述べたものもいたらしい。写真のリスも逃げたかどうか。

◆ 根元から折れたというアカマツも気になる。

◆ 冒頭の2行の引用は、太宰治の『猿ヶ島』から。青空文庫で読める。

◆ ワタシは仕事がら日本中の都市を訪れるが、先月、静岡市駿河区小鹿を訪れたときに、赤と青の四角の地に白く抜かれた二つの星が並んだマークを目にした。これはもちろんプラモデルのタミヤのロゴだ。帰ってから調べてみると、ワタシが見たのはタミヤの「第二物流センター」だったようだ。タミヤは本社も工場も静岡市駿河区にある。ちなみに、小鹿は「こじか」ではなく「おしか」と読むらしい(参考:《田宮模型歴史研究室:住所の変更》)。

◆ 出会いというのは奇妙なもので(と書いてしまい、消すのも面倒なのでそのままにしておくが、なにもたいしたハナシではない)、静岡市駿河区小鹿にあるタミヤの第二物流センターの二つ星のロゴを見た数日後、ブックオフで『田宮模型の仕事』という文庫本を目にしたので、買って(105円)帰って読んだ。読んでから、すでに読んでいたことに気がついた(以前に同じくブックオフで同じく105円で買っていたのだった)。とはいえ、気がついたのは、読んだ記憶があるということだけで、内容はきれいさっぱり忘れていたのだが。この本の解説に、

◇ 私は仕事がら世界中の都市を訪れるが、その世界の街で、あの星がふたつ並んだマークを眼にする。赤と青の四角の地に白く抜かれた二つの星。そのマークを見ると、その看板が掛けられた店が何を売っている店なのか一瞬にしてわかる。考えてみると、これはすごいことである。例えば、コカーコーラの看板も世界中で見掛ける。しかし、そこはコークを売っているキオスクかもしれないし、レストランかもしれない。看板はその店が何の店なのかまでは表しはしない。しかし、タミヤの星のマークが見えたら、そこはホビーショップ以外の何ものでもないのである。この星のマークは、もはやタミヤ一社のロゴでなく、プラモデルを含むホビー業界そのもののシンボルなのだ。知らない街でホビーショップをさがすときは、とにかくあの二つの星をさがせばよいのである。世界広しといえども、一社のロゴマークが業界そのもののシンボルになる、そんな会社はタミヤ以外ないのではなかろうか。
田宮俊作『田宮模型の仕事』(文春文庫,リチャード・クーによる解説,pp.316-317)

◆ と書いてあって、たしかに、考えてみると、これはすごいことである。

◆ 『田宮模型の仕事』は、講談社インターナショナルから英訳(Master Modeler: Creating the TamiyaStyle)も出版されているようで、その案内文には、こうあった。

◇ The blue and red star logo of Tamiya is now recognized internationally as the mark of model kits of unrivalled quality and precision.
books.google.co.uk/books/about/Master_Modeler.html?id=T7RXfpXNORMC

◆ 静岡といえば、お茶が有名だが、それに劣らず、「模型の町」でもあるらしい(その多くはタミヤによっているとおもわれるが)。

〔静岡ホビースクエア〕 静岡の模型の歴史は戦前の木製模型時代から遡れば半世紀以上の歴史があります。今や静岡の模型の出荷額は全国シェアの大半を占めるに至り、その歴史の長さと圧倒的なシェアから、静岡は「模型の世界首都」として世界中の模型ファンが集まる街へと成長しています。静岡が誇る模型の魅力と優れた地場産業をより多くの人に伝えたい。より多くの人に静岡のホビーを楽しんでほしい。そんな願いを込めて、2011年、新たなホビーの情報発信基地「静岡ホビースクエア」が誕生しました。
hobbysquare.jp/concept/

◆ 写真は模型のタミヤの近くにあった「おちゃのタミヤ」。一族だろうか?

◆ 『田宮模型の仕事』を読んでいると、こんな文章。

◇  さて、いちばんの問題は金型屋です。木製模型を作っていたわが社にとっては、まったく付き合いのない分野でした。どこで金型を作っているのかを、調べることからはじめました。これまた付き合いのなかったプラスチックの材料屋さんに飛びこみ、業界のようすを訊(き)き、その人のコネで東京の金型工場を訪ねることにしました。工場といっても、いわゆる町工場(まちこうば)です。床は土間で、機械が置いてあるところだけコンクリートで固めていました。
「戦艦武蔵」の図面とアメリカ製のキットを見本として見せ、「なんとか引き受けてもらえないでしょうか」とお願いしましたが、「ウチは今、手いっぱいだから」と、ていよく断られてしまいました。たしかに金型屋は大忙しの時代でした。プラスチック製品の需要が急激に高まっており、どこの金型屋も引っぱりだこだったのです。
〔中略〕
 会いに行くたびに金型屋がリッチになっていくのが、よくわかりました。腕時計にしろライターにしろ、舶来の高級品を身につけるようになっていったのです。ある日訪ねてみると、工場の前にピカピカのキャデラックがとまっていました。親方が出てきて「よおっ」と、うれしそうに手をふっています。
「いいだろう、この車」と、あれこれ自慢話を聞かされたあと、「じゃあな」と女連れで出かけてしまいました。職人に「親方はどこに行ったんですか」と聞くと、「ゴルフ場だよ」。
 もう、こうなってくると、金型屋はまじめに働かなくなります。どんどん遊びをおぼえ、電話しても連絡がつきません。競輪の日なんて絶対にいません。
 そのころ、発注していた金型屋は七、八軒ありましたが、いいかげんにやっていたところは、今はもう存在していません。新しい工作機械の導入が遅れて、時代の波に押し流されたのです。

田宮俊作『田宮模型の仕事』(文春文庫,p.50 et p.93)

◆ 町工場に金型屋。さいきん読んだもう一冊にも、町工場に金型屋。

◇  うちは小さな町工場だった。幼い私の遊び場は工場(こうば)だった。
 房総で漁師の六男として生まれた祖父は十四歳で上京し、東京じゅうの町工場を転々としながら仕事を覚え、現在実家のある場所で独立した。その工場を長男である父が受け継いだ。私が小さい頃、つまり日本が高度経済成長に沸いていた頃には数人の工員のお兄さんたちが工場の二階に下宿していたが、一九八一年からは完全に父一人となり、そして一九九七年に閉鎖した。
 業種は、町工場界隈の語彙でいうところの「金型屋(かながたや)」。様々な工業部品の金型を作ったり、あるいは旋盤やフライスでネジを加工する仕事を請け負っていた。工場は、子供にとってはおもちや箱のようなものだった。年子の姉や私は機械に触ることは許されなかったが、切り終わったネジにテープを巻いたり、それを古新聞で包んで木箱に詰めて数を数えたり、また放金粉(ほうきんこ)(旋盤で金属を削った時に出る金属の粉)を吹き飛ばすための空気銃で遊んだり、おびただしい数の、ピンク色の納品書の裏におえかきをしたり、意味もわからずに「納品」「請求」「決済」などのハンコをそこらじゅうにペタペタ押して遊んだ。
〔中略〕
 父の目には、世の中のすべての物体が金型という視点で映っているらしい。居間でお茶を飲んでいる時、父はよくクッキーの缶を開けてプラスチックの箱を中から取り出しては、一人でプラスチック容器をひっくり返したり、容器の裏の突起に見入っている。お菓子におまけがついていれば目はらんらんと輝き、「こりゃあすごい手間だ」「ずいぶん不良も出しただろうな」と感嘆し、頭の中ですでに金型の設計図を描いている。
〔中略〕
 一人プラスチック容器をしみじみ見つめるそんな父を、私は羨ましいと思う時がある。傍から見たら、道を歩きながら、クッキーを食べながら、電車に乗りながら、目に入る物すべての金型を想像しているただのへんなおじさんだろう。しかし父は金型というドアから、社会の仕組みを見ている。金型から生まれた物すべてに愛着を持っている。そんな揺るぎないドアを持っていることが、私には羨ましい。

星野博美『銭湯の女神』(文春文庫,pp.44-46)

◆ 2冊の本から長々と引用したが、金型屋はさておいて、とりあえずは、以下の各1行だけでもよかった。

1) 工場といっても、いわゆる町工場(まちこうば)です。
2) うちは小さな町工場だった。幼い私の遊び場は工場(こうば)だった。

◆ それぞれ1箇所、原文にルビ(縦書きで漢字の右側に添えるふりがなのこと。引用文ではカッコで示した)がふってあるのが気になった。では、その前のルビのふってない「工場」「町工場」はなんと読めばいいのか? 1の「工場」は「こうじょう」と読むのだろう。2の「町工場」は「まちこうば」だろうと思うが、そうすると、どうしてこちらにはルビがないのか? 理由はわからないでもない。ルビをふったひと(いったいだれ?)が、「町工場」は「まちこうば」と読むのが一般的だが、「工場」は「こうじょう」と読むひとも多いだろうから、この場合は「こうじょう」ではなくて、「こうば」と読んでほしいと考え、わざわざルビをふったのだろう。

◆ 出版業界のならわしに詳しくないので、よくわからないけれども、なんとなく、こうしたルビは原作者ではなくて、校正者が(読者の便宜をはかるために)ふっているような感じがする。こうしたルビには、校正者が原作者に「これはこの読み方でいいんですよね? だとすれば、この場合は、べつな読み方をする読者もいると考えられるので、念のため、ルビをふっておきますがいいですか?」といったやりとりの跡が、なんとなく(気のせいかもしれないが)感じられて、読んでいると(ちょっとだけ)違和感がすることがある。

◆ この箇所にルビがなかった場合はどうなるだろう? まず確実に言えるのは、ルビがなければ、こんな記事を書いてはいないうことで、「工場」の読みが「こうじょう」か「こうば」のどちかなのかと考えもしないで、読み飛ばしていたことだろう。黙読の場合は、そのようなことが可能で、いまあらためて、音読ではない「黙読」の不思議さに思いいたったというわけなのだった。

◆ 「牧場」は「ぼくじょう」あるいは「まきば」? 「市場」は「いちば」あるいは「しじょう」? 黙読の場合に、読者はいちいちその解答を要求されはしないけれども、いったん考え始めると、これはそれぞれなかなか難しい問題だろうと思う(ので、とりあえず、いちいち考えない)。

◆ 「PhotoDiary」のトップページの一番下に、ランダムで10枚の写真(のサムネイル)が出るようになっているのだが、さっき見たら、その10枚のうちの2枚が「ウサギ」と「カメ」だった。

◆ 「ウサギとカメ」といえば、イソップ童話などで有名だが、このハナシ、英語では「The Hare and the Tortoise」と言う。ウサギが hare でカメが tortoise。あるブログにこんなことが書いてあった。

◇ 有名なイソップの寓話である、「うさぎとかめ」のことを英語では、"The Hare and the Tortoise" と言う。日本では、「うさぎ」のことを英語で、"rabbit"(ラビット)と認識している人が大半なので、"hare"(ヘア)? それは何?と思う人が多いのじゃないだろうか。日本語のタイトルを見てわかるとおり、それも「うさぎ」と日本語では訳されている。私が思うに、最初に英語を日本語にした人が、「どちらも耳が長い」「ぱっと見た感じがそっくり」、こんな風に思って、"hare"(ヘア)も "rabbit"(ラビット)も、「うさぎ」ということにしよう。こんな感じだったのではないかと思われる。ちなみに"hare"(ヘア)という言葉を辞書で引くと、「野うさぎ」と書かれている。"rabbit"(ラビット)だって、野にいくらでもいるので、それだけ見たって何がちがうかさっぱりわかるわけもなく、結局日本人の頭の中では、どちらもいっしょの動物ということで、収まってしまう。"What's the difference between a hare and a rabbit?" (「うさぎとウサギの差は何なの?」)なんて欧米人に聞けば、きっと、「えっ?ぜんぜん違う動物なのに、いっしょだと思っていたの?」と、こういう感覚でいっぱいになると思う。
ameblo.jp/la-barmaid/entry-10018064153.html

◆ えっ? ワタシには、「欧米人」が「こういう感覚でいっぱいになる」とは思えない。「rabbit」と「hare」は、どうみたって「ぜんぜん違う動物」ではない。かなり似ている。

◆ カメといえば、「ロンサム・ジョージ」死亡のニュース。

〔毎日新聞 2012年06月25日 東京夕刊〕  南米ガラパゴス諸島(エクアドル)で乱獲から唯一生き残り、「ロンサム・ジョージ」(孤独なジョージ、写真は08年11月、平田明浩撮影)の愛称で知られるガラパゴスゾウガメの亜種が24日早朝(日本時間24日夜)死んだ。飼育されていた同諸島サンタクルス島の飼育・繁殖センターで職員が確認した。推定100歳以上だが、死因は不明。
 ガラパゴスゾウガメは世界自然遺産に登録された同諸島固有の世界最大級のリクガメ。19〜20世紀、船乗りの食料として乱獲され、15の固有亜種中4亜種が絶滅した。ジョージは71年、同諸島北部ピンタ島で見つかったオスで、絶滅したと考えられていた固有亜種「ピンタゾウガメ」の最後の生き残りとされ、野生生物の保護運動の象徴になった。ジョージの死でこの亜種が絶滅した可能性が非常に高くなった。

mainichi.jp/feature/news/20120625dde041040012000c.html

◆ ロンサム・ジョージは「リクガメ」(tortoise)で「ウミガメ」(turtle)ではないが、カメであることには変わりはない。英語でコトバが違う(「tortoise」と「turtle」)からといって、英語の話者がこのふたつを「ぜんぜん違う動物」だと思っているとは思えない。スペイン語では、日本語同様、「tortoise」と「turtle」を区別しない。

〔Wikipedia:Turtle〕 Some languages do not have this problem, as all of these are referred to by the same name. For example, in Spanish, the word "tortuga" is used for turtles, tortoises and terrapins, though the type they belong to is usually specified and added to the name, as "marina" for sea turtles, "de río", for freshwater species and "terrestre" for tortoises.
en.wikipedia.org/wiki/Turtle

◆ 見たことはないが、ワタスゲの綿毛がいまあちこちで見頃だそうだ。あちこちの新聞にそう書いてある。

〔朝日新聞(栃木) 2012/06/28〕 日光国立公園内にあり、ラムサール条約登録湿地のひとつでもある奥日光の戦場ケ原で、木道沿いに生えている樹木のズミの枝が人為的に切断されているのが27日わかった。戦場ケ原はズミの花期が終わり、ワタスゲが白い綿状の果実をつけ、湿原一面を彩る時期。地元では、撮影のために枝を払ったとも推察しており、心ない行為に関係者は嘆きの声をあげている。
http://mytown.asahi.com/tochigi/news.php?k_id=09000001206280002

〔東奥日報 2012/06/27〕 県内は27日、高気圧に覆われて晴れ間が広がり気温が上昇、各地で汗ばむ陽気となった。青森市の田代平湿原ではワタスゲの群生が見ごろを迎え、ふわふわした綿帽子が初夏の風に揺れていた。

http://www.toonippo.co.jp/news_too/nto2012/20120627202249.asp

〔北海道新聞 2012/06/26〕 後志管内倶知安町のニセコアンヌプリ中腹、標高570メートルにある鏡沼周辺の高層湿原で、カヤツリグサ科の多年草「ワタスゲ」が見ごろを迎え、緑色のじゅうたんに浮かぶ白い綿毛がトレッキング客らの目を楽しませている。
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/topic/382929.html

〔読売新聞(群馬)2012/06/24〕  片品村の尾瀬国立公園の尾瀬ヶ原で、白いワタスゲが見頃を迎え、緑の湿原にアクセントを加えてハイカーの目を楽しませている。
 ワタスゲの花は黄色で早春に終わり、白い部分は花の咲いた後に出来る2~3センチ程度の「果穂(かすい)」と呼ばれる部分。この時期にタンポポのように湿原に現れる。
 尾瀬ヶ原では、山の鼻―牛首間の木道近くなどに群落が広がり、時折風に吹かれて綿毛を飛ばしている。

http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/gunma/news/20120623-OYT8T01236.htm

〔下野新聞 2012/06/22〕 現在の奥日光は、青葉若葉が生えそろい新緑がまぶしい。戦場ケ原では白ズミの花や、ふわふわした綿帽子のようなワタスゲが真っ盛り。
http://www.shimotsuke.co.jp/news/tochigi/top/news/20120621/810183

〔福島民友 2012/06/13〕  南会津町と昭和村にまたがる国天然記念物「駒止湿原」のワタスゲが間もなく見頃を迎える。高原の遅い初夏の風に穂が揺れ、県内外から訪れる観光客に安らぎを提供している。
 ワタスゲは本州の中、北部の高原湿地に群生するカヤツリグサ科の多年草。楕円(だえん)形の花穂を付け、綿状の白毛を持つ。

http://www.minyu-net.com/flower/summer/120613/summernews1.html

〔北海道新聞 2010/07/01〕 日本最北の高層湿原として知られる上川管内美深町の松山湿原で、初夏の訪れを告げるワタスゲの綿毛が風に揺れている。
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/donai/239363.html

〔北日本新聞 2009/07/13〕 立山・黒部アルペンルートの弥陀ケ原(1930メートル)で、多年草のワタスゲが真っ白な綿毛を付けている。12日も、登山道脇で風に揺れるかれんな姿をハイカーらが眺めていた。ワタスゲは高山湿地帯に自生する。6月ごろに花を咲かせた後、茎の先端に白い綿毛を付ける。
http://www.kitanippon.co.jp/contents/knpnews/20090713/23837.html

〔信濃毎日新聞 2009/06/25〕 山ノ内町志賀高原にある前山湿原で、真っ白なワタスゲの綿穂が見ごろを迎えている。志賀高原ガイド組合によると、5~6月に寒い日が続いたため例年より1週間ほど遅れている。ワタスゲは花が終わると白い綿穂をつける。同湿原では一面に広がる綿穂が風になびいて揺れている。
http://www8.shinmai.co.jp/flower/2009/06/25_010113.php

〔下野新聞 2009/06/17〕 奥日光の戦場ケ原で、群生するワタスゲの白い綿毛が見ごろを迎えた。初夏の高原の風に揺れ、ハイカーらの目を楽しませている。
http://www.shimotsuke.co.jp/town/tourism/plants/news/20090617/161217

〔福島民友 2009/06/14〕 北塩原村のデコ平湿原でさわやかな風を受け真っ白なを付けたワタスゲなどの花々が見ごろを迎え、高原に初夏の訪れを告げている。
http://www.minyu-net.com/news/topic/0614/topic2.html

〔福島民報 2009/06/13〕 南会津町と昭和村に広がる国の天然記念物の駒止湿原では、ワタスゲが見ごろを迎えている。南会津町側入り口の大谷地では、綿毛のようなふわふわとした純白の果穂が風に揺られ、訪れたハイカーの目を楽しませている。
http://www.minpo.jp/pub/topics/hanakikou/2009/06/post_61.html

〔東奥日報 2008/06/17〕 高原を吹き抜ける風に、フワフワと揺れる白くかわいらしい綿毛−。八甲田の田代湿原に高山植物のワタスゲが一面に広がり、日に日に緑色を深める湿原と、鮮やかなコントラストを描いている。
http://www.toonippo.co.jp/news_too/nto2008/20080617144442.asp

◆ 気がつくと、2008年にまで遡ってしまっていたが、さすがに新聞だけあって、「綿胞子」などという記述はなかった。どうでもいいが、福島民友はキティちゃんも読んでるらしい。

◆ 逃げたリスのその後。

〔AFPBB News〕 【6月28日 AFP】東京都武蔵野市の「井の頭自然文化園(Inokashira Park Zoo)」は28日、台風で飼育施設が破損し逃げ出したリス30匹について、期待を上回る38匹を捕獲したことを明らかにした。
 同園では台風4号に見舞われた前週、強風による倒木でリスの展示施設の金網が破れ、リスが脱出。職員らが「逃亡」したリスの捜索を続けていた。だが逃げたリスは計30匹で、今回、捕獲したのは38匹。
 予想していた数を上回る捕獲結果に、同園は公園に生息していた野生のリスも含まれているとみているが、「正確なところは、わからない」と話している。

afpbb.com/article/life-culture/life/2886828/9186163

◆ 原文はコチラ↓。

◇ TOKYO, June 28, 2012 (AFP) — Japanese zookeepers who lost 30 squirrels after a typhoon damaged their enclosure said Thursday their recovery efforts had exceeded expectations — with 38 animals back in captivity.
 The bushy-tailed rodents made a break for freedom when a tree felled by a typhoon last week cut through netting at Tokyo’s Inokashira Park Zoo.
 But after days of trapping the sharp-toothed creatures, a spokeswoman for the zoo said the haul had been more successful than expected and a total of 38 had been “recaptured”.
 “We still receive about four to five reports a day from witnesses,” said Eri Tsushima. “We will continue setting traps as long as people keep reporting squirrel sightings to us.”
 Most of the animals were caught in the surrounding park area, and Tsushima said keepers would be checking that all of those taken into captivity had the microchips the zoo implanted into its own squirrels.
 She acknowledged that the ranks of recaptured animals could have been swollen by the wild squirrels who live in the park.
 “We simply don’t know yet,” she said.

vancouverdesi.com/news/japan-zoo-finds-38-out-of-30-missing-squirrels/

◆ まだまだ増えそうな様子だ。脱走したリスにはマイクロチップが埋め込んであるらしいから、無辜のリスは無事に釈放されるのだろう(か?)。

◆ 「Belle Paysage ベル・ペサージュ」(美しい風景?)という名のマンションを見かけた。これがフランス語だとすると、アルファベットのほうは、paysage というのは男性名詞なので、belle(ベル)ではなく beau(ボー)であるはずで、「Beau Paysage」とすべきであろうし、カタカナのほうは「ベル・ペサージュ」ではなく「ボー・ページュ」と書かれるべきだろうが、このようなことを書いても仕方がないので、「paysage」についてちょっと調べてみた。

◆ 山梨大学の森田秀二先生によると、paysage の語義の歴史的な変遷は、まずは画家たちが「風景画」の意味で使い始め、それから「風景画に描かれた風景」の意味へと語義が拡張された、という順序になるそうだ。

〔「風景」にあたるフランス語paysageの語源をみてみよう〕 つまり、フランス語では「風景画」を指す語がはじめに生まれ、その後に意味が拡張されて「風景」そのものを指すようになったわけで、まさに現実が絵画を模倣するという転倒が起こったのである。
www.ccn.yamanashi.ac.jp/~morita/Subjects/phenomene/paysage_etymologie.htm

◆ すこしだけややこしいが、「風景(paysage)を描いた絵が風景画(paysage)」と呼ばれるようになったのではなく、「風景画(paysage)に描かれた対象が風景(paysage)」と呼ばれるようになったということで、つまりは、風景画(paysage)が描かれるようになる以前には風景(paysage)という概念は存在していなかった。

◆ 東北大学の五十嵐太郎先生の、マグリットの「風景の魅惑 Les Charmes du Paysage」と題された絵画に対するコメントも別な文脈で同じことを言っているのだろう。

〔『10+1』 No.09:大地を刻む──ランドスケープからランドスクレイプへ(五十嵐太郎)〕 「風景」が額縁を呼びこむのではない。額縁が「風景」を生成するという逆説のあらわれ?
db.10plus1.jp/backnumber/article/articleid/334/